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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
肥料も色々あるよね編
240/1133

足元

 クリシュナ社長がハエを振り払いながら、腕組みをして呻いた。

「環境に気をつけて、洗剤は全て廃油液体石鹸に切り替えたし、殺菌剤もクエン酸にしてるんだがなあ……」

 ゴパルもハエを追い払いながら、軽く頭をかいている。

「……汚染は、排水中の有機物の量に依存します。微生物に優しい石鹸やクエン酸にしているのは、良い事だと思いますよ」

 そう言って、ゴパルが丘を下って、それぞれの棚田状の湿地を見て回る。クリシュナ社長もついてきたが、途中の泥道で転んでしまった。

 やむを得ず、レカと一緒に丘の上に戻っていく。二人ともに、ぐぎゃぐぎゃ言っている所は、やはり親子なんだなあ、と思うゴパルであった。


 さすがにカルパナは、泥道を歩き慣れているので、転ばずにゴパルと一緒に丘を下っている。

 ゴパルが、カルパナに遠慮がちに言った。

「カルパナさん。ここは私だけで十分ですよ。悪臭とハエやウジだらけですから、服に臭いや泥が付きます」

 そのカルパナは、気楽に微笑んでいる。

「堆肥作りで慣れていますから、お気遣いなく。隠者様からは、散々に『腐れバフン』と言われていますよ」


 そこまで言われてしまうと、ゴパルもそれ以上何も言えなくなってしまった。軽く頭をかく。

「分かりました。とりあえず、今は、このシステムの現状把握をし……」

 足が滑った。


 すってんころりん、という語感そのままに、スルスルコロコロと、ゴパルが泥道を転がって行く。そのまま、為す術も無く、一番上の棚田の湿地に落ちた。

 ベチャン……という湿った音が、カルパナの耳に届いた。続いて、力の無い「ああああ……」という呻き声が届く。

 丘の上で、レカが撮影しながら笑い転げている。その彼女を注意したカルパナが、泥道を巧みに滑り下りていった。

「ゴパル先生、大丈夫ですか?」


 一番上の湿地には、軽石がぎっしりと敷き詰められていて、その上にレンガ大の発泡コンクリートが数多く乗っている。その湿地にはヨシが茂っていて、高さ二メートル以上にも育っている。

 そんな棚田に転がってきたゴパルが、見事にヨシを薙ぎ倒して、仰向けに倒れていた。泥まみれのウシガエルが、腹を上にして転がっているようだ。

 そのウシガエルが、糞尿まみれになりながら起き上がった。表情が真っ青になっている。

 顔や髪に付いている、普通の白いハエのウジの他に、灰色でシワのある、長さ数センチほどのアメリカミズアブのウジも、数匹ほどダンスをしていたので払い落とした。

「だ、大丈夫です。クリシュナ社長に、着替えを何か頼んでくれませんか?」


 カルパナがゴパルに右手を差し出して、苦笑した。カルパナが立つ畦道から、ゴパルが落ちた棚田までは、落差が一メートルほどある。なので、カルパナの手でも十分にゴパルに届く。

「そうですね。とりあえず、そこから脱出しませんか?」


 ゴパルが、泥と糞尿とアシの破片まみれな自身の状況を見て、さすがに遠慮した。ハエも二十数匹ほど全身にたかっている。

「は、はい。自力で脱出しますから、大丈夫ですよ。こんな状態の私に触ると大変です」

 ゴパルがヨロヨロしながらもアシをかき分けて、自力で何とか脱出しようと試みた。

 しかし、軽石と発泡コンクリートで覆われた棚田の床面は、意外に固かったようだ。落下の衝撃が、体にまだ残っているのか足腰に力が入らない。

 カルパナがしゃがんで右手を伸ばしている下で、ヨロヨロし続けている。一メートルほどの高さがある段差に、何とかしがみついて、首をひねるゴパルだ。

「う……膝がガクガクしてるな。何てことだ」

 そんなゴパルに、畦道の上にしゃがんでいるカルパナが、穏やかに微笑んだままで右手を差し出し続けている。


挿絵(By みてみん)


「そのままでは、体が冷えますよ。引っ張り上げますから、手につかまってください、ゴパル先生」

 さすがに観念するゴパルであった。急いで右手の汚れをシャツで拭き取る。

「す、すいません。あの、では、せめて左手を使ってください、カルパナさん」

 ヒンズー教では、左手はトイレで使うような不浄の手である。カルパナが少し怒ったような顔になった。

「左手では力が入りません。私は右手の方が握力が高いので」

 そう言って、左手で道端の雑草をしっかりとつかんだ。爽やかな笑みをゴパルに向ける。

「さ、ゴパル先生。右手を差し出してください」

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