第三百六十二夜 おっちゃんとイコナを超えるもの
イコナの聖パンを作ってから五日後。ガルシアが、おっちゃんを訪ねて来て小さな袋を差し出す。
中には十枚の金貨が入っていた。ガルシアが畏まった顔で礼を述べる。
「先日は助かりました。イコナの聖パンの秘密を教えてくれて、ありがとうございます。少ないかもしれませんが、これは、ほんのお礼です」
「別に、気にせんといて。おっちゃんかて、パンの秘密に気が付いた状況はたまたまやから」
ガルシアが真剣な顔で告げる。
「あのあと、法王庁から呼ばれました。そこで、法皇様から直々に依頼を受けました」
「なにを依頼されたん?」
ガルシアが背筋を伸ばして答える。
「はい、イコナの聖パンを超えるパンが食べたい、と」
「イコナの聖パンかて、腕の良い職人が最高の素材を使って作るパンやろう。それを超えるパンなんて、できるの?」
ガルシアが表情を曇らせて話す。
「私も無理だと申し上げたのですが、わずか数日でイコナの聖パンの秘密に辿り着いたお前ならできると命じられました」
(もっと美味いもんを求めて来たか。これ、終わりがあるんかな?)
「偉い人間の美食家って、本当にやっかいやな」
ガルシアが真摯な顔で頼む。
「はい、それで、また知恵を貸してもらえないでしょうか?」
「おっちゃんは冒険者や。パン職人でも食通でもない。そんな、アイデアを貸してくれ、いわれても、ないよ。ない袖は振れないよ」
ガルシアは切なる態度で頼んだ。
「でも、俺だけでは、この問題は解決できません。それに、法王様に美味しいパンを届けて欲しいの願いは、ビアンカお嬢様の頼みでもあるんです」
「なんで、ビアンカが出てくるんや?」
ガルシアが寂しげな表情で懇々と語る。
「ビアンカ様の話では法皇様は体がよくないそうなのです」
「そうなんか、そういえばそんな話を聞いたわ」
「それに食が細くて、食べられる物も限られています。そのため、少しでも美味しいパンを食べさせてあげたいと。この金貨も、ビアンカ様から渡されたものです」
「なるほどな。食べられるものが限られる幼馴染みに、少しでも美味しいもん食べさせたいか。わからん話ではないな」
ガルシアがおっちゃんの眼を見て、切に頼む。
「どうか、お願いできないでしょうか」
金持ちの道楽なら断りたい。だが、病弱な幼馴染みのためであれば、協力してあげたい気持ちはあった。
「わかった。なら、ガルシアはんが今できる最高のパンを、持ってきて。ガルシアはんの最高のパンを見て、考えるわ」
翌日、ガルシアからパンが届く。
「カサンドラはん、冒険者ギルドにパンを売りに来ている移動販売のお爺さんやけど、どこから来ているか、知ってとる?」
「わからないけど、毎週やって来るから、今日辺りに来ると思うわ」
冒険者ギルドの扉を開く。
「噂をすれば、ほら」
老人がケースを持ってパンを売りに来た。
おっちゃんはパンの搬入が終わると、パン屋の老人を捕まえて訊く。
「すんまへん。ちと、相談に乗ってもらえんやろうか」
老人は渋い顔をした。
「なんだね。儂は、これでも忙しい身なんじゃよ」
「このパンを食べてもらえないでしょうか。ガルシアいう職人が作った最高のパンです」
老人は他人が作った最高のパンに興味を示した。
おっちゃんからパンを受け取ると、一切れを口に入れ、満足気に語る。
「よく焼けているね。最高のパンというだけはある。これなら、そこら辺のパン屋のパンより、充分に美味いよ」
「そんで、そのパンに改良を加えて、より美味しくする必要があるんです。ゴールデン・バウムの欠片を薪に燻る以外に改良する方法がありますか?」
老人は俯いて、考える仕草をして話す。
「あるにはある。だが、果たして、その方法を教える決断がパン職人にいい影響を与えるとは限らん。むしろ、惑わす危険性がある」
「どういう意味ですか?」
老人が、しんみりした顔で語った。
「昔、あるところに一人のパン職人がおった。パン職人は万人を笑顔にしたくて最高のパンを目指した。そうして、最高のパンを完成させた」
「それは、食べてみたいですな。どんなパンなんやろう」
「だが、完成させたパンは、あまりにも希少な材料を使うので万人の手の届かないところにいってしまったんじゃ」
「そんな昔話があるんですか」
老人は浮かない表情で諭す。
「今あるもので最高を目指す。それが、ガルシア君が目指したものだと思うがの。一部の人間にしか手が届かん最高のパンを目指せば、きっとガルシア君は道に迷うぞ」
(この老人は只者やないな。パンを食べただけで、その背後にいる職人が見えるだけでなく、そのパン職人が目指したもんもわかるんか。ほんまにパンの神様やないのか?)
「そうでっか。ほな、ガルシアには、目指すものを間違えたらあかんときちんと伝えます。せやけど、今は、その希少でも美味しいパンが必要なんです」
老人は渋々の態度で告げる。
「そこまで頼むなら、教えてやろう。答えは水じゃよ」
「水なら、そこら中にありますやろう」
「ゴールデン・バウムと合う水を使えば、まだパンの味は、よくなる。だが、その水は、汲んでくるだけでも難しい場所にある」
「その場所とは、どこですか?」
「巨人が住むといわれる綺麗な湖の水、ないしは、浸しただけで呪いを解く泉の水じゃよ」
「そらまた、変わった場所の水ですな」
「そこの水はパン種の持つ力を最大まで引き出せる。ゴールデン・バウムの欠片を薪に入れる製法とも合う」
「そんな、水を換えるだけでも、味が変わりますかね?」
老人は毅然とした態度で話す。
「パンは水で味が大きく、変わるね。ただ、そこまでの道のりは、えらく険しいぞ」
パン屋の老人は、それだけ述べると、おっちゃんの許を去った。
おっちゃんは水を汲む準備をすると『瞬間移動』で、巨人の住む湖に移動した。
湖に湧き出す湧水を見つけて水を汲んでいると、質素な格好をした、品のよさそうなお婆さんが現れた。
「あら、おっちゃん、この湧水スポットを見つけるなんて、目が利くのね」
相手はアルカキストの地下にある解呪の泉の精だった。
「お久しぶりです。ちと、最高のパンを作るのに、最良の水が必要でして、汲みに来ました」
泉の精は、にこやかな顔で告げる。
「そう。でも、ここまで水を汲みに来たのなら、凄腕パン職人には会ったのね」
「パンの神様のような人に会いました」
「それは、よかったわ。今度その人に会ったら、伝えてちょうだい」
「伝言でっか? また、会うと思うので、ええですよ」
「趣味のパン作りもいいけど、さっさと、ダンジョンに戻るようにって。そうしてくれないと、大地を砂漠が飲み込むわ」
おっちゃんはパン屋の神様の正体に気が付いた。
「まさか、わいが会った人って、人間に姿を変えたバトルエルはんでっか。教えられれば、どことなく雰囲気が似ていたわ。確かに、ゴールデン・バウムや巨人の住む湖の水の情報は、普通の人なら知らんからな」
「バトルエルがなんでダンジョンから離れたかは。わからないわ。でも、バトルエルがダンジョン『浄水の神域』から消えてから、大地の砂漠化が始まったのよ」
「やはり、国の砂漠化はダンジョンが絡んでおったんか」
「そろそろ戻ってくれないと困るのよ。アーベラの南東に住む水の精たちはおおいに苦しんでいるわ」
「わかりました。泉の精はんにはお世話になってますから、よう頼んで見ますわ」




