一話:舞踏会での出会い
悪魔も天使もクソだ。生きるために相手の欲に依存する悪魔も、役割を機械的にこなすだけの天使も、自分も含めてクソ野郎どもだと、そう思っていた。だから、その一言に意表をつかれてしまったのだ。
「キミの今夜を、ボクにくれないか?」
・・・・・
「で、結局俺も行くんすか。」
執務室でむすっとした顔のレナードへの返答は、あっけらかんとしていた。
「ああ。もちろんだとも。まさか、行きたくないなんて言わないよな?」
「そんなこと言えるわけないじゃないっすか……」
「そうだよな? 言うわけがないよな! レナード君や、わかってるじゃないか。」
「ははは……」
目の前にいるのは第三階級の色欲の悪魔、そのトップに座するアスモデウス。老若男女問わず虜にする美貌を持ち、立っているだけで芸術品。本人も自覚しているためそれを武器に人間を食い荒らしている。部下に非常に厳しく、ここ一ヶ月でも二十体の悪魔が死を経験する羽目になった。彼らが転生して戻ってくるのはいつになるだろうか。もし戻ってきても同じ運命を辿りそうだが。
「ですが……今夜は天使も参加すると聞きましたけど、それでも行くんすか?」
「ああ。陛下からの招待だからな、これには応じるしかないだろう。むしろ、応じなかった場合の周囲からの目が怖い。」
今回の招待状、それは『停留所』と呼ばれる世界で行われる舞踏会の招待だ。『停留所』とは世界の機構が境界のない空間の理想として生み出した仮の空間。一つの都市の形をしており、多くの種族が訪れては騒いでいる。常に夜の空間で、飲食店、宿屋、雑貨店など、さまざまな店が灯りをつけて並んでおり、ここを統率するのが黒い騎士の姿をした『陛下』。行きすぎた行動をとった者は陛下の判断で無慈悲に罰される。だが治安はいいとは言えないため、レナードが停留所に行く時は常に周りへの注意を怠らない。
その陛下からの招待状だ。悪魔側が他の種族と敵対しないという意思表示のためにも、参加を拒むことは好ましくない。
「はぁ……まぁ、そうっすね。でもだからってなんで俺なんすか。シトリーとか、ゼパルとかいるっすよね。」
「お前ほど出世欲がなくて扱いやすくて無駄に能力の高いバカはいないんだ。」
「ストレートに悪口っすよね。」
「そう聞こえたか? 褒めたつもりなんだがな。ああ、その服で行くのはやめてくれよ。」
言われて、レナードはパチンと指を鳴らした。魔法で私服から式服に切り替えれば、アスモデウスが満足そうにする。
「それでは行こうか。転移魔法はお前の方が得意だったな。」
「……それ目当てっすよね。」
「まあまあ! さぁ行こう、絢爛なる遊戯を味わいに。」
にっこりと笑いながら手を出してくるアスモデウスに溜息をつく。その手を取って、暗誦もなくレナード達は空間を飛んだ。
・・・・・
「ようこそおいでくださいました、アスモデウス様、そのお付きの方も。」
舞踏会が開催されるのは、陛下の趣味で人間界の古代ローマ建築を元に建てられた、非常に装飾的な建物の中だ。早速エルフのドアガールに挨拶される。ドアが開き、長い廊下を歩いたその先に、会場はあった。
「おお……広いな、そして明るい。空間魔法と照明魔法の応用といったところだな。」
アスモデウスが感嘆の声を漏らす。ベージュの壁には色とりどりの花が描かれており、絨毯はワインレッド。長いテーブルに並べられた食事は一級品と見た。参加している者達はエルフにドワーフ、フェアリー、ドラゴン、精霊、妖怪等々……『停留所』そのものが種族の垣根を超えた空間を目指しているだけあって、招待客も様々だ。皆一張羅を着てきているのだろう、それぞれ装飾の施された派手なドレスを着ている。
「それじゃあ私は挨拶回りに行ってくる。レナードは今夜の恋人でも見つけてこい。」
「アスモデウス様……俺をなんだと思ってるんすか。しませんよ。こんなところで盛るつもりないんで。」
「そうかぁ? 勿体ない。あ、イイ子見つけたら先帰ってくれてていいからね。それじゃ。」
笑いながら、アスモデウスは人混みの中に入っていった。……さて、俺はどうしようかと見まわしたところで、レナードは眩暈がして少し壁際に移動した。すると照明が少し暗くなった。スポットライトが会場の真ん中を広く照らす。
「皆様! 此度は招待に応じていただき誠にありがとうございます! 陛下よりお言葉を賜っておりますので、代読させていただきます――」
吸血鬼の司会がつらつらと代読していく。内容は参加者への感謝と、労い、存分に楽しんで欲しいという旨で締めくくられた。
「今夜が皆様にとって良い夜となりますように。それでは、開場です!」
楽団が演奏を開始する。それに合わせて空間が明るくなり、皆思い思いに踊り出した。レナードはワインを飲みながらその光景を眺めていたが、だんだん退屈になってきてウエイターにグラスを渡し、その場を離れた。
ガラス戸を開けて、ベランダに出た。懐から煙草を取り出して、火をつけてから吸う。レナードは煙草が好きだ。苦味が今この瞬間を感じさせ、煙が時間の経過、転じて生きている実感を感じさせてくれる。人間は嫌いだが、これを発明したその頭だけは評価してやらなくもないと思う。
「……恋人、ね。」
レナードはアスモデウスの言葉を思い出していた。恋人、と言っても。レナードは最近遊ぶことも、食事をすることもなかった。本来悪魔は相手の欲を増幅させ、欲求を解消する際に生じる満足感を食って生きている。だが最近のレナードは、下級悪魔がするのと同じ、カスミを食べて過ごしていた。別に不能になったわけじゃない。単に魅力的な相手に出会えていないのだ。だが探すのも億劫になった結果が今。眩暈がするし、集中力も下がっている。頭痛だったり睡眠の質が悪かったりと健康被害も起きているため、流石に本来の食事にありつかなければならないのだが……そんな簡単にいい餌を見つけられるわけじゃない。
「……?」
後方のガラス戸が開く音がする。誰か休みに来たかと思って振り返れば、月明かりの下、見えたその顔は、色白に金髪、整った顔立ちの……。
「……シャイン?」
「ん? 誰だ? ボクのこと知ってるのか?」
「いや、知ってるも何も……」
シャイン。悪魔なら知らない奴はいない有名な天使の名前だ。上位天使から命じられるままに生命体を導き、時に監視し、時に罰を下す時の実行役となる第四階級の天使、伝導者と呼ばれるその天使達をまとめ上げる大天使ウリエルの、補佐を務めているのが、シャイン。顔が美形であることはもちろん、振る舞い、仕草、言葉選び、全てが相手を魅了する。クールな表情が人気で、しかし誘いの言葉は全て断っており、陰で泣く子も多々。それだけでも十分だが、
なんでも、シャインの『天使の微笑み』は、相手を殺せるほどの力を持つらしい。
『天使の微笑み』……天使が笑うと相手を一時的に困惑、混乱、陶酔等の異常状態にさせてしまうため、天使が滅多に笑わない理由にもなっているその笑みのこと。個体差はあるが、天使の最高指揮官であるミカエルを除いて、『天使の微笑み』は相手の意識を異常状態にさせるのみの効果しかない。そのはずなのだが、シャインはその美しさと、笑った姿を誰も見たことがないことから、もしやそうなのでは、きっとそうなのでは等々噂が広がりついには相手を殺せるなんて話になってしまった。
とはいえ、レナードも知っていたのは噂のみ。新聞に載っている写真を見てシャインの顔立ちを覚えていただけで、初対面である。
「……まぁ、アンタは人気者だからな。一休みか?」
「ああ……こういう賑やかな場は苦手でね。キミは?」
「俺もそんなに。」
「せっかくだ、名前を聞いても?」
「……レナードだ。」
「え、レナードって、あの?」
あのってどの? と聞きたくなったのは伝わったらしい、シャインが「ほら、」と。
「幻惑魔レナード、魔法の腕はマモンすら敵わないほど巧くて、幻覚を見せることに関して言えば悪魔界トップだって聞いてるけど?」
「そこまで言われてるのか? もはや自分の話だとは思えねぇな。」
「ということは、やっぱり君があのレナード。」
「人気者に覚えてもらえてるのはありがたいこったな。」
煙草を吸って息を吐く。煙が風に乗って運ばれていくのを横目に見ていたら、レナードの隣にシャインが寄ってきた。こっちに来るのかよとは思ったが、レナードはなんとはなしに尋ねた。
「……じゃあ、どうしてアンタはここに? 招待されたのはわかるが。」
「ボクはウリエル様の付き添いだよ。それがボクの仕事だからね。」
「仕事人だな。」
「よく言われる。キミは? どうしてここに?」
「……アスモデウス様に付き添いで来いって無理やり連れてこられたんだ。流石に嫌とは言えなくて仕方なく。」
「ああ……上下関係厳しいらしいもんね、悪魔って。」
そこまで言って、レナードはシャインを眺めた。確かに美形だ。すっとした鼻筋、伏目がちの金色のまつ毛と、小さく薄い口元……確かにモテるだろうと思う。清純派と言うのだろうか。それでいて笑顔によって相手を殺せると言われてもなんら不思議には思わないくらいには美しい。誘惑的なアスモデウス様とはまた違った美しさだ。できることなら……この美しさが歪むのが見たい。
この顔が快楽に沈むのが、見たい。
「……」
そう思っていたら、黄金色の瞳がこちらを向いた。どきりとしたレナードに、シャインが言った。
「……ねぇ、もし、よかったらなんだけど、」
「あ?」
「キミの今夜を、ボクにくれないか?」
レナードは一瞬意味を理解できなかった。だがその言葉を咀嚼して、まさかそんなことを言ってくるとは思わなかったから、思わず聞いてしまった。
「俺を抱きたいって言うのか?」
「折角遠回しに言ったのに……ムードがないよ、レナード。」
「アンタ何言ってるかわかってんのか?」
「わかってるよ。」
「俺は悪魔だぞ?」
「わかってるよ。」
「いや、いや、そうじゃなくて、」
110年前の天魔大戦のことは、今も尚魔族の間で語り継がれている。天使と悪魔の間で起きた大戦争。悪魔が天使を滅ぼそうとしたのが始まりで、戦争は約400年続いた。しかし天使側も悪魔側もダメージが大きく、和平会談を行い和平協定を結んで終戦。しかしそれから110年経った今でも天使と悪魔の間には軋轢が残っており、関係は冷え切っている。仲良くするどころか、同じ空間に存在していることすら虫唾が走る関係性だ。レナードは悪魔も天使も総じてクソだと思っているためそんな魔界事情は気にしていないが……それでも形式上、ここにいるのは天使と悪魔。このベランダで悠々と話しているだけでも異常事態なのに、この天使は何を言ってるんだ。
「俺は悪魔だ、そしてアンタは天使だ……どういうことかわかってるよな?」
「わかってる。はっきり言おうか、その上で口説いてる。もしキミが、既にボクに幻覚を見せているのなら、それでもいい。キミと一夜だけ、共にしたいって……願っちゃダメ?」
ス、とシャインの手がレナードの腰に回る。ダメ? じゃなくて。いや、確かにレナードはこの天使のあられもない姿を想像した。正直言ってクるものがある。唾を飲んでしまう。見たい、この天使が顔を歪める様を。食いたい、この天使の満足感を。
そう思ったら堪らなくなったレナードは、煙草の火を消して向き合った。距離も少し詰めた。シャインが少し驚いたように。
「……抵抗しないの?」
「求められて応えないわけにはいかないからな。だが味見くらいは……先にしてもいいよな?」
間近で見てやっぱコイツ綺麗な顔だなと感想をこぼしつつ、レナードはシャインに口づけた。ふっと離れたはずのレナードだったが、シャインの方からちゅ、とキスされて。触れるだけだったそれを、食んで、合わせて、少しずつ深度を深めて。腰に回る手が強まる。舌を擦り合わせ始めたのはいつだったか。粘膜が擦れる度に体内の魔力が相手のものと混じって、その感覚が凄く、イイ。シャインの魔力から香る蜂蜜のような匂いもまた、そそられる。
「ん、っ、」
久々の食事にくらりと来て、相手に縋ってしまう。体幹が強いのか動じないシャインが言う。
「……大丈夫か? もしかして食事、久しぶり?」
「……だったらなんだよ、」
「ボクだけで足りそう?」
「それはやってみねぇとわからねぇな。」
縋っていた手でぐっと相手を引き寄せて口を合わせる。ほとんど噛みついているような触れ合いにゾクゾクしながら。
「は……シャイン、この後の予定は?」
「先に帰ってていいって言われてる。」
「奇遇だな、俺もだ。」
その後も遊ぶようにキスをして、やっと離れてからシャインがレナードの手を取った。会場を出る。言葉は、いらなかった。




