菌床つくり再開
簡易かまどの上に乗っていた、二百リットル容量の鉄製ドラム缶は、地面の上に下ろされていた。スバシュがカルパナとゴパルを出迎える。
「カルパナ様、ちょうど中の稲ワラが冷えた頃合いです。開けましょうか?」
カルパナがドラム缶を手で触って、温度を確認した。
「はい。ここまで冷えれば作業ができますね。フタを開いてください。袋詰め作業を始めましょうか」
カルパナとスバシュ、それに数名の従業員達が、近くの水道で石鹸を付けて両腕を洗う。それが済んでから、段ボール箱に入っているプラスチック袋を取り出した。
カルパナが一枚取り出して、状態を最終確認し、ゴパルに見せる。透明できれいな袋だ。
「二ヶ月ほどするとボロボロになるタイプの、生分解性プラスチック袋です。これは夏場用の袋ですね。幅が三十五センチ、深さが五十六センチあります」
これはゴパルも見た事があるサイズだった。カルパナが説明を続ける。
「気温の低い冬場では、幅が四十センチ、深さが六十六センチある大きなサイズの袋を使います。この袋への詰め込み作業中に、コンタミ発生が起きやすいので、よく手を洗っているんですよ」
コンタミというのは、英語のコンタミネーションの略で、雑菌等による汚染を指す。
しかしまあ、野外作業なので、どうしてもコンタミが起きてしまうものだ。その程度を、できるだけ軽減するための手洗いである。
コンタミ発生を本気で無くそうとしたら、無菌室で作業を行うしか無い。稲ワラの蒸気殺菌も。巨大な圧力鍋であるオートクレーブを用いる。それでも、光合成細菌等の中には、生き延びてしまう連中が居たりする。殺菌というのは意外に難しい。
そんな無粋な指摘はしないゴパルであった。スバシュがハウスの中から引きだしてきた、ガラス容器に入った白い種菌を受け取る。その状態を目視で確認して、満足そうにうなずいた。
「良い品質の種菌ですね。ちょうど使用適期ですよ」
キノコ栽培の方法には、色々ある。ここでは組織培養したヒラタケの菌糸を、蒸した稲ワラに使うという方法を採用していた。
ガラス容器だが、これは国産ラムやウィスキー、ジンやウォッカの、使用済み小瓶を洗浄してリサイクルしている。メーカーによっては小瓶の底が抜ける場合もあるので、注意が必要だ。小瓶の中には半分ほどまで小麦が入っている。
組織培養したヒラタケの菌糸は、小麦を分厚く包み込んでいて、お菓子か何かのような見た目になっていた。
小瓶は綿栓で閉じられていて、さらに上から紙で包まれて、生分解性の輪ゴムで留められていた。スバシュが綿栓を取る。
「では、菌床作りを始めるぞ」
袋の中に、まず最初に蒸した稲ワラを、ドラム缶から取って入れる。袋に詰める厚さは六センチ程度か。その上に種菌を、パラパラとまばらに撒く。あまり多く撒くと、種菌がすぐに尽きてしまうためだ。なお、種菌が巻きついている小麦も、一緒に取って使う。
そして、再び稲ワラを六センチほど詰め込んで、種菌をまばらに撒く。
この作業を数回繰り返して、袋が一杯になったら、手でしっかりと押さえて鎮圧する。詰め込んだ量が足りなかった場合には、もう一回詰め込み作業を追加する。
詰め終えたら、素早く袋の口を、麻紐で縛って閉じる。最後に袋の側面に、小さな穴をいくつか開けて完了だ。
スバシュが、出来上がった袋をゴパルに手渡した。ちょっとドヤ顔である。
「穴を開けたのは、キノコ菌糸が呼吸するためだよ。この中身にはKLを使っていないんですが、それで構わないんですよね」
ゴパルが、袋を興味深そうに眺めながらうなずいた。
「構いませんよ。KLをここで混ぜると、キノコの菌糸とケンカしてしまいます。この袋の中では栄養は限られていますから、キノコ菌糸がケンカのせいで栄養不足になります」
そう言って、軽く肩をすくめた。
「結果として、収穫量が減ってしまいますね。キノコの大きさも小さくなってしまいます。ですので、KLを使うのは、まだまだ先の話ですよ」
そう言いながら、内心でちょっと考える。
(でも、既に空気穴を開けているから、雑菌が袋内部に侵入しやすいよね。あ、そうか。だから稲ワラだけを使っているのか)
多くの場合では、栄養補助剤として、米ぬか等を添加する。さらに様々な栄養剤も加える事も多い。稲ワラだけでは、栄養分が不足するので、収穫できるキノコの量が少ないためだ。こういった栄養を添加する事で、収穫量を伸ばす。しかし、栄養補助剤や添加材は反面、雑菌にとっても餌になる。
結果として、袋内部で雑菌が増殖してしまい、腐ってしまう。しかし、初めから加えていなければ、雑菌の増殖の危険性も低くなる。
ゴパルが色々と考えている間に、袋への詰め込み作業が終了した。早速、スバシュの指揮で従業員達が、袋をハウス内部に紐で吊り下げていく。ハウスの天井の竹骨格から紐を垂らして、一本の紐に二、三個ずつ縛りつける割合だ。
これも興味深く眺めるゴパルだ。スバシュが説明する。
「床に並べると、虫やカタツムリなんかが湧いて面倒になるんすよ。床面積の節約にもなりますしね」
そして、スバシュがハウスの天井を見上げた。敷草で覆われているのだが、やはりどうしても隙間から日光が差し込みそうだ。
「カビの方が厄介ですね。特に緑色のコンタミには気をつけていますよ。見つけたら、即、袋を除去します」
ゴパルも紐で吊るされている袋入りの菌床を眺めて、密封具合を調べている。しばらくして、スバシュとカルオパナに垂れ目を向けた。
「空気穴が開いていますが、この程度でしたら、問題無いと思います。KL培養液を散布しても、袋の中へ侵入する恐れは無いでしょう」
一つの袋では、この空気穴の数は十数個以内に収まっている。この程度であれば、大丈夫だと思ったのだろう。
「一週間に一、二回の頻度で、培養液の五百倍希釈液を、袋の表面や床、天井が湿る程度で散布してみてください。ハウスの外にも、土が少し湿る程度で散布してくださいね。それで様子を見てみましょうか」
カルパナとスバシュが、顔を見合わせて苦笑した。カルパナがゴパルに顔を向けて、口元を少し緩めた。
「その程度の使用量ですと、KL製造会社が儲からないかも知れませんよ?」
ゴパルも頭をかきながら、所在無さそうに曖昧な笑みを口元に浮かべた。
「宣伝になっていませんね。ははは。しかし、これ以上は、この段階では使わない方が良いと思いますよ」
もう一度、頭をかいてから、詳しく話す。
「菌糸がしっかりと張った後から、KL培養液を積極的に使うようにすると良いと思います。その場合では、キノコの菌糸の方が、KL構成菌よりも勢力が強いですからね。ケンカしても負けません」
スバシュが軽く首をかしげた。
「それじゃあ、ゴパル先生。その、キノコの菌糸が十分に張った時の使用方法を、教えてくださいよ。ちょうど、パメの農家が、頃合いだったと思いますんで」
ゴパルの代わりに、カルパナが気軽にうなずいた。
「そうですね。キノコの栽培開始してから、十日目あたりの菌床が良いかな」




