ロビーにて
ロビーでは、先程とは打って変わって騒々しくなっていた。協会長も落ち着かない様子で、チェックインカウンターのそばに立っている。
ロビー内外を慌ただしく行き交うスタッフを見ながら、ゴパルが協会長に聞いた。
「どうかしましたか? ラビン協会長さん」
協会長がスマホで電話を済ませて、ゴパルに申し訳なさそうな顔で謝った。七三に分けた白髪交じりの髪が、少し跳ねてしまっている。
「すいません、ゴパル先生。たった今、一階の一部屋で、スーパー南京虫が発見されたという報告を、スタッフから受けまして。蒸気殺虫処理を行う準備を、急いで始めています。騒々しくなり、申し訳ありません」
ゴパルが口をへの字に曲げた。
「スーパー南京虫ですか……厄介ですね。私に気兼ね無く、除虫してください」
この虫は、通常の殺虫剤が一切効かない吸血害虫だ。刺されると、強い痒みで苦しむ事になる。ゴパルも、国内の採集旅行で泊まった宿や民家で、この虫に刺される事が多い。
蚊やノミと違い、一直線に移動しながら、つまみ食いするように刺すので、赤く腫れた刺し跡がズラリと並んでしまう。
「ラビン協会長さんに、一つお願いをしたかったのですが……後にした方が良さそうですね」
協会長が、スタッフに指示を次々に出しながら、ゴパルに振り返った。
「いえ、大丈夫ですよ。ご要望を承ります」
ゴパルが頭をかきながら、遠慮しつつ申し出た。
「レンタル自転車の手配をお願いしたいのです。この辺りを散策するには、便利かなと思いまして」
さらに、頭をかいて聞く。
「それから、アンナプルナ内院の寒さ対策で、灯油コンロと、小さな圧力鍋、防寒服や調理用の包丁を売っているポカラの店を、教えてくださると助かります」
協会長がスマホにゴパルの要望をメモして、うなずいた。
「かしこまりました。すぐにアプリの地図上に、候補となりそうな店を挙げておきましょう。レンタル自転車は、すぐ近くの旅行代理店で借りる事ができますよ」
そして、本当にすぐに、ゴパルのスマホに店舗情報が送信された。それを確認するゴパル。
「ありがとうございます。レイクサイド通りに集中していますね。これなら歩いても行けます」
ホテルのロビー内に、スチームタンクを背負った数名のスタッフが駆け込んできた。高温蒸気を噴射しての殺虫方法なので、やけど防止のために手袋やマスクをしている。
彼らに指示を出した協会長が、ゴパルに再び謝った。白髪交じりの整った短い眉が、力なく垂れてしまっている。
「すいません、ゴパル先生。パメへ行くタクシーが来てしまいました。私は、この通りホテルから動けませんので、ゴパル先生だけでカルパナ種苗店へ向かってください。タクシーの運転手が、責任を持って運んでくれます」
ゴパルがニッコリと微笑んだ。垂れ目の上で、少し荒れた眉がヒョコヒョコと上下する。
「構いませんよ。ホテルの宿泊客に、南京虫の被害が出ないようにする事が、最優先ですからね。では、私一人でパメへ向かいます」




