光合成細菌の培養
ゴパルが煮た大豆を煮汁と一緒に、業務用のミキサーに入れて、スイッチを入れた。ゴウゴウと低い音が響き、あっという間に大豆が粉砕されて豆乳状態になっていく。
それを、百リットル容量のタライに移す。その際に、金網ザルを使って固形物をろ過している。
「固形物も、この際、裏ごしして加えます」
ゴパルが金網ザルに残った大豆カスを、香辛料を磨り潰す、すり鉢型の臼に入れて、石の棒を使ってペースト状にし、それを裏ごしした。それでも、大豆の皮等が多少残ってしまったが。これも加えるゴパルだ。
「膜状の大豆の皮も、加えてください。光合成細菌が取りつく土台になりますので」
レカがスマホで撮影しながら、のんびりした声でコメントしてきた。弱い癖のある黒髪が、肩先でユルユルと揺れている。
「完全に大豆の豆乳だねー。飲んだら美味しそー」
カルパナも微笑んで同意している。ちなみに、ネパール人に豆乳を飲む習慣は、それほど無い。もっぱら、ダルみたいな豆スープだ。
ゴパルが、陸送されてきていた光合成細菌のKLの封を開けて、状態を臭いで確認する。量は十リットルだった。
「深紅色である事と、芳香のあるアンモニア臭である事を確認しておいてください。特に、色が重要です。さて、これを混ぜます」
光合成細菌を全量加えて混ぜる。さらに、一キロの岩塩の粉を加えて溶かすゴパルだ。
「塩は、一番安い白い岩塩で十分ですよ。塩は完全に溶かしてください。光合成細菌は耐塩性ですが、それでも限度がありますので。直接、塩に触れると、菌が死んでしまいます」
レカが撮影しながら、興味深そうに眠そうな目を凝らしている。
「へー。熟成チーズの作り方に、ちょっと似てるのねー。塩を使うのかー」
アバヤ医師やサビーナに、熟成チーズを作れと言われているのだろうな……と想像するゴパルであった。
作業に戻る。水道水を加えて、塩入り豆乳と光合成細菌の混合液を百リットルにした。手元に二十リットル容量の、透明なプラスチック容器を寄せる。
「この容量が上限ですね。二十五リットル以上の容量になると、容器の内部にまで光が行き届かなくなって、培養が失敗しやすくなります。では、分注しますね」
ギャクサン社長とバルシヤ社長が、容器に移し入れる作業を手伝おうとしたが、微笑んで断るゴパルだ。
「臭いが付きやすいですから、今回は見ているだけにしてください。二十リットル容量ですので、今回は五個になります。光合成細菌も空気が苦手なので、容量一杯に入れてください」
容器の口を、キャップを締めて閉じる。薄いピンク色をした豆乳だ。
「では、これを培養箱の中へ入れましょうか」
ゴパルが、アルミホイルで内貼りされた箱の中に、五個の容器を入れていく。容器と容器とは、少し距離をおく。こうする事で、光が容器の内部にまで通りやすくなる。
最後に、四本の緑色の発光ダイオードを点灯して、箱のフタを閉めた。床面に配置された、電熱ヒーターにも電源を入れる。
ゴパルが、ほっと一息して、カルパナ達に顔を向けた。
「これで作業完了です。後は、液が深紅色に変わるまで待つだけですね。ポカラは亜熱帯ですので、加温の必要性は、それほど無いのですが、念のために使ってください。水温が二十八度に維持できていれば問題ありませんよ」
カルパナがメモを取りながら、ゴパルに聞いた。結構、真剣な表情である。
「赤くなるまで、どのくらいかかりますか? ゴパル先生」
ゴパルが少し考える。
「そうですね……一か月間を目安にしてください。それだけあれば、豆乳を完全に菌が消化しますので」
カルパナがメモを続けながら、うなずいた。
「分かりました。原液の光合成細菌KLを、これで十倍に増やす事ができますね。続けての培養はできますか?」
ゴパルが片手を振った。
「残念ですが、無理ですね。雑菌が増えやすいのですよ。さらに悪臭が強くなって、色が深紅色から橙色に薄まってしまいます。培養は、この一回だけにしてください」
「分かりました、ゴパル先生」
答えたカルパナが、ニッコリと微笑んだ。
「これまで、光合成細菌の農業資材も使った事があったのですが、培養方法は教えてもらえませんでした。培養キットもありましたが、高価でしたし。光合成細菌の農業資材の値段も、高価ですね」
ゴパルが苦笑しながら手を洗った。水洗いだけでは臭いが落ちないので、石けんを使っている。
「そうですね。普通は、海魚由来のアミノ酸液肥を煮沸して殺菌してから、一%程度の量で培養しますね。さらに、各種の栄養剤を添加します。でも、そういった材料は、輸入に頼るので入手不安が伴いますね」
手洗いを終えて、タオルで手を拭く。
「生卵を使っても、培養できますが、これはサルモネラ菌やビブリオ菌等の病原菌も、一緒に培養してしまいがちですね。かといって、茹で卵や、温泉卵にすると、今度は水に溶けなくなってしまいますし」
ギャクサンとバルシヤ社長が、互いに顔を見交わして驚いている。
「こんなに教えても、構わないのかね?」
「アミノ酸液肥であれば、まとめて大量に輸入すれば問題無いはずだぞ」
ゴパルが軽く頭をかいて、曖昧な笑みを浮かべた。
「大学は非営利団体ですので。この辺りの知見は、既に学会に発表していますから、問題ありませんよ」
口元の緩み具合が大きくなる。
「実は、このKLの光合成細菌もカトマンズ盆地で採集されたものなのです。水田の泥から分離同定しました。ですので、大豆と相性が良いみたいですね。理由はまだ不明ですが」
首都の水田地域では、畝に大豆を植える。大豆の根粒菌と、泥の中の光合成細菌とは別種の菌なのだが、何らかの関係性があるのだろう。




