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世田谷田代駅前。
鼓にとっても奈美にとっても、今ここにはいない拓弥にとっても馴染みのある場所。
各々の自宅からの最寄り駅のため、学校への通学やどこか遊びに行くなどの用事の際、世田谷代田駅を利用する機会が多いためだ。
「それじゃあ奈美ちゃん、今日はありがとね」
鼓と奈美は元々遊ぶ約束をしていたのだ、渋谷で過ごした喫茶店は買い物帰りに寄ったのだった。
「うん、そんじゃまた……あっ」
別れを告げる途中、奈美は自らの言葉を中途半端なところで切った。
「奈美ちゃん……? どうかしたの」
不思議に思い訊ねた鼓だが、長年幼馴染という間柄を続けているため、なんとなくというぼんやりとした根拠しかなかったが、直感で彼女が何か良からぬ思考を巡らせているであろうと、心のどこかで小さく予想ができていた。
「いやね、さっきのお店だと他のお客さんもいたしさ、ここでなら言えると思ってねぇ〜」
「さっきのお店だと言いにくいこと?」
「そっ! 鼓、アンタ、アイツにエロいことしなさい!」
「えっ……」
この日は夕方の前でもまだ暑さが残り、上着を着ていると薄らと汗を流す気候が関東全域を支配していた。
そんな環境で体を動かせば体が火照るのは自然だが、しばらく間を置いてから鼓の頬が染まったのは気温のせいでも、完熟したマンゴーのような空のせいでもなかった。
「な、ななな……なにを言ってるのッ!? もうッ、奈美ちゃんってばぁぁ〜〜〜〜!!」
奈美は笑って揶揄い続けた。
「積極的になれって話はしたでしょ? ほら、アンタせっかくそんな立派な武器を持ってんだしぃ〜!」
奈美の視線の先にあるのは、一般的な女子高生のそれと比較するとあまりにも豊満な双丘。
鼓は視線の矢を感じ、自らの膨らみを腕で覆う。
「もうッ、今日の波ちゃんいじわるだよぉぉ〜〜! 変なこと言わないでよぉ……」
「あはははっ、ごめんごめん! 鼓の困った反応が可愛くてさぁ〜! でも男ならそんなデッカい胸した可愛い子が迫ってきたら断る理由ないと思うよ!」
「だから変なこと言うのやめてよッ!! 奈美ちゃん、セクハラをするおじさんみたい……」
「誰がおじさんよ! 鼓と同じ女子高生だし」
恥じらった瞳には潤いが増し、同性から見ても蠱惑的に映るものだった。
これを想い人にだけ向けるというのは勿体無い、そんな思いから奈美は調子に乗ったのだ。
「奈美ちゃん! いじわるばかりだと私だって怒るよ!?」
「はんっ、鼓が怒ったってぜんぜん怖くないもんね〜。てかアンタぜんぜん怒れない性格だし、こうやって揶揄われる時が一番輝いてるって!」
「私の輝きってそんなふうに決まるの!?」
「まあまあ、落ち着きなって。いざという時の手段として色仕掛けでもやってみろ!、くらいに考えてくれればいいわ」
「色仕掛けって……それって恋愛において禁じ手な気がするけど」
怪訝になる鼓。
奈美は大きな膨らみを腕で包んだままの彼女を見て、さらに告げた。
「訊くけど、たとえば鼓は好きでもない異性からエロい目でジィーっと見られたらどう感じる?」
「えっ、そんなの、嫌に感じるよ!」
「それはどうして?」
「どうしてって、だって恥ずかしいというか……誰だって嫌になると思うけど?」
「そ。んじゃアイツなら? 拓弥にエロい目で見られた場合は?」
「え、えぇぇっ!? 拓弥くんに……、も、もう〜〜!! 奈美ちゃんってば、いい加減にしてよぉ〜〜!!」
鼓本人には自覚があるか否か、この時潤んだ瞳の中に小さな渦巻きができていたのを奈美は見逃さなかった。
慌てふためく彼女を前に、奈美は妥協という感情を捨てた。
「いいから答えなさいッ! これもアンタに積極性を身に付けさせるための特訓よ、特訓!」
この発言、揶揄いの要素が大いに含まれているが、あながち嘘でもない。
強気の奈美に鼓は根負けし、
「言わないと、ダメ……?」
「もっちろん! ここにはアイツはいないんだしさ、ほら、さっさと言っちゃいなさいよ!」
「うぅぅ……拓弥くんには言わないでね?」
どこか満足に満ちた表現で首を縦に振る奈美。
いじわるな幼馴染を前に半信半疑ではあるが、場の空気に負けた鼓は念のため周囲の様子を見て、そこに想い人の姿がないことにわずかな安堵を覚え、さらに注意を払い声を絞った。
「他の男の人にそういう目で見られるのは嫌だよ? でも、その……拓弥くんになら……恥ずかしいけど、嫌じゃないよ……」
小声ではあったが我ながら雄邁な発言をしたという恥ずかしさと自覚が少し遅れてやって来て、鼓は頬を真っ赤に染めて狼狽した。
奈美の目には鼓の顔から煙が立ち込めているように映った。
「……鼓、意外と大胆ね」
「奈美ちゃんが言わせたんだよッ!?」
こうして揶揄って毎度のように可愛いリアクションを示すのなら、一日のうち何時間でも鼓を相手にしていたい、そんな賊心を覚えてから奈美はまた笑った。
「ま、実在にそういう手に走るかはアンタの自由よ。そんだけアイツに心を許してるんなら、あとは勇気を持って積極的になるだけ! いつまでも奥手になってないで、いざという時は大胆になりなさいって話よ!」
「なんか腑に落ちないというか、上手いことを言って丸め込まれているような気がする……」
「とにかく頑張って____あれ?」
奈美の言葉が、また途中で切れた。
その途切れた方が先程のそれとは異質で、今度は鼓も単純な疑問を持って「どうしたの?」と訊ねた。
「あそこ、拓弥いるんだけど!」
「え、拓弥くん……!?」
「ほら、コンビニから出て来たの」
鼓と奈美は改札出口から少し離れた位置にいて、そこから左の方に四階建ての賃貸があり、その一階がコンビニとなっている。
そこから小さなビニール袋を手に持って出て来た拓弥の姿に奈美が気付いたのは、まったくの偶然だった。
「あ、拓弥くんだ!」
「もう一人、女の人……? 確か、あれって……」
「拓弥くんのお姉さんの玲亜さんだね」
「あぁー、そうそう! アイツ、お姉さんが五人もいるんだよね」
奈美も拓弥とは幼馴染という関係性なので、稲本家の特異な家庭環境は知ってはいた。
ただ拓弥とは学校で顔を合わせるがその姉たちとはそこまで接点がなく、拓弥と一緒に出て来た玲亜に関しては最後に会話をした記憶が曖昧にしか覚えておらず、鼓から教えてもらうまでその曖昧になった記憶すら引き出せずにいた。
二人は少し離れたところからこちらに気付くことなく背中を小さくする姉弟をしばらく眺めた。
「二人ともこっちに気付かないで行っちゃったね。あははっ、タイミングがちょっとズレてたらアンタの大胆発言、アイツに聞かれてたかも!」
「もうッ、やっぱり奈美ちゃんは私を揶揄って面白がってるだけだよね!?」
下半月の目でやんわりと迫る鼓。
奈美はどうにかはぐらかすために何か話題はないかと脳内を掻き乱し、咄嗟に閃いた言葉が拓弥の姉たちに関することだった。
「鼓! アンタ、思い切って声優になれば?」
「え、声優!? いきなり、どうして?」
「確か拓弥のお姉さんって全員声優だったわよね? ならアンタも声優になればなんか上手い具合に距離が縮まるかもよ!」
確かに稲本家の姉妹たち、つまり拓弥の姉は全員声優だ。
それは鼓もよく知るところではあるが、突拍子もない提案き鼓は難色を示した。
「ええっと……そもそも声優さんって競争が激しいから大変だって聞くし。それに私がなれたとしても、たぶんあまり意味がないと思うよ」
「え、そんなもんなの?」
「たぶんね、拓弥くんは声優って職業にそんなに魅力とか興味を感じてないかなって思うの」
「うーむ……なんだろう、鼓がそういうと妙に説得力があるんだけど」
自分よりも長い期間、拓弥との幼馴染歴があるという理由で、奈美は深く聞くことを控えた。
姉弟は影すら残さずその場から離れ、その弟の方は二人の幼馴染が少し離れたところで好き勝手に盛り上がっていた事実を知らぬまま歩み続けていた。




