トマトソース
家の最上階にある調理場に立って、山盛りのトマトを見ながら包丁を持ったゴパルが、荒れた眉をひそめた。
「あ、しまった……トマトソースの作り方は、教えてもらっていなかった」
昨日、パメのカルパナ種苗店のキッチンで、サビーナから教えてもらったのは、ホールトマトと呼ばれる保存用のトマトの水煮と、ピュレだけだった。
慌ててスマホを取り出して、ポカラ観光協会のサイトを呼び出す。動画のライブラリーを探すと、ちゃっかりと昨日のホールトマトとピュレの作成動画が記載されていた。
「うわ、仕事が早いな。さすがはレカさんだ」
今は、その動画を見る時間的な余裕が無いので、トマトソースの作り方動画を探す。兄のケダルが来るまでに出来上がる必要があった。
「あ、これかな」
動画ファイルを再生して、内容を確かめた。これで間違い無さそうだ。一時停止を繰り返しながら、作り方の手順を記憶していく。
動画ファイルを二回再生して、記憶を完了させたようだ。この辺りの記憶力は、さすがに研究者の肩書を持つだけの事はある。
「よし、では始めるか」
作り方は、ゴパルが気合いを入れた割には簡単なものだった。
買って来たトマトは半キロで、これを水洗いして、湯むきをせずに包丁でヘタと白い軸部分を切り取った。それを一センチ角ほどの小さな角切りにしていく。
その準備が終わったら、大玉の玉ネギを半分と、ニンニク一片とをみじん切りにする。それを、大きめのホーロー鍋に……
「あ、しまった。ホーロー鍋を買ってくるのを忘れた」
仕方が無いので、テフロン加工が施されたフライパンを引っ張り出す。これで代用するようだ。
フライパンにオリーブ油を三十ミリリットル加え、ニンニクのみじん切りを加える。コンロに点火して、弱火にし、フライパンを少し持ち上げて傾ける。炒めるというよりは、ニンニクを温めて香りを出すためだ。決してニンニクを焦がしてはいけない。
すぐにニンニクに火が通り、香りが立ち上ってきた。ここで、ニンニクのみじん切りをフライパンから取り除いて、小皿に移す。これもニンニクが焦げてしまうのを防ぐためだ。
空になったフライパンに、玉ネギのみじん切りを入れて炒める。
一方で、皮をむいたニンジンや、セロリの茎、パセリの葉、カブは、適当に切ってから、鍋で煮る。スープにするようだ。塩と固形コンソメの素を用意しておく。
フライパンの方では、玉ネギのみじん切りが狐色に色づいてきた。それを合図にして、角切りにしたトマトを全て投入した。それを強火で一気に炒めていく。弱火で炒めてしまうと、トマトの酸味が強調されてしまうためだ。
炒めながら、木のヘラを使ってトマトを押し潰していく。ゴムベラでは耐熱性ではない物があるので、注意が必要だ。
だいたいトマトが潰れたら、焦げないように火力を少し弱めて煮詰める。この時に、小皿に移していたニンニクのみじん切りをフライパンの中へ戻す。フライパンの縁に、煮詰まったトマト等がこびり付いてくるので、それを丁寧に木のヘラを使って落とす事を忘れずに。
煮詰まったら、バジルの葉を適量加えて絡ませる。
ゴパルがフライパンの中のトマトソースを見ながら、満足そうな笑みを浮かべた。
「煮詰まったら、塩コショウして……と。こんなものかな。動画と似たような感じに、なってきたみたいだ」
玄関で、兄のケダルの声がした。到着したようだ。まあ、何とか間に合いそうで、安堵するゴパル。
「さて後は、裏ごしして完成だね」
フライパンから、裏ごし網を使って、ボウルにソースを移し入れる。器にたっぷりの量ができたので、家族と女使用人の五人分で足りるはずだ。
味見をして、まあ、これならピザのトマトソースに使えるかな、とニンマリした。
続いて、空になったフライパンに、オリーブ油を新たに垂らして火にかける。油が熱くなってから、買ってきたピザを乗せた。これに、作ったばかりのトマトソースを全て入れ、ピザ用のチーズをドサドサと上に乗せた。ゴパルが頭をかく。
「あ。ソーセージやサラミも買ってくるべきだった。ま、いいか」
フライパンにフタをしてから、弱火にして温める。他に、野菜のスープにも、固形コンソメの素と塩を加えて、続けて煮込む。
しかし、記憶したという割には、色々と抜け落ちているようだが。特に、ピザをトマトソースで煮込むのは、よろしくない。
兄のケダルが、調理場まで階段を上がってきた。ゴパルの肩に手を回して、調理を邪魔し始める。
「よお、ゴパル。今度はマシな料理を頼むぜ」
南アジア諸国では、多くの地域で昼食を食べない。朝と夕方に食事を摂る。なので、今ゴパルが作っているのは、昼のオヤツである。
もし、これが夕食と重なっていたら、ゴパル母や女使用人の邪魔になって、調理場から追い出されていただろう。
ゴパルの方は、ほぼ料理が終わったので、余裕の表情だ。ピザの温めを終えて、野菜スープも火から下ろす。
ピザ用チーズも溶けて、赤いトマトソースに馴染んでいる。かなりトマトソースの量が多く、ピザがふやけているような気がするが、完成だ。兄のケダルに、自信満々な表情で振り返る。
「今日は、一味違うよ、ケダル兄さん」




