第三百六十一夜 おっちゃんとイコナの聖パン(後編)
おっちゃんはパンを受け取ると、ガルシアの元に戻った。
「ガルシアはん。法王庁のダビットはんに聞いたら、ガルシアはんの焼いたパンはバレンキスト・パンであって、イコナの聖パンではないと教えられた。そんで、本物のイコナの聖パンを手に入れたから食べてみて」
ガルシアとおっちゃんはパンを一切れずつ食べる。
おっちゃんにはガルシアが焼いたパンも、ダビットが渡してくれたパンも、違いが区別できなかった。
「なんやろう、違いって? そんなもんないように感じるけど」
ガルシアを見ると、ガルシアは青い顔をしていた。
「違う。俺の焼いたパンより、このパン職人が焼いたパンのほうが美味い」
「そうかなー、あんまり、違わないと思うけどな」
ガルシアは深く考え込む顔をする。
「おそらく、この違いは、素材や製法ではない」
「素材や製法が同じなら、何が違うん?」
ガルシアが難しい顔で論じる。
「パンを焼くのに使っている薪が違うのか? でも、薪は俺の使っている薪でいいはず」
「そうか。ヒントがわかったのなら、なにか手は、あるやろう」
「何もないよりは大きな進歩です。ありがとう、おっちゃん、色々と試してみます」
おっちゃんは冒険者ギルドに帰る。
カサンドラが心配した顔で訊いてくる。
「どうだった、おっちゃん? なにか、わかった?」
「バレンキスト・パンとイコナの聖パンは、微妙になにかが違うところまではわかった。だが、なにが原因かはわからんかった」
「そうなんだ。微妙な違いなら、私たちにはわからないわね」
おっちゃんは残ったパンの一切れをどうしようかと迷っていた。
すると、パン屋に小柄な老人が入ってくる。老人は質素な緑色の服を着ていた。髪は真っ白で、白いチョビ髭を生やしていた。
老人は空になったケースを下げに来た移動販売のパン屋の主人だった。老人が下げに来たケースは全て空になっていた。なので、おっちゃんは、パン屋の老人がなかなか腕の立つパン屋だと思った。
(でも、おかしいな、これほど腕の立つパン屋なら、どこかでパン屋の親方をしていても、おかしくないやろう。隠居して気儘にやっているにしては納めるパンの量も多い)
おっちゃんはパン屋の老人に声を掛けた。
「おじいさん、パンがごっつう美味かったで。どこの名店で修行したん?」
老人は微笑んで謙遜する
「いやいや、修行なんて、していませんよ。趣味でやっていただけですよ」
(なんか、怪しいな。パンを食べたけど、趣味の域を出とるで)
「そうか。なら、ちょっとお願いがあるんだけど、ええか?」
「はて、どんなごようですかな?」
「これと同じパンって焼ける?」
おっちゃんは残ったパンの一切れを差し出す。
パン屋の老人はじっとパンを見て、しれっとした顔で簡単に答える。
「焼けるけど、恐ろしく高く付くよ」
「ほんまに、これと同じ焼けるの? いくらぐらい掛かるん?」
老人は難しい顔をして小首を傾げる。
「うーん。金貨八枚は欲しいね」
「パン一斤が金貨八枚って、滅茶苦茶に高いやん! なんで、そんなにするん?」
「素材はバレンキスト・パンと同じだけど、特別な薪代が掛かるんだよ」
(なんや、このパン屋の老人。イコナの聖パンとバレンキスト・パンの違いを、一目で見抜いたで。しかも、違いは薪やと当てた)
「すんまへん。もしかしてお宅さんは、さぞや名のあるパン職人さんでは?」
老人が笑って否定する。
「違いますよ。ただの、老いぼれパン屋ですよ」
老人が帰ろうとした。
おっちゃんは「待って」と声を出して、金貨八枚を握らせる。
「ここに金貨八枚ある。これで、美味しいパンを焼いてください」
老人は弱った顔をするので、拝むように頼む。
「頼みますわ。お宅さんだけが頼りなんですわ。悩めるパン職人を救うと思って、パンを焼いてください。」
「うーん、弱ったねえ。じゃあ、金貨八枚で一斤だけ焼いてきてあげるよ」
翌朝、冒険者ギルドに行くと、おっちゃん宛にパンが届いていた。
おっちゃんは、どきどきしながら、パンを口にする。鮮烈な香りと共に高い薪代の意味を理解した。
「わかった。わかったで、イコナの聖パンの秘密が。イコナの聖パンの秘密はゴールデン・バウムや」
昨日のパンでは感じられなかったゴールデン・バウムの気配が、老人の焼いたパンから確かに感じた。
「これは、凄いで。食べただけで材料を想起させる腕前。もはや、神や。パンの神が降臨したで」
おっちゃんは宿に戻って、荷物の中にあるゴールデン・バウムを取り出す。
僅かに削って火に燻て香を嗅ぐと、パンに混ざったのと同じ香気を感じた。
「そうそう、この香や。この香が僅かにパンに混ざることで、上品な風味を陰ながら演出しておったんや」
希少な魔道具や薬の材料になるゴールデン・バウムを、パンを焼くために惜しげもなく使う。とてつもなく贅沢な製造法だった。
おっちゃんはゴールデン・バウムの市場価格から、パン一斤にどれくらいのゴールデン・バウムを使用すればいいかを逆算する。
パン一斤で金貨八枚だから、パン一斤当たりに燻るゴールデン・バウムの薪の量はおよそ五十gから百gと見積もった。
間をとって七十五gくらいゴールデン・バウムを削り取って、ガルシアを訪ねる。
「ガルシアはん、イコナの聖パンの秘密がわかった。パン一斤に対してこの木片を一個を入れて焼けば、イコナの聖パンになるで」
ゴールデン・バウムの木片を見てガルシアの表情が険しくなる。
「黄金の木片なんて初めて見ます。これがイコナの聖パンの秘密なんですか?」
「そうや、試しに一斤を焼いてみて」
「わかりました。昼に、また来てください。パンを焼いておきます」
昼にガルシアの許に行くと、一斤のパンが焼かれていた。
さっそく、二切れほど切り出して、食べてみる。
ガルシアが破顔する。
「これだ、この味だ。法王庁では、あの金色の木片を、パンを焼くのに使っていたんだ。秘密が解けたぞ。これでお嬢様に自信を持ってパンを出せる」
「よし、もう一切れ貰っていいか? ダビットはんに確認を取ってくる」
おっちゃんは一切れのパンを持ってダビットを訪ねる。
「ダビットはん、イコナの聖パンを焼いたで味見してや」
ダビットがパンを口にすると、唸った。
「間違いない。これは、イコナの聖パンだ。これを焼いた人物は誰だ?」
「誰って、伯爵家のパン職人のガルシアはんやけど?」
「そうか。この短期間で、この答えに辿り着いたのなら、見込みがあるやもしれない。あの難題にも応えられるかもしれん」
(あれ? これ、なんか嫌な予感がするで)




