ルネサンスホテル
ガンドルンで一泊した翌日、ポカラに下りてきたゴパルが協会長に合掌して挨拶した。
「こんにちは、ラビン協会長さん。ポカラも冷えてきましたね」
協会長が穏やかに微笑んで答えた。ついでに、いつもの男スタッフからチヤを受け取る。
「こんにちは、ゴパル先生。ツクチェからちょうどリンゴが届きましたよ」
小首をかしげるゴパルだ。チェックインを済ませて、いつもの角部屋の鍵を受け取り、手紙や小包を手にする。
「晩生品種のリンゴですか? それにしても遅い収穫ですね」
協会長が少し呆れた表情になった。
「ゴパル先生……晩生品種ですが、今まで収穫せずに枝につけたままで完熟させた中玉リンゴですよ。さらに完熟させて年越しさせるリンゴも控えていますけれどね」
ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。
「ああ、思い出しました。甘くなるんですよね、楽しみです」
リンゴといえばインド産のボケボケで不味いヤツという印象があるので、あまり関心がなかった様子である。今は、ホテルのロビー内のクリスマス装飾に意識が向いている。
「クリスマスですか……アンナプルナ街道の民宿でも飾りつけをしていました。パーティも多くなる季節ですよね」
協会長が少し困ったような笑顔を浮かべた。
「今晩なのですが、ヤマ様が主催してパーティを行う予定ですよ。日本の食材を持ち込むので、サビーナさんが怒っていました。ポカラ産の食材を使ってほしいそうです」
苦笑するゴパルである。
「サビーナさんらしいなあ。そういえば、ガンドルン産のニジマスがそろそろ余ると聞きました」
そこへカルパナが野良着姿でやって来た。薄手のジャケットを羽織っている。
「こんにちは、ゴパル先生、ラビン協会長さま。リンゴが届いたそうですね、楽しみです」
ゴパルがカルパナに合掌して挨拶を返し、慌てて荷物を置きに階段を駆け上がっていった。
「ちょっと待っててください、カルパナさん。荷物を置いて着替えてきます」
ゴパルが急いで汗を流して着替えてからロビーに下りると、サビーナがニコニコしながら出迎えた。手にナイフを持っているのでギクリとするゴパルであったが、皿に切り分けられたリンゴが盛られているのでほっとする。
「こんにちは、サビーナさん。それがツクチェの完熟リンゴですか? 中心部分が金色に染まっていますね」
サビーナが皿のリンゴをゴパルに差し出して満面の笑みを浮かべた。
「お。良い所に目をつけたわね、偉い偉い。染まっているのは蜜の部分ね。蜜が無くても風味は一緒だけど、見た目が良くなるのよ」
既にカルパナと協会長は試食していて、二人ともニコニコしている。ゴパルもすぐに一切れ取って口に入れた。驚きの表情に変わるゴパルだ。
「うは。リンゴの香りが強いですね。甘くて美味しいです。なるほど、完熟させる意味が分かりました」
サビーナがロビーに居る外国人や地元客にもリンゴを振る舞い始めた。カルパナがほっとした表情になってゴパルに微笑む。
「ツクチェのビカスさんのリンゴ園から届きました。無事にこうして出荷できて良かったですね。肩の荷が軽くなりました」
同意するゴパルだ。もう一切れリンゴを食べたそうだが、既に無くなっているので肩を落とす。
「サビーナさん……せめてもう一つ食べたかったです。こんな美味しいリンゴをネパールで食べるのは初めてですよ。欧米の懇親会で出てくるようなリンゴですね。これにもKLの効果が出ていますか?」
カルパナが困ったような笑顔を浮かべて、否定的に首を振った。
「風味は変わっていませんね。収穫量がどうなったのか、後でビカスさんに聞いてみます」
サビーナがニコニコしながら、空になった皿を手にして戻ってきた。
「好評ね。KLを使って風味が良くなるかな、と思ったけど……そんな事はなかったか」
頭をかくゴパルである。
「すいません。ありふれた菌ですので、そこまで要求しないでください。ですが、好評で良かったですね」
サビーナがカルパナと視線を交わしてから、ゴパルに微笑んだ。
「十分に凄い菌だと思うけど。そういえば、ガンドルンのニジマス養殖場に行ったのよね。どうだった? KLで増収増益が期待できそうかしら」
ゴパルが目を点にした。
「もう知っているんですか。さすが情報を得るのが速いですね。餌に使ってみてどうなるか、でしょう。水に使っても、すぐに流されてしまいそうですし」
そう答えてから、簡単にガンドルンでの指導内容を話した。サビーナが意外そうな表情になっていく。
「へえ……そんな簡単な使い方でいいのか。手抜きしてないでしょうね」
ゴパルが両目を閉じて頭をかいた。
「魚の養殖には全く詳しくないんですよ。微生物学研究室でも実験しませんでした。とりあえず、汚染源となる餌にKLを使う事で様子を見るつもりです」
サビーナが聞きながら苦笑している。
「この正直者め。でもまあ、そのくらい慎重に進めた方が良いわよね。ニジマスってツクチェでも養殖してるんだけど、ジョムソンやポカラの特産品にしたいのよ。レストランの料理としても使えるしね」
特産品だらけになりそうだな……と内心で思うゴパルである。
現状では魚介部門でニジマスが特産品一号になりそうな勢いだ。農産物ではトマト、小麦、ミカン、紅茶、オリーブに、畜産品ではチーズがKLを活用した特産品になる可能性がある。
感心して聞いているゴパルにサビーナが明るく微笑んだ。
「さて、気分も晴れたし、パーティの準備を見に行くか。今晩ヤマっちが日本食で宴会するのよね。ポカラ産の食材を使えって言ったんだけど、無視しやがった。なので、あたしは今回関わらないわよ。日本人だけで好きにすればいいわ」
困ったヤマは首都から石を呼んだらしい。それで、サビーナも黙認しているのだろう。
それじゃあ、また後でね。とサビーナが厨房へ戻っていく。その後ろ姿を見送ったカルパナが、顔をゴパルに向けた。二重まぶたの瞳がキラキラしているので、悪い予感を感じるゴパルだ。
「ゴパル先生。魚の養殖なんですが、ベグナス湖やルパ湖で試用してもらっています。そこの農家さんが、KLや光合成細菌を気に入っていますよ。良い効果が出ているそうです」
思わず一歩後ずさりするゴパルである。
「そ……そうですか。朗報ですね、ははは……」




