とりあえず引き上げ
結局、カルパナに右手で引き上げてもらったゴパルである。そのまま泥道を、カルパナに右手を引かれながら丘の上まで戻った。恐縮しっぱなしのゴパルが、平謝りする。
「すいません、カルパナさん。どうぞ、手を洗ってきてくださいっ」
しかし、カルパナは糞尿と泥の臭いがする右手を、軽く振っただけで、ニコニコしている。野良着版とはいえ、白っぽいサルワールカミーズにも、点々と泥とハエが付いているのだが、気にしていないようだ。
「ゴパル先生が先ですよ。クリシュナ社長さん、すいませんが、ゴパル先生をシャワー室へ。それから、衣服は廃棄して、サイズが合う衣服を何か用意してください。ケガをしているかどうかも、確かめてあげてくださいね」
クリシュナ社長も、まだ転倒時の泥だらけだったのだが、カルパナの指示に即、従った。従業員を数名呼んで、カルパナの指示を実行するように命じる。
従業員はヒンズー教徒だったようで、ハワスという返事が返ってきた。そのまま衣服やシャワーの準備をしに駆けていく。
その従業員達の背中を見送ってから、顔をカルパナに向けた。かなり真面目で神妙な表情になっている。
「分かりました、カルパナさん。すぐにシャワー室にゴパル先生を案内しましょう」
ゴパルが慌てる。顔にこびりついている泥等が、ポロポロと落ちた。頭の上では数匹のハエが、ブンブン羽ばたきながら旋回している。
「そ、そんな。私は自業自得ですので、駐車場の水道で体を洗いますよ。服まで頂いては……あ~」
それ以上の事は言えなかった。すぐに準備を整えて駆け戻ってきた従業員二人が、ゴパルを強引に引きずっていったためである。
ゴパルを見送ったカルパナが、次にクリシュナ社長に穏やかな視線を向けた。
「次は、クリシュナ社長の番ですよ。泥まみれの姿では、従業員が心配します」
今度はクリシュナ社長が恐縮した。
「い、いえ。俺は後で構わないですよ。客のカルパナさんが、先に汚れを洗い落してください」
レカも撮影を続けながら、カルパナに手を洗ってくるように勧める。しかし、右手を小さく振って口元を緩めるカルパナであった。
「牛糞には慣れています。祭祀の結界を描く際に使いますし。転んだ際に、ケガをしていないかどうか、確認してください。その方が、重要です」
そこまで言われると、渋々ながらも従うしかないクリシュナ社長であった。何度もカルパナに謝りながら、家に戻っていく。
その後ろ姿を見送ったカルパナが、撮影を続けているレカに顔を向けた。ちょっと怒ったような表情になっている。口元は、かなり緩んでいるようだが。
「レカちゃん。こういう時には、撮影を遠慮しなきゃ。サビちゃんは、こういうのが大好きで見るけど……こういうのって、ポカラ観光協会の動画ニュースでは、使えないでしょ」
レカが撮影を終えて、スマホをポケットに入れながらニンマリと微笑んだ。普通、サルワールカミーズにはポケットを設けないのだが。
「ゴパルせんせーのせんせーに送れば、金一封くらい出るかもだしー」
どうやら、クシュ教授に何か頼まれていたようである。少し呆れているカルパナを、レカが駐車場の水道に案内する。
「石けん持って来るねー、サンダルだけでも洗ってよー。カルちゃん、ちょっと待っててー」
そう言って、嬉しそうにスキップしながら、彼女も家の中へ駆け込んでいった。一人残ったカルパナが、軽く肩をすくめて、二重まぶたの目を細めた。癖のある黒髪の先が、腰の辺りで風に吹かれて揺れている。
「これで、一時間が経過しそうかな」




