22.あなたの最期
◇◇◇
キスをして、抱きしめて、お互いの存在を感じ取った。
1番記憶の濃い1日だった。
…1日、また1日と、時間は俺たちを待ってはくれない。刻一刻と、別れの時間は迫ってくる。
嫌だ嫌だと心の中で何度も駄々を捏ねたのは、子供の頃以来のことだと思う。
ひっくり返すことの出来ない砂時計を手渡されたような感覚。
俺の方を見向きもしなかったやつらに嫌だと駄々を捏ねたところで相手にされないのは目に見えてる。
散々学んできたことだ。
今俺が嫌だと駄々を捏ねてる相手は、言わば神だろうか。つむぎをこんなにも短命な運命にした神に、俺は無意味にも駄々を捏ねている。
神も結局、俺の方を見向きはしないのだろう。
そんなこと、物心ついた瞬間から分かってた。
だとしても、縋らなきゃやってられねえんだ…
日に日に弱っていくつむぎを見るたびに、俺の心臓も、締め付けるような痛みを覚えるようになった。
とうとう、酸素マスクを必要とするくらい、つむぎは呼吸が弱くなった。
呼吸をするのもキツそうだ……
だからって、俺には何も出来やしない。
側にいるって約束したのに、面会の最終時間まで、つむぎの手を握ることしか…出来ない。
時折りつむぎと目があって、その度に、つむぎは心から嬉しそうな表情をする。
辛い、苦しい、怖いと。言葉にしていいはずなのに、泣いたのはあの日だけ。
つむぎの心情は分からない。
症状が重くて冷や汗をかいてるときも、つむぎは泣かない。むしろ、笑顔を見せる。
でも、それでも…、どれだけ強い思いがあっても、時間は1秒たりとも止まってはくれない
入院して3ヶ月を過ぎようとしていた夜中、電話が鳴った。
滅多に鳴らない家の電話は、何か不吉な音のように感じた。
それが的中するかのように、電話の向こう側にいる人は告げる。
『夜中に申し訳ありません。柳薫さんでお間違いありませんか?』
「…はい」
ああ、お願いだ
お願いだから
どんな罰でも受けるから
だから
その先の言葉は言わないでくれ…
勝手に顔全体が強張る。
手は小刻みに震えてる。
動悸は止まらない。
過呼吸気味の呼吸は辛うじて酸素を脳に送ってる。
それでも、電話の向こうにいる人は、冷静に、残酷に、無慈悲に、俺に現実を見せてくる。
「櫻井つむぎさんは、今日が山場かもしれません…。最後に、柳さんに会いたいと」
そこで、電話を切った。
最近は、ご飯を食べる気にもなれなかった。
お風呂に入った後も、普段着を着てた。
夜になっても、ずっと眠れなかった。
ご飯を食べてる間に。
気を抜いてる間に。
寝ている間に。
つむぎに何かあっては、遅いと思ったから。
こんなことを聞けば、つむぎは怒るだろうか。…いや、むしろ怒って欲しい。
つむぎの声が聞きたい
つむぎに触れたい
つむぎを安心させてやりたい
つむぎの笑顔が見たい
つむぎと、もっとずっと一緒にいたい…
人生を救ってくれたつむぎを、幸せにしたい
つむぎに、『生きていて良かった』と思ってほしい
無我夢中で走った。
自分の足音すらも聞こえない。
思考は当に絶えている。
【つむぎ】、と…。
名前を反芻させることくらいしか、出来なかった。
足りない俺の脳は、彼女の名前を呼ぶことで、どうにか正常を保とうとしている。
「つむぎ、つむぎ、、つむぎ…!」
息を切らしながら、つむぎのいる病院の個室の横開きのドアを開けた。
目の前に広がるのは、担当医と看護師が必死につむぎに対して呼びかけている姿だった。
「つむぎ…!!」
俺の声が届いたのだろうか、つむぎは俺のいる方に目をやった。
すぐにつむぎの手を握った。
細い…
俺の記憶のつむぎの手と、今握ったつむぎの手は、細さも、温かさも、何もかも違った。
そして
これは現実だと、脳が理解した。
「つむぎ、ダメだ…頼む……」
「か、おる…さん……、だ、い…す、き」
呼吸の途絶える音
心電図の音
医師の呼びかけ
全ての音が、止まる
「俺も。大好きだ、つむぎ………。つむぎ、つむぎ、つむぎ、つむぎ…………ぁぁ…あ"〜〜_っ…!!!」
絶望の、音
◇◇◇
暗い…
世界が色褪せてるなんて、いくら言ったところで、比喩表現でしかなかった。
でも今は、どう足掻いても、この世界は白黒だとしか思えない。
無慈悲、残酷、不条理、理不尽
世の中には、そんな負の感情が蔓延している訳が、よく分かった。
神がいるとしたら、本当に自分勝手だと文句を言って、1発お見舞いしてやりたい。
勝手に人生不幸にして、勝手に幸せにして、また幸せを奪っていく。それならまだ、ずっと不幸の枠の中にいた方がマシだったのに。
何で、幸せを教えて、また不幸を思い出させるんだ?俺の幸せを奪っていくんだ?
しかも、初めて体験した不幸よりも、ずっと重い不幸を……
つむぎは、俺という人生を180°変えた。
俺が枯れた植物だとすれば、つむぎは植物に必要なもの全てだと思う。
枯れていた草木が蕾を出して、咲いて数分後に、急な雷雨に呑まれていくように、神は俺から幸せを奪った
どうやって帰った?
どうやって寝た?
どうやって1日を過ごした?
どうやって葬儀を終えた?
店長からは、1週間の強制休暇を言い渡された。
『こんな時くらい彼女の側にいてあげなさい』と。
どういうことだ?
意味が分からなかった。
つむぎはいないのに、つむぎの側にいる?
意味は分からない。でも、店長が言うのだから、きっとつむぎはいる。だから、休暇の間ずっと、家にいた。
つむぎは家にいる。…いるんだよ……
食事、睡眠、どうでも良かった。つむぎの側にいないと……。
仕事に復帰するまでは、ずっとつむぎの側で過ごそうとしてた。そんなとき、インターホンが鳴った。
顔を覗かせると、見覚えのある男が立っていた。
マンションのロックを外した。
玄関まで来る彼を、中に入れた。
テーブルに座ってもらって、棚に入ってた茶葉を取り出してお茶を注いだ。
「お久しぶりです。柳さん」
「えっと、片桐さん…。どうしてここへ…?」
「櫻井さんに頼まれていたんです。『私の葬儀が落ち着いたら、薫さんの様子を見てきてほしい』と」
「…つむぎが……」
なんともつむぎらしいお願いだな…。
つむぎの同級生だから、こういうことも頼めたんだろうな
流石だなと、つむぎに感心する。
「柳さん、つむぎから、あなたへと預かっているものがあります。それだけ受け取ってくれませんか?今日はそのために来たんです」
「?、分かりました」
手渡されたのは、少し…いや、かなり分厚めの白い封筒だった。
「…ありがとうございます」
「いえ、…柳さん。後を追ってはいけませんよ。生きてくださいね」
「…っ、はい」
少し返事に困ったが、とりあえず分かったと頷く。
片桐さんは、午後から仕事があるからと、お茶を飲み干してそそくさと出て行ってしまった。
残ったのは、分厚い白の封筒のみ。…いや、つむぎがいない現実も、置いて行かれた…
初めは、開けるか戸惑った。
中身が何かわからない分、開ける恐怖は増す。つむぎがいないと、改めて実感もしてしまう
でも、つむぎが残してくれたものだからと、30分の葛藤の末、封筒を開けた。
入っていたのは、二つ折りにされた何枚もの便箋。
その折られた端には、手紙を書き記したであろう日付が添えられてる。
…これは、入院した日からずっとか…?、どうりでこんないっぱいあるわけだよなぁ。嵩張るに決まってる…
手紙の数なんと約80枚以上
流石つむぎだ………
手紙は、書いた日付を記していた




