7-12
結論を述べよう。
先程のラーメン屋、微妙だった。
人間というのある程度空腹感があれば目の前に出された物があまりにもひどい物でなければ平らげるのだと、我が身を持って体感できた。
不味いとは言わないが、微妙だった。
これがハッキリと不味ければ話のネタにできるが、可もなく不可もなしなので、そういうラーメンはネタにするところがない。
「……みんなでラーメン、楽しかったね!」
店を出て微妙な空気を破ったのは八辻先輩の第一声。
発言だが、味には言及していない。
「……まあ、街中の飲食店すべてが百点満点ということがあり得ないわよね」
「……そうですね」
味が不味くて店内の雰囲気も悪くて長居したくないラーメンを0点としよう。
あの店はすごく不味いわけではないし雰囲気は普通、妥協して点を付けるなら五十点だろうか。
やはり微妙か店だった。
今後行く機会もないだろう。
「そろそろ蕾の家が近いわね」
「うん。みんな、いろいろとありがとう。ラーメン、楽しかったよ」
八辻先輩の自宅は北品川六丁目にあると部長も言っていたし、高輪口から出た方が近い。
一応付き添い任務を請け負っているわけだし、その付近までは同行した。
港南口の方から歩いて来たので、食後の運動にはなるな。
「それじゃ、みんな。また学校で」
「ええ、蕾もいい加減変な癖を克服しなさいよ」
「う、うん……。二人も、またね」
こうして小さくなる八辻先輩の背中を見送り、俺たちは各々の帰路に着くべく品川駅へと向かった。
◆
【二〇XX年 五月七日 木曜】
東京都 目黒区大橋 慶馬学園高等部
大型連休も終わり、昨日は部活がなかった。
昨日は昨日でいろいろもあったのだが、こうして学校が始まり今は放課後だ。
授業が終わり、喧騒に包まれる教室。
クラスメイトと別れ、てくてくと部室に向かって移動。
その最中、俺は一昨日の出来事を思い出していた。
ギターを弾いてない。
弾きたかったけど弾けなかった。
何故かラーメンを食べて、その味に満足できず終わった。
皆で店を出た後、品川駅の方まで歩き、それぞれの帰路へと向かったわけだ。
それにしても、俺の周囲には変わった人間がとても多い。
た変わり者たちと縁を持つことが多いと思う。
類は友を呼ぶと言うが、その通りなら俺も変わり者なのだろうか。
家庭環境が一般のそれとは大きく異なるが、変わり者とは言われたくない。
己をまったくの常人とするのは恥ずかしいことかもしれないが……そうこう考え老けていると、俺は部室の前に立っていた。
果たして何度目だろうか____、こんな感じで部室の前に佇むのは。
今まで食べたパンの枚数をいちいち数えないのと同じように、部活の度に訪れる部室を見て感傷に浸ることなどない。
一人の高校生が部活を始める、そのために部室に入る、ただそれだけ。
夜明けとともに太陽が姿を現すのと同じだ。珍しいことなどない。
そんなこんなで、引き戸を開けた。
「あっ、稲本くん! こんにちは」
「えっ……」
ギター部の部室なのでそこにいるのは俺以外では部長と副部長の二人だけのはず。
今日に限っては違かった。
もう一人いた。
俺の顔を見て真っ先に声をかけたのが、そのいつもはいないはずのもう一人だったのだ。
「どうして八辻先輩が……?」
俺の疑問に彼女は笑みを浮かべながら手を振って応えた。
「稲本くん、一昨日はありがとう。稲本くんも含めて三人に話があって来たの」
八辻先輩は随分と溶け込んだ様子で紺色のカウチソファーに座っていた。
彼女にとって俺よりも部長と副部長の方が付き合いが長いのだから当然ではあるが、部長と八辻先輩が並んで座り、反対側に副部長が座っている。
その隣しか空いていないので自ずとそこに腰掛けるのだが、偶然にも昨日とまったく同じ位置関係となった。
「全員揃ってから話をしたいとのことだったから、稲本くんが来るまで待っていたのよ」
ソファに腰掛けたとほぼ同時のタイミングで、部長の口から三人が俺を待っていたことを告げられた。
「そうですか。で、話って?」
俺も、部長も、副部長も、揃って八辻先輩に視線を向ける。
ついさっき俺に対して明るい表情で手を振っていたのだが、急に神妙な面持ちを見せた。
「そのね、お願いがあるの」
「お願い?」
「……私に、何か……下品なことを言ってもらえないかな……」
「あっ、アンタもセクハラですか」
「違うよっ!?」
だってそうじゃん。
これさ、男女逆の場合を考えたら間違いなくセクハラになるだろう。
無論女性から男性に対してもセクハラは成立し得るがな。
「勘違いしないで、稲本くん。実は貴方が来る前に私と春音は事情を聞いているの!」
「その事情、下品なことを言えっていうお願いと関係あるんですか?」
「もちろんあるわ。女子同士よりも男子である貴方が蕾にセクハラ的発言をした方が都合が良いのよ」
「セクハラされたの、俺の方ですよ」
断固として被害者という立場を譲る気はないのだが「だから違うよっ!?」と必死こいて私は悪くありませんムーブかます焦った声が耳に入り、その声の主に視線を向けてみた。
「いきなり変なことをお願いしてごめんね! でも真面目な話なんだ」
「八辻先輩、真面目な話をする人間は下品なことを言わないし言わせないと思いますよ」
蔑んで言ってやると、八辻先輩は言葉を詰まらせた。
うちの生徒会長、たぶん口喧嘩弱いな。
心なしか、瞳が潤んでいるように見える。
「稲本くん、蕾のことをいじめないで。とにかくここはリクエストに応じてもらえないかしら?」
「えぇ……」
援護射撃で気持ちの立て直しができたのか、八辻先輩は俺を見つめてきた。
「そもそも下品なことってなんですか」
「そんなの決まっているわ。適当にち●ことか言ってやりなさい」
「女子相手に適当に言って良い言葉じゃねえんだよ!」
無論、女子相手にんなこと言うつもりはねぇ。
俺と八辻先輩は一昨日が初めましてだったので特別親しいわけではないが、親しい女子相手でもそういう言動を取ることはない。
それはそうと、もし部長が女ではなく男だったら同じように下ネタばかり言う人間になっていたのだろうか……。
怖気が走るので、これ以上考えるのはやめよう。
「八辻先輩、どうしてもしないとダメですか?」
「うん、何かしてもらえるとありがたいかな」
「えっと……あっ、それじゃ……」
神様がいるのなら、日頃から真面目に生きる俺のような良い子を見捨てないものなのだろう。
この場において閃いたのは、天からの授けってやつだ。
「八辻先輩、あれ見てください」
人差し指をこれでもかとピンと伸ばした。姿勢の正しい俺の指の先にあるのは壁掛け時計だ。
「時計……」
八辻先輩は俺の人差し指を追うように首を曲げ、時計をジッと見つめる。
「数字の6と9が卑猥だー、とか言ってたでしょ?」
すごいよなこの人、それが精子に見えてしまうと嘆いていたからな。
あとボールペンの先端もダメだったな。
こんなもん普通の人間なら意味がわからんし、ただ時計を見せるだけで下品な言動になるってマジで何なんだ。
クソマニアックな撮影かよ。
「6と9…………」
「……八辻先輩?」
「6、9…………」
「…………ええっと」
部室にあるのは何の変哲もない、普通の壁掛け時計だ。
毎時ちょうどに時計の上の方にある小さな窓から鳩さんが顔を出すわけでもない、ホームセンターで千円か二千円で買えるようなポピュラーなやつだ。
それを一人の女子高生が、真剣な眼差しでジッと見つめ続けている。
「…………これ、なんですか」
「稲本くん、貴方が訝しげになってどうするのよ。貴方がそうさせたのよ」
不本意だがこれに関しては反論の余地がない。
そうこうしている間も、八辻先輩は時計を見上げて黙っている。
眉一つ動かさない彼女に困惑する他ないのだが、そんな奇矯な時間は突然終わりを迎えることになった。
「……ひっ、ひひっ……、ひひひひひっ!!」
何この人、産むの?
今から一人産み落とすの……?
「ひ、卑猥だよぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!!」
新たな生命の誕生ではなく、悲鳴が聞こえてきた。
頬を染めて、一人の女子高生が悲鳴を轟かせている。まあ引くが、あまり驚かないのは同じ光景を既視しているからだ。
「……一昨日と同じじゃねぇかよ」
そう言うと、取り乱している本人の隣で部長が頷く。
「ええ、変わらないわ。やはり卑猥に感じてしまうようね」
当たり前のように言っているが、部長は俺が来る前に事情を聞いているはずだ。
こうなることを面白がっているのか、それなら随分と意地悪な女だな。
「はぁ……はぁ……、ごめんなさい。やっぱり克服するのは厳しいみたいだね」
「一生無理なんじゃないですかね」
来世でもヤバいんじゃないか、この人……。
というより前世で既に詰んでただろ。
乱れた息を整える八辻先輩に部長が「これを見てみなさい」と声をかけて、いつの間にか取り出したスマホの画面を見せつけていた。
「これは……」
目を大きく開いて画面を凝視する八辻先輩だが、果たして何を見せられているのか。
「部長、一体何を見せてるんですか」
訊ねると、部長はスマホ画面を俺の方に向けた。
そこに映し出されていたものを言葉を失った……。
「なっ……、なんちゅうモン見せてんだよアンタはッ!?」
「そうカッとならないでほしいわ。私なりの配慮として本当は実物の写真を見せたいけど、pi●ivで探して見つけたイラストにしてあげたのよ」
「リアルだろうがイラストだろうがんなモン見せつけんなッ!!」
それを堅苦しく表現するなら、男性器と言えばいいだろう。
てゆうかスマホ取り出したのも気付かなかったし、多分取り出してロック解除してすぐに画面を見せたから、普段それをロック画面にしてるのかよこの女……。
「……稲本くん、私を蔑んだ目で見ないでもらえるかしら。それに今、この状況を目の当たりにして気付かないのかしら?」
「はぁ? 気付かないのかって何が……」
「蕾を見てみなさい」
言われるがままに視線をやると、赤く染まった八辻先輩がいる。
そりゃいきなり下品なモン見せられたら困るだろう……、ん?
「……あれ?」
「ふふっ、気付いたようね」
確かに、今の八辻先輩には違和感がある。
この人は卑猥と感じるものを目にすると顔を赤くして取り乱したり、声を上げたりする。
時計を見ていてときもそうだ。
「……あの、八辻先輩? 今、部長にイラスト見せられたけど、それは平気なんですか」
すると八辻先輩は、ゆっくりと頷いた。
頬の赤みは薄れないまま____、
「……うん。もちろんこういうイラストとかね、恥ずかしいとは思うけど……取り乱すほどじゃないの」
そう告げる顔を改めて見てみると、確かに紅潮はしているが真っ赤というほどではない。
本来の綺麗な肌色の上に薄らと赤みをかけた感じ、というより花見の季節は過ぎたが桜色の絵の具でも優しく塗ったのかという程度だ。
そして呼吸の乱れは、ほぼ見られない。
首を捻っていると、
「理解したかしら?」と、部長が訊ねてきた。
「とりあえず今の八辻先輩が卑猥なものを見てるのに取り乱してないのはわかりましたけど」
「どうして取り乱していないか、それを理解できたかしら?」
「いや、それが不思議なんですよ! 数字の6とか9とか、あとボールペンの先端とかはダメなのに、部長が見せたストレートなイラストは平気なのか……」
「それよ!」
この人の言うそれとは、どれのことなのか。
今、俺の頭上には疑問符が右往左往している。
おそらく部長の目にはそれが具現化して映っているのか、理解の及ばない俺を眺めて苦笑い。
「わからないかしら? "ストレート"よ!」
「ストレート?」
「蕾はね、ストレートな表現だと平気みたいなのよ」




