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地球産魔術師の異世界だらだら逃亡旅行記

 白門(しらかど)莉芳(りおう)は溜息を吐いた。


 遥々南米の南端から東廻り航路で母国日本にまで移動してきたというのに、向かいのビルの屋上庭園で見飽きた顔がきょろきょろと何かを探し回っているのを見つけてしまったからだ。


 はあぁ……。莉芳はもう一度溜息を吐いた。


 その男は莉芳のかつての弟子であった。

 今はすでに一人立ちして、自分の研究をするなり、莉芳のように自分の弟子を育てるなりする立場にある。


 つまり、その男が莉芳をこんな僻地にまで探しに来ている状況は明らかにおかしな事なのだ。

 どう考えても面倒な予感しかしない。


 魔術師のカンというのは、一種の未来視のようなものだ。

 莉芳は自分の魔術師としてのカンをそれなりに信用していた。虫の知らせ、精霊の囁き。それらを聞き取る霊的な感受性(シックスセンス)は元々高い方だったし、必要に迫られて修行時代にも散々磨き上げたという自負がある。

 即ち、弟子に捕まれば面倒で楽しくない何かが待ち受けているのは確実である。


 どうするかなあ、と莉芳はじとっとした半眼で自分を探し回る弟子を見下ろした。


 英国にある魔術師達のギスギスした共同体から姿を眩ませて(莉芳本人はそれを隠居したと考えている)、ここ暫くは世界各国を気の向くままにぶらついていた。

 人里から離れていた年月のうちに、世の中に起きた変化を見て周りたいと考えての事だ。

 ……そもそもなりたくて魔術師になったわけじゃないんだけど、と莉芳は昔を思い出してちょっと遠い目になる。


 生まれたときから人より少々優れていた霊的感受性。

 それのせいで海外旅行に出かけた先で異界に迷い込んでしまい、魔術師にならなければそこから出てこられなかったのだ。選択肢など無かった。

 日本で生まれ育ったゆえに、神隠しなどの異界へ踏み込む状況にはかなり気をつけていたが、流石に海外の妖精の国の事までは考えてなかったがための、人生最大の失態である。


 相変わらず向かいのビルできょろきょろしている弟子は、確かまだ共同体にズブズブだった筈だ。

 何故か莉芳の弟子たちは、莉芳と違って魔術師になりたくて押し掛けてきた連中ばかりであった。


 魔術師というものは、全員研究者みたいな存在の筈なのに、プライドと社交性に関しては上昇志向のサラリーマンみたいな奴が多いのだ。

 何が楽しくて他の魔術師と張り合うのか、莉芳としてはさっぱり理解できないのだが。


 捕まったら、絶対にあの面倒すぎる共同体に連れ戻されるのだろう。

 莉芳は更にもう一度、深々と辛気臭い溜息を吐いた。


 戻るのは御免だが、かと言って弟子の追跡を気にして逃げ回るのも面倒くさい。

 なにしろ相手は魔術師だ。年月の感覚においては、気が遠くなるほど気の長い性質なのである。

 何の用があるのかは知らないが、相手が諦めるまでに一体何年逃げ続ける必要があるのか分かったものではない。


「……んー。こうなったら、しょうがないか。あいつらがちょっとやそっとじゃ来られないところに逃げてやるしかないよなあ」


 小さく呟いた莉芳は背負っていたリュックサックからごそごそと宝珠のような丸いものを取り出すと、両手でぎゅっと握りしめた。

 呪物(アーティファクト)、俗な言い方をするとマジックアイテムである。


 早速それを起動させようとしたところ、莉芳の足をぺしぺしと何かが軽く叩いた。


「ん?」


 莉芳が見下ろした先には、小さな女の子がいた。

 まだ七つにも満たないその幼女は、興味津々といった表情できらきらとした視線を莉芳の持つアーティファクトへと向けている。


「ねえねえ、それ、なあに?」


 迷子かな、と一瞬思った莉芳だったが、すぐ近くで子供を探している夫婦がいるのに気が付いた。

 これなら心配は無さそうだとホッとして、アーティファクトの起動を開始する。


「これ? これはね……魔法の石だよ」


 カチ、カチ、と莉芳のみが知っている手順で呪物に嵌め込んだ枷のような金属部分を操作すると、歯車のような機構が幾つも回り、宝珠の中心が光を灯す。


「まほー?」

「うん、そう。これを使うと、異世界……別の世界に行けるんだ」


 かこん、かこん、と小さな音を立てて歯車が回るたび、宝玉の光が強くなっていく。


「なにそれ、きれー! わあ! いま、ピカってなった! …………え、あれ?」


 歓声を上げて喜んだ幼女は、一瞬の後にぱちりと瞬きをした。

 そうして、きょろきょろと辺りを見回しはじめる。


「あれ? どこいっちゃったの?」


 すぐ目の前に居た筈なのに、突然話しかけた相手の姿が消えてしまった。

幼女は不思議そうに首を傾げて、両親が駆け寄ってくるまで、目の前の空白を見つめていた。

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