36.ヘッセン家にて
エレオノーラの誘いから数日後。
迎えの馬車に乗った俺は、領主邸から十数分の場所にあるヘッセン家を訪ねていた。
領主邸にも劣らない規模の邸宅は見事の一言で、広々とした庭には手入れの行き届いた花々が彩りを添え、二階建ての重厚な館を際立たせている。
さすがはアーベントラントを支えた重臣の邸宅だなと見惚れつつ、馬車から降り立つと、玄関先では長身の男性がうやうやしく一礼を施しては、俺を出迎えるのだった。
「殿下、本日はご足労いただき恐縮でございます。ヘッセン家にとってはこれ以上ない名誉の日となりました。当主として御礼申し上げます」
当主……ということは、この男性がエレオノーラの父親であり、俺の補佐役を務めるはずだったルードルフか。
「頭を上げられよ、ルードルフ殿。日頃より世話になっているエレオノーラ殿からのお誘いなのだ。断るのは無粋というもの。厚かましくも、お言葉に甘えさせてもらうことにした」
「恐懼の至りでございます。ささやかではありますが、昼食ももうけております。お口に合えばいいのですが」
そう言って、ルードルフは顔を上げる。年齢は五十代といったところだろうか? 病の影響か頬の肉はそげ落ち、鳶色をした頭髪には白いものが目立つ。
しかしそれ以上に印象的なのは活力に満ちた瞳で、頭髪と同じ鳶色をしたそれは、未だ覇気を失っておらず、病床にあるとは思えないほどである。
半ば圧倒される思いに囚われている中、ルードルフは長い腕をすらりと伸ばし、さらに語をついだ。
「中へどうぞ。娘も、いまかいまかと殿下をお待ちしておりますので」
つい先ほどまでの形式張った挨拶とは異なる柔らかな口調は、エレオノーラを彷彿とさせる。
さりげない特徴に親子の縁というものを感じながら、俺はルードルフの案内のもと、ヘッセン家の邸宅の中に足を踏み入れ、そして新鮮な驚きを覚えるのだった。
「アルフォンス様……」
エントランスで出迎えてくれたエレオノーラが、淡い藍色のドレスをまとっていたのである。いつもは実務的なパンツルックに身を包んでいる彼女が、だ。
「私もドレスぐらいは持っております。……その、着飾ることだってありますわ」
ほんの少し頬を紅潮させるエレオノーラ。少しだけ余所行きの言葉遣いは見ていて微笑ましい。
「エレオノーラ殿。挨拶もなしに失礼した。頼りになる補佐官がいつも以上に美しく、見惚れてしまったのだ」
歯が浮くような台詞だけど、ここは異世界かつ貴族社会なのだ。アルフォンス君だったら、このぐらいさらっと言ってのけるだろう。
さらりと伸びた金髪に、見ているだけで引き込まれそうになる碧眼。もともと美麗だった人物が着飾ると、さらに美しくなるのかと感心してしまう。
「あの……、あまりじろじろ見られますと……」
いまや耳まで真っ赤にさせたエレオノーラの声で、俺は我に返った。格好いいお姉さんキャラでお馴染みといった彼女が、身体をもじもじとさせて、チラチラとこちらをうかがっているのである。
「娘のこのような姿を見るのは親としても新鮮ですな。これも殿下のご人徳でしょうか? なにせここ最近、寝ても覚めても口にするのは殿下のことばかり」
「お父様っ!」
「事実ではないか。お前ときたら、『今日はアルフォンス様にこうして差し上げた』など、毎日嬉しそうに……」
「~~~~~~っ!!」
最後まで話を聞くことなく、エレオノーラはきびすを返し、足早に奥へと消え去っていく。その後ろ姿を笑い声を押し殺して見送ってから、ルードルフは失礼しましたと頭を下げた。
「お見苦しいところをお目にかけました。久しぶりにはしゃぐ娘の姿が嬉しくてつい……」
父親としての顔をのぞかせるルードルフの声は優しく、俺は理想的とも言える親子の関係に微笑ましさを覚えるのだった。
……しかし。
あの分だと、エレオノーラ恥ずかしがって出てこないんじゃないかなあとも思えるわけで……。
せっかくのドレス姿なのだ。いつも以上に綺麗な姿をありがたく拝んでおきたいのが心情だろう? ほら、俺も男だし。
昼食には同席してくれるのかなあとか、そんなお気楽な思いが脳裏をよぎる中。
ルードルフと向かった食堂では、そんな楽観的な話題は無縁の重苦しい話題が場を占めることになるのだった。
***
「娘より殿下のことは常々伺っております。アーベントラント復興のためご尽力いただいていること、領民を心より案じてくださっていること……。心より感謝申し上げます」
食事を進めながらさりげなく切り出したルードルフは、ナイフとフォークをテーブルに戻し、ナプキンで口を拭った。
「最近ではすっかり暮らしが楽になったと、領民たちも喜びの声を上げております。これも殿下の見事な手腕あればこそ」
「いや、私だけでは何も成せなかった。エレオノーラ殿を始め、皆の力があってこそ。これからはルードルフ殿のお力もお借りしたい」
「ありがたきお言葉。ですが、私などより娘のほうが、よほどお役に立てるでしょう。これからもお引き立てくださいませ」
一拍置くよう、執事にワインを持ってくるよう伝え、二人きりになったことを確認してからルードルフは続ける。
「殿下。差し出がましいとは存じておりますが、一言申し上げたいことがございます。お聞き入れくださいますでしょうか?」
絶妙のタイミングで発せられた言葉に、俺は心の中で身構えてしまう。二人きりになったところで言われる、つまり諫言の類だろう。
「実は本日殿下をお招きしたのは、娘、エレオノーラから相談を受けたことが発端なのです」
予想だにしていなかった言葉に驚きを覚える。エレオノーラから相談を受けた? なんで?
「あれはそう、ひと月ほど前になります。帰宅した娘がいつになく暗い顔をしておりまして。詳しく話を聞いたところ、『暗殺の危険がある中、殿下が参内に向かわれる』と。『自分は殿下のお役に立てない』と、そう嘆いていたのです」
「…………」
「その言葉にヘッセン家当主として、私は情けない気持ちを抱きました。娘が奮闘しているにも関わらず、父である私は病床の身に甘え、その責務を果たせていないと」
「ル-ドルフ殿、それは……」
「ええ、わかっているのです。娘が私の身を案じていることは。しかしながら、聡明なれど娘はまだ若い。宮中での権謀術数に立ち向かえるほどの経験も人脈もないのが実情です」
戻ってきた執事が、俺とルードルフのグラスに透明な液体を注いでいく。満たされたワインに視線を送りながら、再び執事に出て行くよう伝え、ヘッセン家当主は口を開いた。
「恐れながら殿下。このルードルフ、宮中における殿下のお立場を理解しております」
「であれば、ルードルフ殿。どうか殿下という呼び方は止めていただきたい。私は庶子、ベルンハルトを名乗ることを許されない、アルフォンス・アーベントラントなのだから」
「いえ、それは違います。正当な血筋ではなくとも、殿下は王族の務めを果たされようとなさっております。もはや腐敗の続く貴族よりも、信頼の置ける実績を兼ねたお方こそ、国の将来を担っていただくのにふさわしいのです」
危険水準に達しつつある会話のせいだろうか、背中には汗が伝わっていく。暗殺未遂から危ない橋を渡ることなんてないだろうなとか思っていたのに、とんだ不意打ちだ。
調和のとれた料理とは対照的な、いささかスパイスの効きすぎた会話に、頭髪をかき回したい衝動を堪えつつ、反乱の勧めを匂わせるヘッセン家の当主をじぃっと見つめる。その瞳は正気と理性を保っているだけ、余計にたちが悪い。
倣うように、ナプキンで口を拭った俺は、話題の軌道修正を試みた。
「ルードルフ殿の言、しかと胸に刻もう。しかし、いずれにせよ私には荷が重いな。なにせ、この領内を再興することだけに手一杯なのだから」
「問題はそこなのです、殿下」
「……?」
「アーベントラントが再興を果たす。それは願ってもないことです。ですが、豊かな土地を狙う者はどこにでもいるもので。それが宮中であれば余計に」
そこまで言うと、喉を潤すようにルードルフは白ワインを口に含んだ。……決して声には出さないものの、ミヒャエルやエーミールのことを示しているらしい。
「なるほど。それでは伺うが、アーベントラントの忠臣たるルードルフ殿はどのようにお考えか?」
「敵の敵、すなわち味方を作るのです、殿下。志は異なれど、いまの宮中に対する思いを共有する仲間が増えれば、それが殿下をお守りすることにつながるでしょう」
……俺、王侯貴族が嫌いって、そんなに態度に出てたかなあ? 周りから見たらそんな感じに思われるのだろうか? まあ、嫌いなことには違いないんだけどさ。
これからはもっと自重しようとか、そんなことを思っていた矢先、ルードルフはこんなことを言い出した。
「そこでです。殿下に紹介したい男がいるのですが。実は私の古い友人でして」
「ルードルフ殿の友人とあれば、素晴らしい人物なのだろうな」
「…………」
俺の言葉に口をつぐむ。そして、数秒間の沈黙の後、ルードルフはにこやかに続けた。
「人格者ではありませんが、愉快であるのは保証いたします。どうかご安心ください」




