バラジュ地区
ポカラから今度は飛行機で首都へ戻ったゴパルが、バラジュ地区の家に戻って来た。
キャリーバッグをタクシーから下ろして、家の前で背伸びをする。
「うーん……ダサイン大祭が終わると、空気がまた排気ガス臭くなってくるなあ。砂塵も多く舞っているし」
まだガソリンやディーゼルエンジンを積んだ車やトラックが多いので、仕方が無い。首都カトマンズは盆地の中にあるので、なおさら空気が滞留しがちだ。
タクシーの後部座席から外を見ていた際には、道行く人達や自転車に乗っている人達の多くが、マスクをしているのが見受けられた。ゴパルが乗ってきたタクシーはエアコンが壊れていたので、前後の窓を全開にして走行していた。
そのため、カトマンズの空気は十分に吸っていたのであるが。それでも、車から降りると実感せざるを得ない様子だ。
早く電気や燃料電池式の車に置き換わらないものか、と思案していると、家の門扉が開いた。
もちろん自動開閉では無く、ゴパル母が開けてくれたのであったが。
「こらゴパル。そんな所で、ぼーっと突っ立ってるんじゃない。さっさと家に入りなさい」
「はい、かあさん」
ちょうど午後二時過ぎになっていたので、早速サラダを作ってみるゴパルであった。
冷蔵庫にはサラダに使える野菜が色々とあったが、足りない分はバラジュ地区にある小さな市場で買ってきた。
ろ過した水道水で葉野菜を洗い、煮沸して五十度まで冷ました湯でもう一度洗って、ザルに上げる。ザルから水気が抜けるのを待つ間に、ドレッシングを作る。
ゴパル母と女の使用人が、ゴパルのサラダ作りを眺めながら、感心した表情になっていった。
「へえ、やるじゃないのゴパル。ちゃんとニンジンも千切りにしているわね」
ミキサーにかけて完成したドレッシングを、ゴパルが皿に盛ったサラダの上にたっぷりとかけていく。少しドヤ顔になって答えた。
「私も日々、こうして進化していますからね。はい、出来上りました。いただきましょう」
居間ではインドドラマが始まったので、三人で移動する事になった。
大皿にサラダが盛られているので、小皿に三等分して分ける。ゴパル母がチヤを沸かしたので、それを飲みながら、ゴパルがサラダを口に運んだ。
その顔が曇った。
「……あれ?」
ゴパル母と使用人も、サラダを一口食べて怪訝な表情に切り替わった。
「ゴパル……サラダというより、温野菜になってるぞ、コラ」
使用人が、目を閉じてつぶやいた。
「茹で過ぎましたね、これは」
頭をひねりながら、サラダを食べるゴパルである。
「おかしいな。手順は完璧だったのに」
ゴパル母が、ジト目のままでサラダを平らげ、チヤを飲み干して立ち上がった。
「ゴパルが持って来た温度計が狂ってたんじゃないの?」
「あ……」
調べてみると、ゴパル母の指摘通りだった。がっくりと肩を落とすゴパルである。
「な、なんて事だ。研究者のくせに温度計の校正を忘れるなんて。っていうか、温度計のセンサーが壊れてた」
ゴパル母がニヤニヤ笑いながら、息子の肩をバンバン叩いた。少し咳き込むゴパル。
「五十度って言う割には、湯気の量が多かったのよ。あれは、八十度くらいはあったわね」
ゴパルがジト目になって、母を見上げた。
「かあさん。知ってて黙っていましたね」
愉快そうにウインクするゴパル母である。女の使用人も笑いを堪えているのが丸わかりだ。
「さて、口直しに、果物盛り合わせにヨーグルトをかけて食べましょう。ゴパル、冷蔵庫の果物を適当に切って盛りつけなさい」
「はい、かあさん」
返事をしたゴパルが、冷蔵庫の隣に置いてあったクーラーボックスを思い出した。
「かあさん。クーラーボックスがあったけれど、何か買ってきたのですか?」
ゴパル母の機嫌が、一気に下り坂になった。
「フン。カブレの親戚からの贈り物よ。ニジマスの切り身が入ってるわ。これから数日間は毎日ニジマス料理になるから、覚悟しておきなさい、ゴパル」




