評価と方策
処理工程を概ね把握したゴパルが、手持ちのスマホへの入力を終えた。泥まみれになったのだが、防水仕様のおかげでスマホは無事だったようだ。本人はかなりのダメージを受けたようだが。
「処理の流れは把握しました。実際の測定数値は、また後日測れば良いですね」
ゴパルがスマホをポケットに収めて、軽く頭をかいて両目を閉じた。
「このシステムでは、アンモニアガスが発生するのは避けられません。かといって、アンモニアガスを生み出す細菌を働かないようにすると、システムが機能しなくなります。KLを使うと、このシステムを壊す恐れがありますね」
クリシュナ社長が難しい表情になって、腕組みをして呻いた。チヤを飲む余裕が無くなったようだ。
「うむむ……KLでも無理かね」
ゴパルの説明によると、アンモニアガスの重要な成分は窒素らしい。この窒素を無臭の窒素ガスとして、空気中に放出させるのが、この棚田型の人工湿地システムだ。
窒素はタンパク質の主要な構成成分なので、糞尿や食べ残し、廃棄牛乳等に多く含まれている。
一般には、この汚染物に含まれている窒素を、細菌を使って、まず最初にアンモニアの化合物に変換し、続いて硝酸や亜硝酸態の化合物に変換し、最後に窒素ガスに変換する。
そのために、KLで消臭して、最初のアンモニア化が機能しなくなると、システム全体が崩壊してしまうのだ。
ゴパルが垂れ目を細めた。
「アンモニアガスを発生しにくくなるシステムに、KLで変えてしまいましょうか」
KLを使えば、様々な種類の微生物を爆発的に増やす事ができる。そうなれば、微生物の体内に窒素を取り込ませて、そのまま放流してやれば済む。取り込む能力は、微生物の種類と量が多い程、増大する傾向がある。
ただ、この手法は、環境基準が厳格な先進諸国では難しい。排水の基準がBODなので、微生物が多ければ多いほど数値が上がってしまう。
魔法使いは居ないので、窒素を消したり元素転換したりする事はできない。
それに、硝酸や亜硝酸、窒素ガスに直接変換する細菌は、怠け者なので当てにできない。これらの菌は嫌気性で、酸素を使った呼吸が苦手なので、仕事が遅いのだ。
「微生物の体内に取り込まれた汚染物は、栄養に変換されています。白ガンダキ川の下流では、魚や川エビが豊漁になると思いますよ」
ゴパルにそう言われても、ピンとこないクリシュナ社長とレカであった。
「ま、とりあえず、悪臭が減ったのは事実だな。今は、それで満足だよ、ゴパル先生」
カルパナが遠慮がちにゴパルに聞いてきた。その割には、ぱっちりした二重まぶたの瞳が、キラキラしているようだが。
「あの、ゴパル先生。汚染物の栄養化という事は、肥料としても効果が高まるという事でしょうか」
ゴパルが一瞬きょとんとしてから、考え直した。
「……そうでしょうね。大量の微生物を、畑に散布する事と同じですから。有害な微生物ではありませんから、植物の根も微生物を利用して、栄養を得る事ができますね」
さらに、思考しながら話す。
「そもそも、植物の根の半分ほどは菌根と呼ばれる、共生菌が根になったモノで占められていますし。結果的に根が増えて、生長が旺盛になると思いますよ」
ゴパルの説明は専門的だったのだが、カルパナの黒褐色の瞳がキラリと輝いた。腰まで伸びている癖のある黒髪が、ピョコピョコ跳ねている。
「そうですか。では、KLが食べた汚水を、タンクに入れて受け取れば良いですね。私の畑で、有機肥料として使えます」
カルパナがスマホで計算した。
「一日に六立方メートルも出ますし、かなりの畑で使えそうです。液体の牛糞厩肥みたいなものですし、教義上も問題ありません」
ゴパルが腕組みをして、再び両目を閉じて考える。ついでに周囲を歩き回って、応接間の棚に衝突した。
「そうですね。牛舎や家畜にKLを使って、臭いを確認してみましょう。悪臭が消えていれば、腐敗菌よりも発酵菌の方が優先しているという状況です。その状態であれば、液体のままで肥料としても使えると思います」
棚にぶつけた鼻を、涙目で手でさする。
「そうすれば、白ガンダキ川に排出する処理水の量も減りますね」
レカがスマホを操作して、ドローンの巡回飛行を始めた。牛泥棒や、バナナ、パパイヤ泥棒の警戒をするためだろう。
カルパナが関わっているので、ここでも絶滅が危惧されているネパール大バナナや、赤パパイヤを栽培しているようである。
「カルちゃんの所には、タンク車は無かったでしょー。買うのに時間がかかるのよ、あれってー。それまでの間は、うちの紅茶園やバナナ園なんかで使ってみるけどーそれで良い?」
カルパナが素直にうなずいた。
「それでいいよ、レカちゃん。ビシュヌ番頭さんと相談しないといけないし、運転手も募集しないといけなくなるだろうし」
そして、時間を確認して、クリシュナ社長に微笑んだ。
「そろそろ一時間経ちますね。ゴパル先生に、美味しいモッツァレラチーズを出してください」
そこへ、レカの兄のラジェシュが、ドカドカと足音を派手に鳴らして、応接間へ入ってきた。
彼は癖のある黒髪を伸ばして、首の後ろで束ねているので、その毛先が体の動きに合わせて踊っている。
「ちょうど良いタイミングだったな。ギャクサン社長が、お詫びにって自家製の生ハムをくれたぜ。ちょうど、シスワでイチジクの収獲が始まったから、買ってきた。一緒に食おう」




