チャパコットのハウス
チャパコットはフェワ湖の南側を取り囲む、標高二千メートル級の山々の北斜面に広がる地域だ。一般にネパールでは北斜面は日当たりが悪いので、集落や山村が発達しにくい。
しかし、ここチャパコットでは北斜面の傾斜が緩やかなので、山村ができていた。それでも日当たりが悪い事には変わりが無いので、棚田や段々畑の規模は小さい。
それは同時に、豊かな森に包まれている事でもある。乾期になっても、渇水の心配が少ないという点は魅力的だ。
対岸のサランコットの丘にあるパメや、上流のナウダンダでは、乾期になると渇水の恐れが毎年出てくる。ここは南斜面で森林も少ないために、土壌の保水力に乏しいためだ。
そのため、KLの実証試験の段々畑がある場所には、最上段の段々畑の上に、大きなコンクリート製の貯水タンクが設けられている。
ピックアップトラックは、山とフェワ湖畔の境界線上に沿って造られた土道を、ゆっくりと走っていく。フェワ湖畔側には、水田が広がっていた。
この湖は南端にミニ水力発電所の取水口と、水門があるので、年間を通じて水深が安定している。そのために、湖畔に広がる水田も、水没している場所は無かった。
数分も走らない内に、湖畔から数メートルほど上がった山の斜面に設けられている、数棟のハウスの前に到着した。そのまま、道の中央に停車した。
道路が泥だらけで緩いので、路肩に停めると危ないためだ。下手すると泥の中に沈んで、脱出できなくなる。
ゴパルが車から降りて、背伸びをしながら山の斜面を見上げた。かなり大きな常緑樹の森だ。危うく、泥沼に足を突っ込みそうになるのを回避する。
「そう何度も転びませんよ。へえ……人口の多い街のそばの森にしては、立派ですね。ここはもう、王妃の森の区画の外ですよね」
続いて車から降りたカルパナも、背伸びをしてゴパルの疑問に答えた。もう、かなり回復しているようで、顔色も良くなってきている。
「そうですね。王妃の森を守る、緩衝地域という理由もありますが、チャパコットの人達の努力の賜物です。今では、ポカラ近郊でも貴重な森林地域になりました。今は泥だらけですが、乾期になると観光客が増えてきますよ」
そして、山の頂上や尾根筋を見上げて指さした。何やら白い仏塔が見える。
「今では、パラグライダーの離陸場所としても有名になっていますね。日本の仏教団体が建立した白い仏塔の近くから、離陸します。晴れて観光客が増えてくると、連日多くのパラグライダーが飛び回りますよ。隠者様は文句を仰っていますけれど」
今は雨期なので、一つも飛んでいなかった。
次にカルパナが、森に覆われた北斜面のあちらこちらを指さした。今度は、森の木々しか見えない。
「森に包まれた静かな環境ですので、瞑想クラブやゲストハウスが点在しています。レイクサイドの灯りが湖畔に映って、夜景がきれいですよ。今は見えませんが、ここからマチャプチャレ峰や、アンナプルナ連峰の山容も楽しめます」
そのような観光案内をするカルパナに、ラジェシュが運転席から声をかけてきた。
「それじゃあ、俺はリテパニへ戻るよ。後は、歩いてパメまで戻ってくれ」
カルパナが礼を述べる。ゴパルも続いて礼を述べた。ニヤリと笑うラジェシュだ。エンジンを点火する。
「じゃあ、ごゆっくり、お二人さん」
カルパナが軽く手を振って、ラジェシュに礼を述べ、続いてゴパルに施設の紹介を始めた。
「ようこそ、ゴパル先生。ここがカルパナ種苗店のチャパコットハウスです。主に亜熱帯性の花卉を栽培していますよ」
最上部にあるハウス棟を見上げる。
「今回は、新たに作った簡易ハウスで、ヒラタケ栽培をします。周辺地域の農家でも自作できるように、竹を使った簡易ハウスですが、耐久性は十分ありますよ」
ハウス棟は、山の扇状地にあり、等高線沿いに東西方向に並んで建てられていた。その最上段のハウスは、最近になって建てられたようで、鉄骨やビニール等がまだ新しい。
その横に竹で作られた簡易ハウスがあった。簡易ハウスの前にはスバシュが立っていて、ゴパル達に手を振っている。
ゴパルがスバシュに導かれるまま、コンクリート製の作業道を上る。そして、一番手前のハウスの前で立ち止まって、中の様子をうかがった。すぐ後ろからついて来ているカルパナに聞く。
ラジェシュは早くも道を引き返していた。そろそろ川の橋の手前に差し掛かる位置だ。
「カルパナさん。ここでは、どのような花を栽培しているのですか?」
ハウスから次々に従業員が出てきて、カルパナに合掌して挨拶をしてくる。彼らに合掌して挨拶を返しながら、カルパナが穏やかに微笑んだ。
「そうですね、キノコの作業の合間に、ハウス内を見て回りましょうか。今の時期ですと、花卉では矮性ひまわり。花木ですとサガリバナ。ランではウチョウランでしょうか。他にも色々と出荷していますよ」
ゴパルは花卉には詳しくないのだが、カルパナが嬉しそうに話すので、興味が沸いてきたようだ。垂れ気味の黒褐色の瞳に、好奇心の光が灯り始めている。
「楽しみです。ポカラは花栽培で有名ですからね」
段々畑状になっているハウス棟は、コンクリートの作業道路で行き来ができるようになっていた。ガンドルンのような石板の階段では無い。手押し車や、バイクを使っているのだろう。車は道幅が狭いので、進入できないようだ。
二人ともに、先程までフラフラだったのだが、さすがに若いので息も上がらずに、このコンクリートの上り坂を歩いている。カルパナが途中で、何度か従業員達に指示を出していくが、ゴパルが坂を上る邪魔にならないように、気をかけてくれているようだった。
数分も上ると、目的の最上段の空き地に到着した。竹で作られた簡易ハウスが一棟建てられていて、その前にスバシュが作業着姿で出迎えてくれた。
既に、数名の作業員が居て、キノコ栽培の作業をしていた。初めてでは無い様子で、作業の手つきが手慣れている。ビシュヌ番頭が話していた通り、ヒラタケ栽培はポカラで普及しているのだろう。
「時間通りですね、カルパナ様。準備は整っていますよ」
カルパナがゴパルに振り返る。全く息が上がっていない。まあ、それはゴパルも同じなのだが。
「では、始めてください、ゴパル先生」
ゴパルが少し申し訳なさそうな顔になって、軽く頭をかいた。
「する事は、それほどありませんよ」




