花のハウス
食事を終えて、再びバイクの二人乗りでチャパコットのハウスへ戻る、カルパナとゴパルであった。
道端の人達も、すっかりゴパルの顔を覚えたようだ。カルパナと一緒にゴパルに対しても、合掌して挨拶をしてくるようになってきていた。
さすがに照れるゴパルである。後部荷台に座りながら、困ったような顔をしている。
「なるほど……カルパナさんの気持ちが、少し分かったような気がします。適当でいい加減な事はできませんね」
カルパナがバイクを運転しながら、同じように困ったような表情で微笑んだ。
「私は、腐れバフンですけれどね。両親や親戚からは、盛んに結婚しろと言われ続けていますし。私とサビーナさんと、レカさんの三人は『行き遅れ三人衆』とか『秘密結社ばちあたり』とかいう称号を戴いています」
ゴパルも独身なので、コメントに困っているようだ。
チャパコットのハウスに向かう、フェワ湖畔沿いの泥道を、バイクで器用に走っていく。途中で土道の中央で泥浴びをしていた水牛を数頭ほど、軽快に回避して、無事にハウスの入口へ到着した。
カルパナがヘルメットを脱いで、振り返った。癖のある黒髪が、フワリと腰の辺りで揺れる。
「まだ二時間ありますね。どのハウスから見ましょうか?」
一番下のハウスでは、植木が数多く栽培されていた。大きな植木鉢には、花が咲く観賞樹が植えられている。どれもこれも花が咲いていて見栄えがするものばかりだ。良い香りもハウス内に漂っている。
カルパナがゴパルを案内しながら、一際赤い花が多く咲いている木に手をかけた。緑の丸い葉が多く茂る中で、たき火の炎が燃えているような印象の大きな花が、多く咲いている。花の大きさは、カルパナの両手に余るほどだ。
「これはカエンボクです。庭に植えると樹高が五メートルにもなるのですが、盆栽化して小さくまとめています。このハウスの観賞樹は、多くが盆栽化したものですね」
カルパナが言った通り、ハウス内には盆栽化された花木がズラリと棚に乗って並んでいる。カエンボク以外にも、様々な種類の花木が盆栽化されていた。
「庭木として売る場合もありますが、雨の多いポカラでは、病害虫が発生しやすいので、移動が簡単な鉢植えが人気ですね」
早速、従業員がKL培養液を水で千倍に希釈した液を、ハウス内の観賞樹に散布している。その糖蜜と酵母の香りがほのかに漂う中で、ゴパルが頭をかいた。
「ハウス内でも、KL培養液を使っているのですね。需要が結構増えそうだ」
カルパナが微笑んだ。
「とりあえず、試験使用しています。取り扱いがどうか、調べておかないといけませんし」
そして、他の観賞樹をゴパルに紹介した。
「この辺りの樹は、まだ出荷が続きます。今はテイキンザクラ、ソケイノウゼン、ベンガルヤハズカズラ、カンナが多いかな。これらも盆栽化したり、庭木として販売していますよ」
別の作業員が、背負いカゴに花を積み込んで歩いてきた。カルパナに合掌して挨拶し、そのまま道路へ向かって下りて行った。
その後ろ姿を見送ったカルパナが、ゴパルに振り返る。
「花だけを希望する客も多いので、花だけを摘んで袋詰めして販売したりもしています。手軽で好評ですね」
他のハウスも見て回る事にする、ゴパルとカルパナであった。次のハウスでも観賞樹の盆栽が多く栽培されていたのだが、かすかに桃の香りがする。しかし、桃らしき花や果実は見当たらない。
キョロキョロしているゴパルに、カルパナがニコニコ笑いながら教えてくれた。
「この桃の香りは、サガリバナという観賞樹の花の香りですよ。白くてブラシ状の花なのですが、あいにく夜にしか咲きません。樹形も地味ですよ。ハウス内で栽培していますので、これは残り香ですね」
そう言いながら、サガリバナの鉢まで案内してくれた。確かにあまりぱっとしない木だ。森で見つけても、雑木だと見過ごしてしまいそうな程、地味である。
その根元には、分厚い敷草がされていた。散水が済んだばかりのようで、敷草がしっとりと濡れている。葉にも水滴が数多く残っていた。
「乾燥に弱いので、こうして根元に敷草をしています。鉢植えですので、余計に乾燥しますから、水管理には注意していますよ。これも庭植えですと、樹高が五メートル以上になります。枝も横に張って、場所を広く取る樹種ですね」
ゴパルが、敷草の一部を裏返して状態を見る。分解が進んでいて、黒褐色になっていた。繊維もボロボロになっていて、かなり粉々になっている。
サガリバナの細かく白い根が、この黒褐色の部分にも入り込んで来ていた。トビムシやダニ等も多く活動している。
そんな状態を確認して、ゴパルが満足そうにうなずいた。
「良い状態です。亜熱帯と温帯とは、微生物の種類が異なりますが、植物の根の動きも異なってきます。根が土壌深くに入りにくくなって、こういった表面の腐植層に集中するようになってくるのですよ。ですので、こういった敷草は重要になってきます」
腐植というのは、主に植物由来の有機物が、カビやムシによって分解されてボロボロになったものだ。
栄養面では役に立たないのだが、保水力が高く、断熱効果もあるので、土の状態が良くなる。
特に有機農業では、この腐植をいかに増やすかに労力を傾ける農家が多い。保水力が高いだけではなく、保肥力も高いので、堆肥や有機肥料の有効利用ができる。
カルパナが照れながら、別の植木鉢の敷草の状態を確認した。
「ありがとうございます。こういった樹木では、確かに重要ですね。畑の野菜栽培では、時と場合に応じて、敷草を取り除いたりします。敷草はムシの寝床でもありますから」
ここでいうムシとは、昆虫を含む小型生物の総称である。ヤスデやクモ、アブラムシ、カイガラムシ、ミミズ、ナメクジ、陸生の微小な貝といった連中を含む。
次のハウスでは、ベゴニアや、矮性ひまわり、それに甘い芳香を放つプルメリア等の花が栽培されていた。
ベゴニアは草丈が三十センチ以下で、薄赤やピンクに白、黄色、オレンジ色のベル型の小さな花を咲かせている。葉の色が濃い緑で、茂っているために、花がよく目立つ。
矮性ひまわりは、草丈がやはり三十センチ以下で、黄色い花の直径も十センチ程度でコンパクトだ。カルパナが鉢の土の乾きを指で触れて確認しながら、ゴパルに説明した。
「これは、種を鉢に直接植えて育てています。そうする事で、茎が真っ直ぐに伸びて、枝分かれしにくくなります。ですので、種を植える際には、敷草はしていませんね。発芽して、しばらくしてから、様子を見て徐々に敷草を施しています」
最後に甘い芳香を放っている、プルメリアの鉢植えが並んでいる区画に進んだ。これは樹木に分類されるのだが、盆栽化している。
白くて分厚い花が、枝先に花束状に咲いている。他の鉢植えでは、花の色がピンク色だったり赤や黄色だったりと多様だ。
ゴパルが見ている白い花の品種は、分厚い花の中央だけが黄色である。花びらは五枚あり、船のスクリュー型に展開していた。葉の色も薄い緑色で、葉脈の形が短冊形でユニークである。
ゴパルが興味深く花を観察した。
「へえ……結構強く香るのですね。首都では見かけないなあ」
カルパナも花の香りを楽しんでいる。
「そうですね。プルメリアは亜熱帯性ですね。首都では寒くて栽培が難しいと思いますよ」
そして、いたずらっぽく微笑んだ。
「しかし、これはキョウチクトウ科ですから、食べたり、山羊や牛に食べさせてはいけませんよ。毒草です」




