地球産2
ちょっと考えなしだったかもしれない。
凄まじい勢いで空中から落下しながら、莉芳は血の気の失せた頭でそんな事を思った。
転移先の状況がどうなっているのか考えなかった訳ではないが、『人間と同じ魂を持った存在が集まる場所』が指定されているのだから地上、悪くてちょっと地下だとか、ほんの少し程度上空だろうとあまり気にしていなかった。
が、空間的な相違は寧ろ少なかったようである。
つまり、莉芳は地上八階建ての屋上から飛び降りたような状況にあった。
ぐんぐんと地上が近付いてくる。
コンクリートではなく石畳で舗装された道に、高さの無い、地味な色合いの建造物の列が見える。
莉芳としてはそこそこ見慣れている、ヨーロッパの古い田舎の町並みのような光景だ。
落下死を思ってか、莉芳の身体はがちがちに強ばり、不安定な体勢に足がゾワゾワし始めた。
このままの勢いで道か何かの屋根かにぶち当たる自分の事を考えて、莉芳は白目を剥く。
魔術師と言えど、備え無しには魔術の行使は難しい。
何のアーティファクトも無しに、身一つでは飛べないのである。
魔術と奇跡は別の話なのだ。
古式ゆかしい魔女の術体系に属していれば話は違ったかもしれないが、そもそも莉芳は箒を持っていない。当然、絨毯も無い。
そんな訳で、莉芳はこのまま落ちるしかなかった。
「~~~あああああああああ避けて避けて避けてええええええ!!」
せめて他の人を巻き込んではいけないと喚く莉芳の真下で、何だ、と誰かが顔を上げる。
(えっ、)
莉芳は呆気に取られて、思わず声を引っ込めた。
自分が居る。
ぽかんとした表情で地上から見上げるその人は、どう見ても莉芳と全く同じ顔をしているのである。
恐らく向こうも同じ事を思ったのだろう。
莉芳が驚くのと同じタイミングで、相手もぎょっと目を見開いた。
莉芳は、再び叫ぶ暇もなく、その人間に引き寄せられるようにまっすぐに落ちていった。
けれど身構えていた衝突の衝撃は訪れない。
「う…………うう?」
気がつくと、莉芳は地面に倒れていた。
何が起こったのか、と混乱しつつも、何故か着地しても無事に五体満足でいられたらしい身体でふらふらと立ち上がる。
キーンと酷い耳鳴りがして、強い目眩を感じた。
「リオさん! リオさん、どうしたんですか!?」
倒れそうになってよろける莉芳だったが、誰かが慌てて莉芳の身体を支える。
(なに……誰だ、リオって?)
くらくらする頭を抑えれば、身体を支える誰かは「倒れたときに頭を打ったのですか!?」と更に莉芳へ質問を追加した。
「屋敷に戻りましょう、リオさん。僕、今、馬車を呼んできます!」
「え? いや、ちょっと待っ……」
状況が呑み込めないでいる莉芳の静止にも構わず、その誰かは莉芳を道の端に立たせると、あっという間に何処かへ走り去って行ってしまう。
「人違いされてる……? あ! そういえば、ぶつかった人は……」
確か自分そっくりの人間とぶつかった筈だ。もしかすると、ぶつかった瞬間に相手が飛ばされてしまったのかもしれない。
あれだけ似ているのだから、その人と間違えられてるんだろう。
そう考えて、目眩の収まってきた莉芳はぐるりと周囲を見渡した。
しかし、通りには何も無かった。
ただ通り過ぎて行く人々が、道端に立つ莉芳に心配そうな目を向けたり向けなかったりするだけで、人が倒れているとかそういった様子はどこにも無いのである。
「これは……もしかして……」
莉芳はひくりと顔を引き攣らせた。
そしてその瞬間、耳の奥を直接震わせるかのように、頭の奥で誰かの声が響き渡った。
『ぅ……あ……あれ、俺……今、人が落ちてきて……んん?』
莉芳は恐る恐る、自分の胸元をぺたりと触る。
予想とは全く違う感触が手の平へと伝わってきて、ばっと手元を見た莉芳は再び白目を剥きそうになった。
服が違う。着けていた筈の装身具も無い。
…………見下ろした先には、見慣れない伝統衣装のような、布地の多い紺色のローブ。
先程自分の真下にいた、莉芳そっくりの顔をした人のものであった。
「やってしまった……」
呆然とした呟きが莉芳、否、リオの口からこぼれ落ちた。
『え……なんだ、これは……!? 俺に何が起こってるんだ!!?』
頭の中ではすぐにこのおかしな状況に気付いて混乱の声が上がり始める。
どうやら、この『リオ』という人物と融合してしまったらしい。
しかも莉芳の意識がリオの意識を抑えてその身体を乗っ取るという、最悪のかたちで、である。
(あー、まずい。まずいよこれは。とにかく、最初にするべき事は……)
更に顔を引き攣らせつつ、莉芳はまずは頭の中で盛大に混乱の声を上げているリオを落ち着かせる事にした。
頭の中で別の人間の意識がパニックを起こしかけている。
それはつまり、強制的に二分割された思考が多少冷静な方の思考を邪魔している状況であった。
リオが完全にパニックになれば、取り返しがつかなくなるだろう。
現在身体を動かしていて、より状況の把握をしている莉芳の思考が働かなくなれば、『リオ』の肉体がどんな動きをするか分からないし、一向に状況の把握できないリオはますます混乱する筈だ。
そうなる前に、と莉芳は意識をなんとか集中させ、頭の中のリオへと声を掛ける。
『えっと……もしもし、聞こえる?』
『うわっ!? 何だ、え!! 俺の声!? どっ、どこから……?』
当然のように、莉芳とリオは声もそっくり、というより、ほぼ同一の声をしていた。
急に聞こえて来た莉芳の声にリオはかなり驚いたようだったが、とりあえずパニックは収まったようである。
『あの……ごめん。そんなつもりは無かったんだけど、不幸な偶然によって君の身体を乗っ取ってしまったみたいだ。本当に申し訳ないと思ってる……』
『は? 俺の身体を、乗っ取る? 何言ってるんだ……? それに、一体お前は誰だ?』
『白門莉芳。別の世界から来た…………十中八九、異世界において君に相当する存在だ』
困惑するリオに、莉芳は努めて冷静に自分の事と現状を説明しようとした。
『……リオウ? 異世界の、……俺?』
当然ながら、うまく事態が飲み込めないでいるらしいリオから、数秒遅れでそんな声が返ってくる。
『うん、そう。でもちょっと語弊があるかもしれない。同じ魂を持った存在ってだけで、完全に同一存在という訳じゃないんだ。えっと、そう、たとえるなら紙に染み込んだ水だ。別々の紙に染み込んだ水は、その時点においては別の水だろう? でももし片方の紙に、もう一つの紙に染み込んでいた水が移ったとすれば、それらの水は区別がつけられなくなり、存在は統合されて単一の水として認識されるだろう。私達はそういう存在なんだ。だからつまり、その……』
今は私達は混ざり合って完全な同一存在と化したよ、などとは続けられず、莉芳は口籠った。
リオから明らかに莉芳の説明を受け止めきれていない気配が感じられたからだ。
まいった、と莉芳は結局頭を抱え込む。
不幸な事故には違いないが、原因は莉芳がこの世界へとやって来た事だ。
それに意図せずではあるが莉芳はリオの肉体を乗っ取り、その人格を宿す精神体を内側に拘束している状態でもある。
だが、そもそも融合してしまった時点でリオは莉芳であり、莉芳はリオなのだ。
既にそこには区別など存在しなくなってしまっているのである。
『……分かった。到底受け入れられないけど、とりあえず現状は分かった。俺からの望みは一つだ。俺の今までの生活を突然壊すような事だけはしないで欲しい。頼む……』
リオも敢えて莉芳が言わなかったところまで理解してしまったのだろう。
莉芳を糾弾する事も無く、静かにそう言ったリオの声は、打ちのめされたかのような悲壮なものであった。
『勿論、約束するよ。それにおそらく、君の感情に反する事は出来ないだろうから、そこは安心してもらても良いと思う』
『そうなのか?』
『誰だって自分の感情に抗うのは難しいさ』
リオがようやくほっと安堵するのが伝わってくる。
同一の存在になったとはいえ、莉芳とリオの人格は完全に独立したままの状態だ。
やはりリオの実感としては、莉芳によって突然身体を乗っ取られたに等しいものであった。
(まあ、特に目的もやることも無いしね。こっちに来たのは弟子から逃げる為だし……向こうに戻る気もあんまりしないし、寧ろこれで良かったのかもしれないな。リオとしてこの世界で生活すれば良いんだから)
人格が分離しているままなので罪悪感はあるが、莉芳は少々強引だがポジティブにこの状況を受け入れる事にする。
(まあでも、リオの人格の事に関しては少し考えておこう。多分時間経過で統一されるとは思うけど、万が一されなかった時には交代出来るようにしといた方が良いだろうし)




