地球産3
リオ・ラヴァンシャールというのが、この世界で莉芳が名乗っていく事になる名前らしい。
(ラヴァン・シャアルね。やっぱり名前も似るのか……)
「リオさん、お屋敷に着きましたよ。身体は大丈夫ですか? 僕、支えた方がいいですか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう、ルツ」
突然倒れた(ように周囲からは見えた)リオの為に馬車を呼んできてくれたのは、リオの弟弟子であるという、ルツという名の少年であった。
リオより少し年下の少年あるが、リオよりも身長が随分と高く、子供ながらにすらりと長い手足にはしなやかな筋肉がついている事が服の上からでも分かる。
健康的に日に焼けた肌に、すっきりと鼻筋の通った顔立ち。煉瓦のような色の赤毛は背の中ほどまで伸ばされ、一本の三つ編みにされている。
そしてその赤毛からは、まるで犬のような大きな三角の耳が覗く。
『獣人を見るのは初めてなのか?』
精神体のリオは、身体は動かすことは出来ないようだが、五感などは共有されているらしい。
何度も視線がルツの耳に行くせいか、莉芳がルツを珍しがっている事は丸わかりになっていた。
『あ、うん、えっと、いや……』
莉芳は曖昧に返事を返す。
人間のような形の生き物に他の動物の特徴が濃いパーツが付いている存在には、莉芳は慣れているとえば慣れていた。
妖怪、妖精。只人の住まう世界に寄り添う異界では、それらの姿は当然であり、ありふれたものの一つである。
魔術師になるための修行を全て妖精の国で行った莉芳は寧ろ、そういった存在と共に過ごした時間のほうが、人の街で暮らした年月よりも長かったりする。
『私の世界では、人から離れてちょっと変わった場所に住んでたから……』
『獣人を隔離してる国から来たのか』
リオの声が少し冷えた。
獣人を差別しているのか、という非難が含まれているのに気付き、莉芳は慌てて弁解する。
『いや、そうじゃないよ。向こうでは昔から、人間との交流自体殆ど無い。元から住んでる場所が遠いんだ。お互いに、殆どお互いの存在自体知らなかったりする』
遠いというのは物理的な意味ではないが、第六感を持たず彼等を認識出来ない只人からすれば、それこそ次元の壁があるかのように遠い。
異界という名でそれらが呼ばれているのは、かつてそれらが本当に異世界だと思われていたためだ。
(異界が無いのかも? うーん、異世界って感じするなあ)
リオが納得したような気配を見せたので、莉芳はほっと息をついた。
「リオさん?」
「ああ、ごめん、ルツ。すぐ降りる」
既に馬車から降りていたルツに呼び掛けられ、慌てて外に出る。
『わあ、お屋敷って感じだなあ』
莉芳がやって来たのは領主の館であるとの事であった。
あまり高さのない建物ばかりが並ぶ町の中の景色と比べ、馬車を降りた先にあった洗練された半木骨造の建物は、窓や柱の装飾が凝っており高級感がある。
城というほど巨大でもなく、まさしく『屋敷』と呼ぶのにふさわしいものだろう。
そしてリオとルツは、どちらもこの屋敷の住人であるという。
『二人のどっちかが領主の家族だったりするの?』
『いや、違う。ルツの叔父上であり、俺達の師であるナイン様が領主専属の星読み師なんだ』
『星読みか。異世界の星の事は分からないから、私はあまり役にはたてなさそうだね』
星読み、つまり、占星術師の事である。
莉芳は魔術師として占いも一通りの事を修めているのだが、星の配置そのものが地球と同じとは限らない異世界では、占星術は使えない知識の筆頭になるだろう。
『視界は俺にも共有されてるんだ。莉芳は俺の言う通りに視界を動かしてくれればいい』
『ああ、そうだね』
リオに返事をしながら、記憶の統合もあると思うが一応リオの星読みを覚えておこう、と莉芳は決めた。
同じ魂の持ち主は一つの世界には存在しない。
融合した二人の人間の記憶や人格がどういう風に統合されるのかは研究できておらず、通例は存在しない。
いつか突然、莉芳かリオの人格や記憶が無くなってしまう可能性も無くはないのである。
そんな事を考えながら、莉芳はルツに連れられて、ベッドと机、後は本棚がみっしりと置かれている部屋へとやって来た。
四畳分も無い小さな部屋だ。
そのせいで、壁一面を陣取る本棚の圧迫感が余計に強く感じられる。
「さあ、リオさん。ベッドを用意させておきましたので、今日はもう休んで下さい」
ルツはその恵まれた体格を十分に活かして、莉芳を問答無用で整えられたベッドに押し込んだ。
「え、ちょっと、大丈夫だよルツ」
「だめですよ、突然倒れたんですから。普段からリオさんは根を詰めすぎているので、今日は休んでもらうにもいい機会です!」
そう説教するルツのあまりの剣幕に、思わず莉芳は「はい」と言ってしまうのであった。
『屋敷の中を少し把握しておこうと思ったんだけど、まあ良いか……。リオ、後で教えてくれる?』
『ああ、いや、俺が普段からルツに心配を掛けていたのが悪かったんだ。屋敷については実際に歩く時に説明する。……身体を動かしたりする必要が無いからか、俺の方は少し暇なんだ』
リオが根を詰めすぎだったというのは本当の事なのだろう。
ベッドに横たわると、すぐに眠気が襲ってきて、莉芳は一気に眠りの中に引き込まれていった。
◆
数刻後。
人の気配を感じ、目を覚ました莉芳はもぞりとデュベから顔を出した。
「起きたのか。倒れたと聞いたが、頭痛などは?」
莉芳の傍らには、ルツをそのまま大人にしたかのような、穏やかそうな獣人が立っていた。
彼がリオとルツの師であり、ルツの叔父である事は一目瞭然であった。
『リオ、この人の事なんて呼んでる?』
『師匠だ。名前はナインだ、覚えておいてくれ』
『了解』
短く頭の中でリオとやり取りし、莉芳は「大丈夫です、師匠」と返事をする。
莉芳が身体を起こすと、ナインはコップに注いだ水を渡してくれた。ありがたく飲み干して息をつく。
「怪我は無いのか」
「はい。特に痛む所もありません」
「幸運だったようだな。まあ、無事で何よりだ。これに懲りたら無理はしないように」
「はい、もうしません」
こっくり、神妙に頷く莉芳。
莉芳としては、身体を壊すほど無理をして勉学に励むつもりは全く無かった。
元より莉芳はこの世界には逃亡のために訪れたのであって、特に目的などは無い。身を打ち込まねばならない理由は莉芳には無いのである。
そして今となっては、リオの身体は莉芳の身体。しかも、莉芳の意思で支配されている。
リオが何らかの理由でこれまで通りの無茶を望んだとしても、最終的に休息を取る判断を下すのは莉芳の意思によるものとなる。
リオから奪った形となった自分の身体をわざわざ追い詰めるような真似などしたくはない、というのが莉芳の考えだ。
「今夜の星読みは出来そうか? ここ暫く、夜空に雲が掛かっていていたせいで星が見られずにいたからな」
莉芳が窓の外を見ると、既に日が落ちかけていた。
(様子見がてら迎えに来てくれたって感じかな? 良い師匠だなあ。私とは大違いだ)
基本的に莉芳には押し掛け弟子ばかりしかいなかったため、莉芳から積極的に何かを教えたり、彼等の面倒を見るような事はほとんどなかった。
大抵、弟子は行き詰まると莉芳の元へ来て知りたい事を聞くだけ聞いて返っていくとか、莉芳の魔術を熱の篭った視線で舐め回すように観察するだとか。
そうして教わる事が無くなったと判断すれば、卒業したと言って去っていくのである。
「行きます。大丈夫です。すぐに支度します」
莉芳が心持ち元気よく返事を返すと、ナインは微笑みを浮かべてこっくりと頷き、
「きちんと厚手の服を着るんだぞ。私達獣人程ではないとはいえ、リオだって寒さに強いというわけではないんだからな」
と、衣装箱を開いてぽいぽいと服を何枚か莉芳へと投げた。
莉芳は素直にそれを聞きいれ、袖から腕を引っ込める。
すると、じめっとした感覚が手に伝わってきた。
(ん……? あ、汗かいてる。肌着も変えておいた方が良さそうだな)
寝ているうちに汗をかいたのか、服の中がベタついている事に気付いた莉芳は、身体を拭いてから着替える事にした。
手早く済ませますので、とナインにことわって彼に部屋から出てもらう。
(とりあえず、水差しの水を布に含ませて拭けばいいか)
そう考えてリオに布はあるかと話しかける。
『あるぞ。けど、何に使うんだ?』
すぐに返ってきたリオの声はキョトンとしていた。
『え、何って、身体を拭くのに』
何故そんな事に呆気にとられるのかと、莉芳の方が驚いてしまう。
だが、それに対して戻って来たリオの返事は、驚かせるどころの話ではない衝撃を莉芳に与える事になる。
『身体を拭く? ……水属性魔法で流せばいいだろ、何言ってるんだ?』
『………………は?』
ま ほ う?
リオから当然のように出て来たその単語に、莉芳の頭は真っ白になった。




