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ろく

 今は思いっきり雨に濡れたい気分だったんだけど、私が学校のグラウンドに出た時には、ぴたりと雨は止んでいて、灰色の重たい雲が空全部を包んでいた。まだ明るい時間帯のはずなのに、太陽の光がないせいか、薄暗かった。まるで、今の私の心みたい。空も空気も此処から見える景色全部が不透明で不明瞭な灰色。ひとりぼっちの灰色の世界は、私の胸をぎゅうぎゅう締め付けた。いつもは乾いているグラウンドの砂もみんなグルになって私のスニーカーにへばりつく。あちらこちらにできた水溜りは茶色く濁っていた。 

 きっと、今までのツケが回ってきちゃったんだ。今更、私が変わってみんなに許してもらおうなんて、そんな都合の良い話、あるわけないんだ。

 かり、という音がした。あまりに唇を強く噛んでいたせいで、切れてしまったらしい。ふと触れてみると、爪に真っ赤な血が付いた。つばを飲み込むと、錆付いた鉄の味がした。嘘を吐くたびに、唇を噛むのが癖になった。この口が憎くて憎くてたまらなくて。いっそ裂けてしまえばいいのに。

 校門を出ようとしたとき、ぬかるんだ土を踏む、粘っこい音が近づいてきた。グラウンドを歩いてる姿が、先生に見つかってしまったらしい。そろそろ走ろうかと思ったとき、ずしゃん、と土が滑る音がした。


「うー、いたた」 


 思わず振り返ると盛大に水溜りにダイブしたクラゲが居た。


「え、ちょっと……」


 私は思わずクラゲに駆け寄った。まさか、クラゲが追いかけて来るなんて思ってなくて衝撃に胸が揺れた。クラゲが顔を上げたとき、どくんと強く心臓が脈打つ。クラゲが泣いてる。


「ごめん。僕、嘘、気づけなくって」


 ぽろぽろと大粒の涙を零すクラゲを見ながら、私はただ瞬きしか出来なかった。彼の制服はべっとりと砂がへばりついている。


「嘘? 何のこと?」


 私はやっとのことで唇を動かした。クラゲは、しっかり握っていた手の中をゆっくりと開いて見せる。


「これ、直すために、盗ったんだよね?」


 それは、私が盗んで、一日かけて綺麗に縫い直したウサギだった。

 ウサギの足のところに、ちょっとだけ土が付いていたけど、よほどしっかり握っていたのかクラゲの体に比べればすごく綺麗だった。破れたところを縫った後にしっかり洗ったから、ウサギは汚れなく真っ白で、黒の瞳も澄んで見える。心なしかクラゲに似ている気さえした。


「私、盗ってないもん。クラゲのお母さんが直して、わざわざ届けにきてくれたんじゃないの?」


 つい、口をついて出た。頭の中で何回も繰り返し練習したお陰で、結構それらしく言えた。私の言葉にクラゲは数回ぱちぱちと目を瞬かせたあと、ふわりと優しく微笑んだ。クラゲの顔は涙と泥でめちゃくちゃで、すごく格好悪かったけど、その笑顔は、今まで見たクラゲの笑顔の中で一番綺麗だった気がした。


「それ、人を幸せにする嘘?」

「嘘じゃないよ」


 私の喉から乾いた声が出た。


「ぜったい、嘘だあ。手にいっぱいバンソーコー付けてるもん」


 クラゲは私の手にそっと触れた。慣れない裁縫をしたせいで、何回も指に針を刺した。その証拠みたいによれた絆創膏が十枚ぐらい両手に貼られている。砂のざらついた感触と、クラゲのあったかい体温を感じて、不思議と嫌じゃなかった。


「ありがとう。今すごく幸せになった。僕、真子ちゃんの友達でよかった」

「……うるっさいなあ。下の名前で呼ばないでよ。第一、私、友達なんて思ってないし! だいっきらい、クラゲなんて」


 ぜんぶ、嘘だけど。カサカサの唇を舐めたら血の味がして、湿気を含んだ風が顔を掠めたら、ひりひり沁みた。爪の垢を煎じて飲むみたいにクラゲの涙を飲んだら、この口もちょっとはマシになるのかな。

 さっきクラゲが転んだところの水溜りが目に入った。さっきまで泥水が混じって茶色だったのに、いつのまにか土が下に沈んで、透明な雨水が太陽の弱い光を反射して煌いている。ふと顔を上げると、さっきまで灰色が支配していた空に、ヒビが入って割れたみたいに、重い雲の隙間から青空が覗いてるのが見えた。まるで世界が割れちゃったみたいだ。

 そんな空を見上げながら、何だか急に可笑しくなって自然と頬が緩む。そして、唇の裏側でこっそりと呟いた。



 ――なあんだ、案外脆いんだなあ、世界なんて。


完結しました。

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