段々畑を下りながら
ゴパルが撮影を終了して、スマホをポケットに突っ込んだ。
「さて。今回の予定はこれで終了ですね。ゴビンダ教授、ラビさん、お疲れさまでした。ランチビュッフェまで寛いでください」
素直にうなずく教授と助手だ。朝から観光していたので、さすがに疲れたのだろう。
とりあえず種苗店へ下りて、チヤ休憩をする事になった。カルパナが案内しながらゴパルにそっと告げる。
「レカちゃんもディーパク先生と一緒に今日のランチビュッフェに参加するそうですよ。もうすっかり恋人になりましたよね」
ゴパルが気楽な表情で笑った。
「気が合うんでしょうね。めでたい事です」
と、ここでゴパルが小首をかしげた。
「ん? もしかすると、今日のランチビュッフェって何か特別な料理が出るんですか? レカさんって食いしん坊ですよね」
カルパナがスマホですぐに調べてくれた。
「あ……そうですね。来週から西暦太陽暦の十二月なんですよ。観光シーズンのピークが過ぎるので、食材の一斉解放をするのかな。他のホテルやレストランでも同じランチビュッフェを始めています」
十二月になると欧米からの観光客が減り始める。今のうちに食材を消費しておきたいのだろう。
カルパナが段々畑の坂道を下りながら、メニューを読み上げた。
鴨、豚、地鶏のテリーヌ。ウズラの卵入りの冷製ポタージュスープ。鶏白肝のムース。フォワグラのソテー。スモークサーモンの厚切り温製。鶏のグリル。子羊肩肉の赤ワイン煮。クレープで包んだ料理もあった。
ゴパルが冷や汗をかき始める。
「気合が入っていますね……ビュッフェと聞いたので、てっきりサンドイッチが並ぶ程度なのかと思っていました」
クスクス笑うカルパナだ。すっかりご機嫌になっている。
「私はスバシュさんとビシュヌ番頭さんの仕事を手伝いますので、参加できません。食事を楽しんでくださいね」
カルパナが勧めたのは、鶏のグリルだった。
「ソースにポカラ産の野生イチジクと、野生の柿、それにアク抜きしたドングリの実を使っています。派手さはありませんが美味しいですよ」
(あ。これはもしかするとカルパナさんとサビーナさんが、子供の頃に森で食べ歩きしてた頃の経験を生かした料理なのかな?)
そう直感したゴパルがニッコリと笑って了解した。
「美味しそうですね。では、それを食べてみます」
ゴビンダ教授は子羊肩肉の赤ワイン煮を楽しみにしていると話してくれた。
「首都に居ると、山羊ばかりで羊を食べる機会が少なくてね。朝から歩いて腹も減っているし、美味しく食べる事ができそうだよ」
この料理の作り方を簡単に紹介しておこう。
子羊の肩肉を三センチ角に切り、タマネギ、ベーコンと一緒に豚脂の中でしっかりと焼き色が付くまで炒めておく。
別の鍋に移して汎用小麦粉を振りかけてから、コニャックを加えて燃やす。
その後でアルコールを煮飛ばした赤ワインを注いで、具材がヒタヒタに浸かる程度にする。煮ている間にブーケ・ガルニとトマトピューレを加え、塩コショウで下味をつけておく。この時の塩は控えめにする事。
一時間半ほど煮る。最後にブーケ・ガルニを取り出して、上に浮いた脂を取り除き、味を調えて完成だ。
ラビ助手はとにかく腹いっぱい食べたいようだ。カルパナが読み上げた料理の名前を聞いて、満面の笑みを浮かべている。
「豪勢ですねっ。楽しみです」
カルパナがスマホを見ながら、ゴパルに話を続けた。
「ジヌー温泉のアルジュンさんからチャットが入ったのですが、ラプシの収穫が始まったそうです。それと、シイタケ栽培をぜひジヌーでもやりたいと書いていますね」
ゴパルが軽く肩をすくめる。
「シイタケが話題になっていますね。ジヌーは暖かいので難しいと思いますよ。最低気温が……あ」
何か思いついたようだ。
「そうか。モディ川の近くですれば良いかも。水温の低さは保証付きですし。川沿いの気温を測ってみてからの判断になりますが、可能性はありそうですね。クシュ教授とラメシュ君に相談してみます」
モディ川はアンナプルナ内院の氷河が源流なので水温が低い。
ゴパルのスマホにもチャットが届いた。カルパナに断ってから文面を見る。二人とも段々畑の細い坂道を下っているのだが、転ぶ事もなく器用に歩いている。
「クシュ教授からでした。日本のシイタケ種菌会社がブータンに拠点を構えたそうです。インドへ種菌とほだ木を輸出する計画ですね」
ゴパルが先日訪問したプナカにある王立種苗センターと協力して、日本のシイタケ種菌会社が現地工場を作る事になったようだ。現地担当はモリで、ブータン側はサムテンドルジと書かれている。
モリが住むのはゴパルが宿泊した民宿で、一階の北向きの部屋になったらしい。日当たりが悪いので会社に文句を言っている……という事まで細かく書かれている。以前の勤務地だった、車で二日かかる森もこれまで通りに仕事で通うらしい。
(情報が筒抜けだなあ……ご愁傷さまです、モリさん)
同情しているゴパルに近寄って、スマホ画面をのぞき込んだカルパナがクスクス笑った。いきなり近寄ってきたので驚いてドキドキしているゴパルなのだが、顔には出していない。
「ど、どうかしましたか? カルパナさん」
しかし結局、声が裏返ってしまったので心中がバレバレになってしまったが。
カルパナがキラキラした視線をゴパルに向けた。
「ブータンですか。機会があれば、いつか観光してみたいですね」
ゴパルの脳裏に激辛料理の記憶が蘇った。申し訳なさそうに答えるゴパルだ。
「食事が辛いので、その点がつらいですよ。車酔いもしますし。ノミ対策も必須です」




