第三百五十六夜 おっちゃんと暴走ゴーレム
おっちゃんはヴィルヘルム一行を追っかけようとは思わなかった。
もう、出立から時間が経ちすぎている。それに、『病避けの護符』なしでは追いつく自信もなかった。一日、二日とバレンキストの街を見て廻る。
バレンキストの街ではどこを歩いてもパンが焼ける良い香がした。パン屋も他の街より多い。バレンキストではパンはパン屋で買うのが普通だった。
中でもホワイト・ブレッドが、味が良くて人気だった。ただ、裏通りをちょっと覗くと、砂漠化で土地を追われてきた難民の姿が、ちらほらと目に入る。
教会で行うパンとスープの施しに長い列ができる光景も見た。
(教会の施しでなんとか、やりくりできている。せやけど、これ以上に難民が増えると、さすがに支えきれんくなるな)
街は危うい均衡の中、平穏を保っているように見えた。
パン屋で昼食を買うついでに、パン屋の主人に話を聞く。
「この街に来てまだ日もない冒険者やけど、最近の景気はどうなん?」
パン屋の主人は冴えない表情で語った。
「あまり良くないね。小麦も値上がり、砂糖も値上がりさ。小麦も砂糖も収量が落ちているって話だよ。法皇様の体の調子も良くないから、景気の良い話はあまりないよ」
「そうか。それは辛いなあ。バレンキストのパンは美味いから、小麦が不作なんは心配やな」
パン屋の主人が暗い顔で語る。
「今年はパン祭りが行われたが、来年はどうなるかわからないって話さ」
「バレンキストには、パン祭りなんて祭りがあるんか?」
「あるよ。年に一度の秋の祭りさ。有名店だけでなく、若手の職人なんかも腕を振るう祭りだよ。成績優秀者のパンは法皇様に献上される、一大イベントだよ」
おっちゃんは冒険者ギルドに戻り、依頼掲示板に目を通す。一般的な日々の仕事がほとんどで、冒険者でなければできないような仕事は少なかった。
(冒険者がヴィルヘルムに従いていったから、仕事を絞とるんやろうか?)
おっちゃんは依頼票を見ていて、気が付いた。
(なんや? 依頼人に砂糖伯爵ってのがあるな。バレンキストの砂糖畑のほとんどを所有していて、金持ちの人間やそうやけど。どんな人物なんやろう?)
気になったので、砂糖伯爵の名前で出されている依頼票の一枚を手にして、依頼受付カウンターに行く。
「カサンドラはん、この依頼をやりたいんやけど、砂糖伯爵って、どんな人?」
カサンドラがすらすらと答える。
「街一番のお金持ちね。精糖業で財をなした貴族で、法王庁にも多額の寄進をしている、篤志家よ。また、『芸術家の霊廟』から出る出土品のコレクターでもあるわ」
「仕事の依頼人としては、どうなん?」
カサンドラが温和な顔で語る。
「支払いはきちんとしているし、無理な仕事は依頼しないわ。ただ、ちょっと拘りがある人だけど、こちらが素直に命令を聞いていれば、問題は起きないわよ」
「そうか。なら、この倉庫の整理業務をやるわ」
おっちゃんはカサンドラに砂糖伯爵の家を聞いて、砂糖伯爵の家に向かった。
冒険者ギルドから歩いて二十分のところに、砂糖伯爵の家はあった。砂糖伯爵の家の敷地は広く、どこからどこまで敷地か、一目ではわからないほど広い。
家は大きく、五十部屋はありそうな大きな二階建ての家に住んでいた。家の隣には縦百五十m、横四十mもある大きな工房と倉庫を備えていた。
「これは凄いな。精糖の設備がないところを見ると、精糖工房や砂糖の保管場所は、まだあるみたいや。どんだけ広い敷地を持っとるんやろうな?」
おっちゃんは工房に向うと、人の悲鳴がした。
「気を付けろ。ゴーレムの暴走だ」
工房の正面の扉を破って、機械仕掛けの高さ三m幅三mのゴーレムが飛び出してきた。ゴーレムは整地作業用なのか手の代わりに大きなローラーがついていた。
ゴーレムは、まっすぐ、おっちゃんに向かって突進してきた。向かってくるゴーレムの弱点はわかった。
(あの手のゴーレムは、頭を外してやれば止まる。魔法を使っているところを見られたくないけど、『魔力の矢』で頭を吹き飛ばすのが早いな)
おっちゃんはもう少し引きつけてから魔法を唱えようとした。すると、ビアンカが、おっちゃんの横を猛スピードで駆け抜ける。
ビアンカはそのままゴーレムに向かって行く。ビアンカがゴーレムに轢き殺されると思った。
だが、ビアンカは、ゴーレムの腕に軽く飛び乗る。そのまま一足跳びにゴーレムの肩に昇って、ゴーレムの首を捻る。
急にスイッチを切られたようにゴーレムが停止した。ビアンカがゴーレムの頭を外した。
ビアンカが足どりも軽やかに、ゴーレムから下りてきた。
工房から油と煤で汚れたシャツにダブダブの茶のズボンを穿いた、大柄で髭面の男が出てくる。ひげ面の男はビアンカに声を掛ける。
「お嬢、ゴーレムの前に飛び出したら、危険ですぜ。もしものことがあったら、伯爵様に顔向けができません」
ビアンカは得意げな顔で大柄の男の胸を指さして発言する。
「メルセデスは心配性なのよ。物心着いた時から工房は私の遊び場よ。ここにあるゴーレムなんて、一目ちらっと見れば、止め方くらい、わかるわ」
ビアンカは、それだけ自慢するとゴーレムの頭をメルセデスに渡して、工房の中に入っていた。
おっちゃんは、メルセデスの許に小走りに走っていく。
「倉庫の整理を手伝いに来た冒険者です。それにしても、ビアンカはん、すごいでんな。暴走したゴーレムを簡単に止めよった。並の冒険者では、ああはいきませんわ」
メルセデスが諦めた顔で語る。
「やるほうはいいが、見ているほうはハラハラものだよ。伯爵様もビアンカ嬢ちゃんには甘いから、冒険者になんかなっちまった。俺としては、どこかの貴族の嫁にでも行ってほしかったんだがな」
「周りが思うように子は育たん事例って、よくありますわ。でも、背筋が真っ直ぐで、歩いて行く姿は中々堂に入っているように見えますわ」
メルセデスが機嫌よく応じる。
「そういうもんかね。俺は工房を預かる技師長のメルセデスだ。さっそく仕事に入ってくれ。ゴーレムが工房内を滅茶苦茶にしたから、片付けの手が必要だったところだ」
「わいはおっちゃんの愛称で親しまれる冒険者です。よろしゅうお願いします」
おっちゃんは壊れた工房に入る。
工房は右側が棚になっていて、左側が作業場になっていた。
作業場では幾種類もの組み立て中のゴーレムや、機械があった。ただ、先のゴーレムの暴走で、壊れた機械もあり、部品が散乱していた。
「これは、働き甲斐がありそうな職場やな」
おっちゃんは、さっそく、スクラップになった機械の片づけを手伝った。




