微生物学研究室
今回は往復の航空券が購入できたので、長距離バスに乗らずに済んだゴパルであった。
空港へ出発する前に、大学の微生物学研究室へ立ち寄ったのだが、クシュ教授が出迎えてくれた。
彼はネワール族なのだが、ベンガル人風のルンギ姿のままだ。新たに購入した中古のキーボードを、中指一本連打で痛めつけながら、にこやかな笑みをゴパルに向けた。工事現場のような音がしている。
「ニジマス養殖の病気対策だがね、今は水産研究室の担当だよ。彼らの手に余るようであれば、僕達の出番になるだろうけれどね。ま、しばらくは低温蔵の建設に専念してくれたまえ、ゴパル助手」
ゴパルが思わずジト目になった。
「やはり、担当する可能性はあるのですね……仕事が増える一方ですよ、クシュ教授」
クシュ教授が太鼓腹をポンと叩いて笑った。
「その点は考えてあるよ。色々な研究室や研究機関のリソースを使えば、問題無い」
ゴパルが渋い表情になった。
「それって……他の研究室や、外部の政府系研究機関を、こき使うという事ですよね。微生物学研究室の評判が悪くなりませんか? 彼らも忙しいですよ」
クシュ教授がニンマリと微笑んだ。
「低温蔵を使わせてあげると言えば、どこも協力するよ。停電で冷蔵庫が使えなくなると、どこも困るからね」
ゴパルがジト目を続けながら、自身のパソコンの電源を切った。これでポカラへ向かう準備が完了だ。
彼が担当している研究は、博士課程のラメシュ達に申し送りをしてあるので、問題無く進むだろう。
「さすがですね。抜かりが無いというか、何というか。では、そろそろ空港へ向かいます」
そう言って、キャリーバッグを手にしてから、クシュ教授に振り返った。
「今回は、ポカラ土産は不要ですか?」
クシュ教授が、コーヒーを淹れに台所へ向かいながら、見事にハゲ上がった頭を片手で撫でた。
「そうだな……それじゃあ、黒カルダモンを半キロほど所望しよう。肉料理に使えて便利なのだよ」
ゴパルが首をかしげた。
「黒カルダモン……ですか。緑色のカルダモンじゃ無いですよね」
クシュ教授がコーヒーを淹れながら、呆れた表情になった。
「緑じゃないぞ。黒だ黒。ま、実際の色は濃い褐色だがね。東ネパールで大々的に栽培しておるよ。ちょっと今は、東のツテが乏しいのでね。西ネパールのポカラでも栽培しているはずだ。ちょっと探してきなさい」
ゴパルの故郷はカトマンズ盆地の東なので、中央ネパールに位置する。そのため、黒カルダモンには縁が無かった。
緑色のカルダモンも、もっぱらテライ地域やインドから乾物として、店先で売られているのを知る程度だ。
何か釈然としない気持ちになりながらも、ゴパルが素直に了解した。
「はい、教授。では、行ってきます」




