ヤマのお誘い
カルパナが清掃会社の社長に返信を送っていると、ヤマがロビーに入ってきた。かなり機嫌が良さそうで、ネパール式に合掌して挨拶してくる。
「こんにちは、ゴパルさん、カルパナさん。晴れて良い天気ですね」
そう言ってから、今晩のパーティに誘った。しかし、申し訳なさそうに断るカルパナである。
「すいません、ヤマさま。明日の朝にホテル協会の主催で、フェワ湖畔の掃除をしないといけないんです。その準備がありますので、今晩のパーティには参加できません」
残念がるヤマである。
「せっかく日本から、神戸牛のステーキ肉と海鮮刺身盛り合わせ、鶏刺身に焼き鳥を取り寄せたんですが……米も新潟のブランド米ですよ」
カルパナが半歩ほど後ろに退いたので、察するゴパルだ。
(あー……牛肉料理が出るからかな)
ポカラでなければ、こっそり食べる事もできるのだろうが……ゴパルが代わりに引き受けた。
「味見でしたら、喜んで参加しますよ」
ヤマ主催のパーティが始まるのは夜なので、それまでの間パメとシスワ、リテパニ酪農へ行く事にしたゴパルであった。
ヤマに手を振ってホテルの外に出たゴパルが、とりあえずカルパナに謝る。
「すいません、カルパナさん。今日も農作業で忙しいのでは? 何でしたら、今回は私だけでタクシーを使って巡回してみますが」
カルパナがスマホで予定を確認して、気楽な表情をゴパルに向けた。
「んー……大丈夫ですよ。野菜の出荷は朝に済ませましたし、掃除準備が始まる時刻まで一時間くらいあります。その間に巡回してしまいましょう」
そう答えてから、心配そうにゴパルを見た。
「日本の牛肉ですが……前回は散々な出来だったとサビちゃんから聞きました。お腹を壊さないように用心してくださいね」
ゴパルはサビーナと一緒に、あの後で首都の日本料理屋で食べている。一方のカルパナはポカラに残っていたので、彼女にとっては前回になる。ちなみに、カルパナはまだ食べた経験がない。
確かに、冷凍焼けした上に解凍失敗で肉と呼べるような状態ではなかったよなあ……と思い出すゴパルだ。
「今回は日本料理屋の石さんが料理すると聞きましたから、心配不要だと思いますよ。でもまあ、牛肉ですので味見だけに留めておきます」
クスクス笑うカルパナだ。
「ゴパルさんの階級は、奴隷に堕ちない事が保証されています。それほど神経質になる必要はありませんよ。司祭階級の私は沐浴が面倒ですので、遠慮しますけど」
繰り返すが、現在カースト制度は法制上廃止されている。ゴパルが所属する酒飲み階級は、奴隷に堕ちない清浄階級だ。
それと、ヒンズー教では牛肉は不浄な食材なので、もし食べたり触れたりしたら沐浴して体を清める必要がある。牛は神聖なのだが肉は不浄だったりする。このような背景を踏まえた上での軽口だ。
まず最初に、カルパナが運転するジプシーでパメへ向かった。種苗店の三階でキノコ種菌の製造状況を記録撮影し、スバシュから近況を聞いてメモするゴパルだ。
スバシュが軽く肩をすくめて笑う。
「さすがに冷えてきたので、ヒラタケ栽培はポカラ盆地内だけになりました。山間地ではもう無理ですね。ナウダンダのエリンギ栽培試験は順調ですよ」
エリンギは菌床を白い菌糸が覆うまでは気温二十五度で培養するのだが、キノコを発生させるには十三度から二十二度までの涼しい場所に移す必要がある。
ナウダンダではこの時期になると最高気温が十五度以下になるので、霜や凍結に注意しつつ簡易ハウスで温度管理をしている。
感心するゴパルだ。
「上手に標高を利用していますね。エリンギですが、菌がまだ安定していません。本格的な普及はまだ控えてくださいね」
その後はカルパナと一緒にパメの段々畑を巡り、記録撮影を続けていく。今回は新たにミニトマトの契約栽培をしている畑も撮影記録の対象に加えた。
撮影しながらゴパルが軽く頭をかく。
「とはいっても、ミニトマトって丈夫ですからね。放置していても実りますし」
カルパナも素直に同意した。
「そうですね。特に今は乾期で雨が降りません。ポカラ盆地の中でしたら霜も降りませんから楽ですね」
元々ミニトマトはそれほど肥料を必要としない野菜だ。そのため、土ボカシを与えても大した変化は見られない。淡々と撮影記録を進めるゴパルである。
「変化は見られなくても、記録は大事です。ミニトマト栽培では、生ゴミ液肥と生卵入り光合成細菌だけで十分かも知れませんね」
カルパナが半分ほど同意した。
「収穫だけを考えるとそうですね。ですが、今後の事を考えると土ボカシを与えた方が良いと思いますよ。次の作付けに影響します」
次にシスワ地区へジプシーで移動して、イチジク園を見て回る事になった。
ちょうど苗木を定植したばかりだったようで、作業を終えた農家達とカルパナが談笑を始めた。その邪魔にならないように、撮影を再開するゴパルだ。
「へえ……苗木の先端を切り落としているんですね。枝がたくさん出るようにしているのかな」
畑に植えつけられたイチジクの苗木は、地上から二十センチ以上の部分がバッサリと刈り取られていた。枝の切り口には病原菌の侵入防止のために、樹脂を塗って切り口を塞いでいる。
カルパナが談笑を終えてゴパルの近くへやって来た。
「それもありますが、乾期ですので苗木が乾かないようにするためです。葉の数を一時的に少なくしているんですよ」
苗木を植える穴は、直径と深さ共に五十センチ程度らしい。その中に土ボカシを穴の深さの半分まで入れている。
苗木を植えつけた後は簡易支柱を立てて、倒れないようにしていた。植えつけ作業後には、KL培養液を水で千倍に薄めた液をたっぷりと潅水している。
苗木の切り口には以前は木工用ボンドを塗っていたのだが、今はより安価な樹脂があるのでそれを使っているそうだ。
そのような説明をしながら、カルパナが苗木の根元を手でポンポン叩いた。
「根が張ったら土ボカシを追加して、生卵入り光合成細菌と生ゴミ液肥を定期的に散布する予定です。リテパニ酪農の廃棄牛乳を発酵させた液肥や、発酵した糞尿は大人気で、量が確保できないんですよ」
当初は発酵糞尿の生産をしない予定だったのだが、農家からの要望に押し切られてしまったらしい。それほど肥料不足が深刻なのだろう。
目を点にして驚くゴパルである。
「ひええ……大人気なんですか。今後はさらにバーク堆肥も加わるんですよね。肥料でも儲かりそうな勢いじゃないですか」
カルパナが穏やかに微笑んだ。
「臭くないので使いやすいんですよ。肥料成分は変わってないそうですけどね」




