第三百十二夜 おっちゃんと秘密の頼み事
眩しい朝日の中、宿屋に帰った。寝る前に腹になにか入れようとレストランに行く。
何食わぬ顔でパンケーキで朝食を摂っているターシャがいた。
ターシャが軽く手を上げて、軽い調子で挨拶する。
「おはよう、おっちゃん。無事だったのね。よかったわ」
おっちゃんはターシャの顔を見て、ほっとした。
「もう、なんや、無事やったんですか。おっちゃん、心配して暗い海の中をずっと探してましたんよ」
ターシャは当然といった顔で告げる。
「私はかの有名な北方賢者の弟子よ。あれぐらいのピンチは独りで切り抜けられるわ。そうでないと、お師匠様に悪いもの」
(ほんまに、心臓に悪い自称の弟子やな)
ターシャが先に食堂に来ていたので、ターシャが先に食堂から出ていく。
おっちゃんも適当に朝食を済ませて、横になろうと部屋に向かった。
隣にあるターシャの部屋から年配の男が出てくる。男は褐色肌で恰幅がよかった。男はガラベーヤを着て、長い顎鬚を生やしていた。
(バサラカンドならいざ知らず、ポルタカンドでガラベーヤとは、珍しいな。バサラカンドから来た商人やろうか? でも、どこかで見たような顔やな)
おっちゃんの視線が男に行くと、男もまた、おっちゃんを見て立ち止まった。
「おう、おっちゃんか。こんなところで会うとは、奇遇だな」
「誰や?」と言い辛かったので、適当に合わせる。
「こんにちは、お元気そうでなによりですな」
男は一瞬、考え込む素振りをしてから明るい表情になる。
「これは良いところで会ったのかもしれん。部屋で少し話せるか」
知らない人間を部屋に入れるには抵抗があった。
だが、知っている振りをしているので、断る態度も難しかった。それに相手はおっちゃんの素性をよく知っているように親しみを持って話し掛けてくる。
「これから眠るとこやったけど、少しなら、ええですよ」
おっちゃんは部屋に男と入った。
男は遠慮することなくソファーに腰掛ける。おっちゃんも席に着く。男の肌の色が青に変わった。
肌の色が変わると、おっちゃんは相手の正体にピンと来た。
(ザサンはんが人間に化けとったんか。なんで、ザサンはんがここにおるんや? それに、ターシャの部屋から出てきたって、どういう理由や?)
ザサンの正体は、エア・ジャイアントである。ザサンは『サバルカンド迷宮』のダンジョン・マスターに仕える、『サバルカンド迷宮』のナンバー2である。
「これは、お久しぶりですな。ひょっとして『海洋宮』の視察ですか?」
「視察というより、新規オープンする『海洋宮』のダンジョン・マスターの『島主ビスケイン』に、開業祝いを持ってきた帰りだ」
ダンジョンの新規オープンに他のダンジョン・マスターが祝いの品を持って祝辞を述べに来る状況は不思議ではない。ダンジョン・マスターといえど、やはり他のダンジョンは気になるものだ。
だが、疑問もある。ザサンはターシャの部屋から出てきている。
(なんや、ちと、嫌な予感がしてきたの。外れて欲しいけど、こういう時の嫌な予感は当るからな)
おっちゃんの心中など全く気にした様子もなく、ザサンが告げる。
「おっちゃんよ。ちと、頼みたい仕事がある。ターシャ様のことだ」
(これ、あかんね。厄介な頼みごとが来る前触れや)
おっちゃんは身構えたが、ザサンはいたって気楽に告げる。
「実はおっちゃんの隣の部屋にいるターシャ様はうちのダンジョン・マスターの娘さんなのだ」
(来たよ。偉い人からのやりたないお願い。しかも、こちらが断るとは、てんで思うておらん頼み方や)
おっちゃんは軽く質問する。
「そうでっか。御旅行ですか?」
ザサンが渋い顔をして語る。
「ただの旅行なら良かったのだがな。ターシャ様は少し前から北方賢者なる人間に入れ込んでいて、頭を抱えている。ターシャ様は弟子入りするつもりで、北方賢者を探す旅をしているのだ」
「そんな話は聞きましたな。本人はいたく本気のようですな」
ザサンが不快だとばかりに発言した。
「だから、困る。ダンジョン・マスター候補が人間と深く関わる行為はダンジョンの運営にとっては、マイナスにしかならない。我々のほうでは極秘裏に北方賢者を暗殺しようか、との話もある」
(勝手に押しかけ弟子が来た挙句に、親が暗殺者を送るやと? とんでもない発想法やね。迷惑って段階を、遙かに通り越しているよ)
おっちゃんは暗殺を避けるために、予防線を張った。
「そんな話になっとるとは思いもよりませんでしたわ。でも、北方賢者さんは『テンペスト』陛下や『アイゼン』陛下とも親交があると聞きます。暗殺は止めたほうがええと思いますよ」
ザサンが表情を曇らせる。
「なんと、人間の分際でかの高名な名君の御二方とも親交があるのか。それは困った存在だな。力業で排除したかったのだがな。暗殺は無理か」
(ふー、未然に暗殺を防いだで。さて、厄介事の中身は、なんやろう)
「暗殺は悪手ですわ。止めたほうがええです。そんで、頼み事ってなんですか?」
ザサンが気を取り直し、威厳のある顔で依頼してきた。
「こうしてポルタカンドで我らが出会ったのも、何かの縁だ。『海洋宮』がポルタカンドの傍にいる間だけでいい。ターシャ様のお世話をお願いできないだろうか。もちろん、礼は充分にする」
(それだけならええけど、これを引き受けると、ターシャに対するわいの立場は益々と弱くなるの。せやけど、もののついででもある依頼や。それに、ザサンはんとは知らない仲でもなしな)
おっちゃんは、正直に話した。
「実は色々ありまして、おっちゃんは今、ターシャはんの助手いう立場になってますねん」
ザサンが笑顔で膝を打った。
「それは好都合。ならば、是非にもお願いしたい。ターシャ様は行動が突飛で、危ういところがある。先日も海で溺れかけて『海洋宮』に迷惑を掛けた」
(なんや。自力で乗り切ったんやなくて、『海洋宮』の異種族に保護されたんか。ダンジョン・マスターの娘やと、おっちゃんには教えられんから、仕方ないけど)
ザサンが腕組みをして、渋い顔をする。
「『サバルカンド迷宮』としては、『海洋宮』に迷惑を掛けたくないし、借りも作りたくもない。なので、誰かが傍にいて骨を折ってくれると助かるのだ」
「『サバルカンド迷宮』としては当然の発想ですな」
「そこでだ、おっちゃんの腕なら問題ないし、信用も置ける」
「まあ、知らない仲やないけど、偉い人のお世話はなあー」
ザサンが拝むように依頼した。
「そう躊躇わずに、スパッと引き受けてくれ。頼むよ、おっちゃん」
(ここまで来たら乗りかかった船や)
「わかりました。そこまで頼むなら、引き受けましょう」
「そうか、助かる。なお、くれぐれも、儂から依頼した話は内緒にな。ターシャ様は実家の関与をいたく嫌うのだ」
「まあ、なんとなくわかりますわ。あれぐらい年の若者は扱いが難しいですからな」
「あと、人間にターシャ様の正体を知られないようにも注意してくれ」
「それはもちろん、わからんように上手くやりますわ」
ザサンは肩の荷が一つ下りたのか、気分もよさげにおっちゃんの部屋を後にした。




