ミカン実証試験畑 その二
カルパナが軽く肩をすくめながら、いたずらっぽく微笑んだ。
「ですので、隠者様と話し合いまして、このミカン園に設ける結界には、科学技術を導入する事になりました。なんちゃって技術ですけれどね」
それによると、段々畑の近くに立っている電柱に、普通の麻紐を巻きつけて、その麻紐を、この網柵に組み合わせるという案だった。ゴパルが微笑ましく口元を緩める。
「……電気柵でもありませんね、それって。しかし、麻紐でしたら安価ですし、触れても感電しませんし、無害で良いと思いますよ」
ゴパルが調子に乗ってきた。
「そうですね……せっかくですから、麻紐の先をKL培養液を詰めた瓶に差し込んでみましょうか。サイホンの原理で、培養液が麻紐を伝って網柵に広がると思います。散布の手間が、多少は軽減されるかも」
冗談のつもりで話したのだが、カルパナは思いの外、結構真剣に受け止めた様子である。スマホを取り出して、ゴパル案をメモしてしまった。
「育種学のゴビンダ先生や、ポカラ工業大学のスルヤ先生からは、何も返事が無かったので助かりました。クシュ先生からも返事が無かったのですが、ゴパル先生からようやく指針を得られてほっとしました。ありがとうございます」
ええ……
冷や汗をかくゴパルであった。しかし、すぐに思い直したようである。
(ま、いいか。この程度では、ミカンの試験には支障なんか出ないし。試験自体は順調そうだから、成功の際には、KLを使ってもらえるかもしれないな)
便乗商法を考えているゴパルである。ま、浅はかな考えに過ぎないのだが。
この時代、ポカラの柑橘類は、カンキツグリーニング病の大流行により壊滅していた。この病気はミカンだけでは無く、レモン等にも感染する。感染すると葉が黄緑色に変わり、最終的に枯れてしまう。
その復活事業が政府主導で進められていて、この段々畑での実証試験も、その一環だ。
カルパナの話によると、協会長が政府機関から、この事業への参加を命じられたらしい。また、カルパナ種苗店が、バクタプール大学の育種学のゴビンダ教授と、花卉の品種開発の件で連絡を取り合っていた事も、参加の要因となったらしい。
カルパナが内緒ですよと断ってから、ゴパルに教えてくれた。
「ミカンの木が、遺伝子組み換え済みなので、隠者様が怒ったのですが、さらに加えて、様々な薬剤を散布する事になりまして……その、決定的に怒ってしまいました。その反動が、桃園に及んだのです」
「なるほど」
ゴパルが腕組みをして呻いた。
実際には、遺伝子組み換え技術だけに留まっていなかった。
既存の遺伝子や装飾部分を編集したり、活性化や不活性化させたりする、ゲノム編集という技術も併用されている。この編集作業中に、突然変異も『意図的に』誘導できるので、隠者やカルパナが危惧する以上に、生命の設計図を操作しているのだ。
さらに、ミカンの木に集まる害虫や病原菌、ウイルスや線虫等に対しても、薬剤散布という形で遺伝子を破壊する行為を行っているはずである。
微生物学研究室も、この事業に関与しているので、微妙な気持ちになるゴパルであった。
「隠者様やカルパナさんには、申し訳ありません。きちんと説明して、理解を取り付けなかった大学側が悪いですね。今の話は、内緒という事で覚えておきますね」
(だけど、クシュ教授には、秘密事項として報告しておこう。教授は、ああ見えて実は秘密を守る人だし)
とりあえず、今のカルパナの話を、頭の中で封印する。そして、カルパナに真摯な瞳を向けた。
「お詫びと言っては何ですが、KLを使って、少しでも自然な環境に近づけるよう、私も力になりますよ」
ここで、再びちょっと考えて、思いつきを口にした。
「光合成細菌も散水に混ぜて使ってみましょうか。元々は、水田の泥から採取した菌ですが、ポカラは雨が多いので、効くと思います。KL培養液と直前に混ぜて使えば、臭いも気にならないはずです」
カルパナが穏やかな視線を向けて微笑んだ。
「そうですね、分かりました。ハウス内の花卉への散水にも、本格的に混ぜてみますね」
そういえば、その使用方法について説明不足だったな、と反省するゴパルである。
「あ、そうでした。忘れていました、ごめんなさい。既に、植木鉢の中には、十分な量の堆肥や敷草が入っていますね。光合成細菌とKL培養液だけを、千倍に水で薄めて散水すれば済みます」
カルパナが、少しの間考えてから答えた。
「千倍の希釈ですね。キノコ栽培のハウスと違って、太陽の光がたくさん差し込みますから、散水回数も多くなります。分かりました、それで実行しますね」




