カルパナ種苗店
森を抜けて、ケシャブの農家と簡易キノコハウスを横切り、さらに坂を降りてパメの集落に戻ってきた。
パメでも交差点付近に、十数名の住民が集まっていて、カルパナに蜂退治の結果を聞いてきた。彼らに簡潔に、スズメバチ退治の状況を教えるカルパナだ。
「……と、いう訳で、まだスズメバチの巣を破壊していません。もう少し、待っていてくださいね」
パメには農業開発局と畜産局の支所がある。そこの常駐スタッフにも状況を知らせる。
それが済んで、ようやくカルパナも気持ちが落ち着いたようだ。背伸びをして、ゴパルに穏やかな視線を向けた。口元が少し緩んでいる。
「カルナさんのおかげですね。ゴパル先生が、アンナキャンプで忘れ物をしてくださったおかげです」
どう返事をして良いか、困っているゴパルだ。
そんな二人を、サビーナがニヤニヤしながら出迎えた。隣にはビシュヌ番頭が立っていて、彼からちゃっかりとチヤを受け取っている。
カルパナ種苗店の前に、彼女のスクーターが停めてあり、店の外に立っていた。店内はまだ客が買い物をしているので、配慮したのだろう。その割にはビシュヌ番頭を独占しているのだが。
「お疲れさま、カルちゃん、ゴパル君。また一つ、カルちゃんの武勇伝が増えて良かったわ。茶の枝と、水牛ミルクの煮出し汁を飲んで、待っていたわよ。本当にクソ不味いわね」
いきなりのサビーナ登場に、きょとんとしているゴパルだ。カルパナが口元を緩めながら、ゴパルに説明した。
「ゴパル先生が、首都のご両親に、トマトソースのパスタと、ミネストローネスープ、それにスペイン風オムレツを作ってあげたという話を、サビちゃんにしまして……そうしましたら、店のキッチンを使って、教えてあげると言い出しまして……すいません」
そう謝りつつも、カルパナの口元は緩んだままだ。口調も、微妙に砕けている。それは、ビシュヌ番頭からチヤを受け取っても変わらなかった。
おおよその状況が理解できたゴパルに、サビーナがチヤをすすりながらドヤ顔で微笑んだ。
「首都では、トマト不足なのよね。そろそろ雨期が終わるから、品薄も解消されるけれど、ま、トマトの保存方法を教えてあげるわね。ホールトマトと、ピュレの作り方は、知っていて損は無いから」
ほとんどゴパルに有無を言わせないで、料理講習会の開始を宣言するサビーナであった。実際ゴパルは、あーうー程度しか言えていない。
「講習料は頂戴しないから、安心しなさい。ゴパル君をポカラに出張させているんだから、このくらいの事はさせて頂戴。ゴパル君のご両親も、自炊できるようになったと知れば、少しは安心できるでしょ」
それでも、まだ恐縮しているゴパルだ。チヤをビシュヌ番頭から受け取って、垂れ目をさらに垂らして喜んでいるが。
「サビーナさんの料理の実力は、昨日の鳩料理でよく知っています。そんな凄腕の料理長さんに、私が教えてもらうのは、ちょっと分不相応かと思えますが……」
サビーナが、二重まぶたの黒褐色の瞳をキラリと輝かせた。目尻がキュッと上がり、口元がさらに緩んでいく。黒髪のショートボブの毛先が、愉快そうに左右に弾んで揺れた。
「そお? だったら、ちょっとした対価を期待しようかしら。ヒラタケ栽培を始めたって、カルちゃんやビシュヌ番頭から聞いたわ。だったらね……」
ツカツカとサビーナが、チヤをすすりながらゴパルに詰め寄って、彼の襟首をつかんだ。
「エリンギも栽培しなさい。それと、マッシュルームもね。いいわね? 拒否ったら、このチヤを鼻から流し込むわよ」
あ、あう……と、言葉も無くうなずくゴパルであった。クシュ教授や博士課程のラメシュから、ポカラでキノコ栽培の試験もしろと言われているので、特に断る理由は無い。
さすがにカルパナが真面目な表情に戻って、サビーナの肩を持ち、ゴパルから引き離した。
「サビちゃん! 脅迫は良くないよっ。キノコは易しいものから、順に実験するつもりだよ。エリンギもマッシュルームもシイタケもする予定だから、ちょっと待ってて」
ゴパルが襟元を整えながら、顔を少し青くした。
(ええ……そんなに予定しているのか。マジですか)
軽く咳払いをしたゴパルが、サビーナとカルパナに真面目な顔を向けた。冷や汗は、まだ残っているが。
「分かりました。私はキノコの専門家では無いのですが、詳しい人が研究室に居ますので、彼と相談しながらやってみます。失敗しても許してくださいね」
サビーナがドヤ顔でニンマリと微笑んだ。
「成功するまで繰り返せば、失敗とは言わないのよ、ゴパル君。それじゃあ、手と顔を洗ってきなさい。そのままでキッチンに踏み込んだら、ぶっ飛ばすわよ」




