乱闘終了
そうこうする内に、乱闘はナビンの参戦で何とか収束したようだった。
カルパナが息を荒げながら、ポケットからスマホを取り出して、静止画像のゴパルに謝ってきた。静止画像のゴパルは、横で演説中のラメシュに顔を向けている。
「はあ、はあ……す、すいません、でした、ゴパル先生。皆さん、やっと落ち着きました」
ゴパルがパソコン画面の小窓を見ると、ラジェシュとラビンドラが、厨房の隅で折り重なって倒れているのが見えた。レカもなぜか、近くに倒れて手足をピクピクさせている。
厨房には被害は出ていない様子だった。今は、スタッフがモップを使って床掃除を始めている。倒れている人が居るのだが、お構いなしにモップで突いて転がしていた。ゴミ扱いされているようだ。
サビーナは肩先までの髪をボサボサにして、フライパンを二つ両手に持って仁王立ちしていた。肩を怒らせて、猫のようにフーフーと唸っている。
カルパナも手に小鍋を持っていた。
ナビンは、放心状態になっていて、ブツブツ何か唱えながら、耐火レンガを積み上げる作業をしていた。ディーパク助手は、まるで何事も起きなかったかのように、無表情で無言で作業をしている。何となく、賽の河原で石を積んでいる風景に似ていなくもない。
厨房のドアには、次のシフトでやってきたシェフと助手達が、ジト目になって呆れている姿があった。
その彼らの姿を見て、とりあえず察するゴパルであった。コホンと小さく咳払いをして、努めて平常通りの口調を意識する。
「それは良かった。厨房に被害が出なかったのは良かったですが、そもそも厨房で暴れてはいけませんよ。お店の邪魔にならないように、以降は手早く進めましょう」
カルパナが、手に持っていた小鍋を鍋かけフックにかけて戻し、まだ仁王立ちをしたままのサビーナに歩み寄った。彼女が持っている二つのフライパンに手を触れる。
「サビちゃん。フライパンを預かるわね」
それで、サビーナも我に返ったようだ。目をパチパチさせて、周囲をキョロキョロと見回す。
「え? あ、そうね。あれ? あたし、何をしていたんだっけ……」
カルパナが二つのフライパンをフックにかけて、サビーナに振り向き微笑んだ。
「やだなあ、もう。料理の実習を撮影するんでしょ。今回は、ジェノバソースだったよね」
レカが厨房の隅から這い起きて、スマホを取り出した。撮影をするつもりのようだ。大したカメラマン根性である。
「ぐぎゃぎゃ……唐辛子スプレー、反則だあ~。ヤバイもの作るなよお……」
レカの抗議が聞こえていない風のディーパク助手であった。仕方なくレカが、這った姿勢のままで顔をカルパナとサビーナに向けた。
「トマトソースは掲載したけど、北イタリアからの文句が来たのよー。北じゃトマトなんか使わねーって。だもんで、今回、トマトを使わないソースを紹介する事になったー」
なるほど、と経緯を理解するゴパルとラメシュ達であった。ゴパルがカルパナに一応、忠告した。
「カルパナさん……唐辛子スプレーの威力、まだ強すぎるような気がします」
カルパナも冷や汗をかきながら、同意した。口元がこわばっている。
「ゴパル先生も、そう思いますよね。ディーパク先生が、改良版だから、もう大丈夫だと仰っていたのですが……危うく、またアバヤ先生のお世話になる所でした」
ここで、ようやくディーパク助手が、心外だという表情になった。
「し、失敬な。しっかりと改良してありますよ。現に、誰も目の角膜や、鼻腔内の粘膜、それに喉に炎症は起きていないでしょ。病院送りには、医学生理的になりませんよ。苦痛で暴れる事も無く、速やかに気絶する優れ物じゃないですか」
動揺しているのか、医学生理とかわけの分からない単語を持ち出している。
それを聞いたレカが、四つん這いいのままで手足をバタバタさせながら、ジト目になった。怒っているのか、スマホ盾は使っていない。
「だったらー、その改良版の唐辛子スプレーを、顔に浴びなさいよー。マジで意識が飛ぶんだからねー」
ディーパク助手が、本格的に慌て気味な口調になって、ナビンに告げた。
「あ、ナビン君。レンガの角度が一度ほどずれてる。修正をしましょう、修正を」
それっきり、レカの文句に対してノーコメントを貫くばかりのディーパク助手であった。これは多分、現実逃避をしている最中だな、と思うゴパルとラメシュである。
しばらくして、三十分間の休店時間が過ぎて、ランチメニューが主体の料理が再開された。客が再び店内に入り始めて、すぐに満席になっていく。
休店前に受け取った料理の注文が溜まっていたので、あっという間に忙しくなる厨房だ。おかげで、呆れていたシェフや助手達も、次第にいつもの表情に戻っていった。
その様子を見て、サビーナが、レカとカルパナに顔を向けた。二人とも、今はスマホをサビーナに向けて撮影中である。
「それじゃあ、バカ兄どもが復活して、石窯作りが一段落するまでの間、ジェノバソースの作り方を紹介するわね」




