スプラウト談義
サビーナが水泳用のゴーグルをかけて、皮をむいた大きなタマネギを、すりおろし始めた。
「タマネギの辛味が好きじゃない人だったら、電子レンジに入れて少し加熱すれば、揮発成分がある程度飛ぶわよ。欧米の客には、辛味が嫌いな人も居るしね。私達ネパール人は、生のタマネギを食べるから、電子レンジは使わないけれど」
確かに、ゴパルが採集旅行で立ち寄る食堂では、生のタマネギの輪切りがよく出てくる。時期によっては、キュウリの輪切りや、生ニンジンや生大根の輪切りも出てくる。
ただ、こういった生野菜は、衛生上よろしくない場合が多いので、外国人観光客は食べない方が胃腸に良いだろう。
ゴパルが、生野菜を食べた事が原因で何度か腹痛や、駆虫剤の世話になった事を思い出した。
「生野菜は、確かに念入りに洗った方が良いですね。土が付いたままだったりしますし、寄生虫や病原菌、それに農薬や化学肥料の残りカスも心配です。水道水も大腸菌等で汚染されていますから、ろ過して沸かした水を使う必要がありますね」
サビーナがタマネギをすりおろしながら、軽く肩をすくめた。
「それでも不安だけどね。契約農家から買う方式にしたおかげで、かなり安全になったかな。カルちゃんが頑張ってくれてるし。それでも、少しでも傷んでいそうな部分は、取り除いているけれどね」
照れているカルパナから、サビーナが視線をゴパルに向けた。
「ゴパル君。スプラウトは、やっぱり危険かしら? 水耕栽培する農家も増えてきているんだけど」
スプラウトというのは、サラダ用の野菜の種から発芽した新芽だ。よく見かけるのは、西洋からし菜やクレスの新芽になる。
ゴパルが腕組みをして、頭をひねった。
「先進国でしたら、野菜の種の衛生管理がしっかりしているので大丈夫ですが……ネパールでは危険だと思った方が良いでしょうね」
専門分野に少しかかるせいか、口調が冷静なものに変わった。
「種の内部に、病原菌の菌糸や菌体が食い込んでいる場合があるのですよ。そうなってしまうと、通常の洗浄や殺菌処理では除去できません。生肉にも当てはまりますけれどね」
実際には先進国でも、生野菜を食べての食中毒が発生したりしているのだが、件数自体はネパールと比較すると少ない。
サビーナがタマネギをすりおろし終えて、ゴーグルを外した。ゴパルの答えを予想していたらしく、表情はサバサバしている。
「そうか、やっぱり加熱するしかないか。炒めたスプラウトを使うかな。茹でるとヘナヘナになるし。他にはオーブンの中に入れるか、かな」
カルパナも少し考えていた様子だったが、こちらは困った表情で肩をすくめた。
「有機農業でも、スプラウトは厄介ですね。水と自家採種した種だけで済みますが、この水が菌で汚染されていますから」
ゴパルが頭をひねりながら、腕組みしたままでカルパナに提案した。
「万全な策ではありませんが、水に酢を混ぜて、病原菌が繁殖できない状態にするという方法も考えられますよ。食品安全基準ですと、ペーハーを四・六以下にすれば、かなり抑制できます」
話し終えた後で気がついたのか、少し補足した。
「三・五以下にできれば、さらに安全ですが……種が酸でやられてしまう恐れがありますね」
米国等の基準では、四・六以下が最低限の要求だ。ただし、サルモネラ菌は繁殖できるので、四・一以下にする事が望ましい。
なお、欧米でのスシのネタでも、この四・六以下が適用されているので注意が必要だ。日本での検査は、病原菌そのものの有無を調べている。
カルパナが少し考えていたが、やはり肩をすくめてしまった。
「農家全てにペーハー測定器を買ってもらうのは、現実的ではありませんね……ペーハー測定紙でも、そんな細かい判定はできませんし。スプラウトは無理かな」
ネパールで買う事ができるペーハー測定紙は、小数点以下は判定が難しいタイプだ。
ペーハー測定器には、野外でも使える簡易型もあるのだが、基盤が故障しやすい。何よりも高価だ。校正液も必要になる。
サビーナがドレッシングの材料を揃えて、電動のミキサーを調理台の上に置いた。
「それじゃあ、簡単なドレッシングの作り方を教えるわね」




