隠者の庵
その頃、カルパナは隠者と修験者の食事を届けた所だった。ビシュヌ番頭からのメールを、添付ファイルの各種情報と共に、一読して了承する。小雨なので、バイク用のレインスーツ姿だ。足元はサンダルだが。
「隠者様、サランコットの丘で集団食中毒が起きたそうです。皆、軽症で済むと良いのですが……」
そして、ビシュヌ番頭から知らされた情報と、救援措置として、種苗店から野菜を緊急出荷する予定である事を、隠者に伝えた。割引価格だが、無料で出荷するのでは無い事も。
カルパナが届けた弁当箱を受け取った隠者が、その三段重ねの銀色の筒を、脇に移動させる。
彼の近くには、修験者達が三人居た。全身白塗りで、丸坊主の全裸である。彼らはカルパナに会釈をしてから、早速弁当を食べ始めた。
そんな彼らを、鋭いながらも優しい視線で眺めた隠者が、視線をカルパナに戻した。二重まぶたの琥珀色の瞳が、穏やかな光を帯びている。今回は額に印を描いていなかった。薄い橙色の道着の裾を、少し寛がせる。
「コレラやチフス等の感染者が、ポカラで出たという話は聞いておらぬから、まあ、心配は不要だろう。どこぞの木っ端仲買人が売り込みにきた野菜を、騙されて買ってしまったのであろう。嘘を見抜けなかった故の失態だな」
隠者が、少し考える素振りを示した。
「ワシは隠れ住む故に『汝の思うままに生きよ、他人の生き方には口を出すな』と言うべきなのだが、人の不幸を見過ごせぬ未熟さが、まだまだ残っておる。その世迷言の一つとして言っておこうか」
サランコットの丘の頂上は、庵から見えないのだが、透視でもするように見上げた。その方向には、尾根筋に並ぶ民宿がある。
「そうだな……嘘を見極める方法は多々あるが、その一つについて話すとするか。嘘には、風景が無いのだよ。音や味や臭い、それに触感も無い。なので、それを訊ねてみれば、嘘か真実か分かりやすい」
カルパナが、二重まぶたの黒褐色の瞳を輝かせ始めた。修験者達も、食事を続けながら隠者の下へやって来る。隠者が、脇に置いていた銀色の弁当箱に、右手を置いた。
「例えば、汝が、この弁当の売り込みをするとしよう。具体的な描写を、次々に語る事ができるはずだ。それも、感覚に沿った話をな。味付けは今回どのようにしたかとか、塩加減はどうしたとか、野菜の色合いと鮮度はどのようだったか、香辛料の調合はどうだったか、等だな」
今日の隠者と修験者達は、塩断ちや油断ちをしていないので、香り豊かな仕上がりの弁当になっている。
「相手が、真実に基づいて話をする場合には、次第に主題が掘り下げられて、表現が繊細になり情緒的で重層的になっていく。寺院の階層が増えていくような感じだな。最終的には、見事な寺院になる」
ネパールのヒンズー寺院には、二階建て以上の木造が多い。石造りであっても階層を設ける。ビンダバシニ寺院やバドラカーリー寺院も、石造りと木造の違いはあるが階層構造だ。
「一方で、嘘にはそれが無い。従って、話を別の話題にすり替えたり、空想で塗り固めたりしがちだ。同じ単語を、何度も口にする傾向もあるな。真実に基づいておれば、その単語は、場面場面に応じて柔軟に変化していくものだよ」
再び、銀色の三段重ね弁当箱をポンと叩いた。
「オウムのように『優しい味』だの『甘い』だのを繰り返す輩の話は、聞く必要は無いという事だな。今回使っている香辛料も、弁当を開ければ空気に触れて、隣り合う食材の風味と交わり、時々刻々変化していく。それに伴い、表現する単語も変化するのは当然だろう」
真摯な姿勢で聞き入っているカルパナと、さすがに食事を中断して聞いている修験者達に、隠者が愉快そうに低く笑った。
「だが、生まれつき忘れっぽい奴も多い。年老いても忘れっぽくなる。そういう、人の多様性と経年変化も、きちんと踏まえておく事だ。世の中の全ての事柄を『スゲエ』と『ファック』で済ませる趣味の奴も居るのでな」




