パン用小麦の種まき
ナウダンダからカルパナのジプシーに乗ってパメに下りた。気温の変化に驚いているゴビンダ教授とラビ助手である。
「さすが亜熱帯だな。バナナやパパイヤが露地で育つわけだ」
ゴビンダ教授にうなずきつつ、暑くなったのか羽ばたく頻度が増えていくラビ助手だ。
「小麦は本来、ナウダンダのような気候が最適なんですよ。ポカラでの試験栽培が上手くいったら、高温耐性を強化してみましょうかね」
車は種苗店の前に停めて、ビシュヌ番頭やナビンと挨拶を交わす一行だ。
パメの住宅地を、瓶回収人がリヤカーを引いて回っているのが見えた。この辺りはバフンやチェトリ階級が多いので、ジュースやチソの空き瓶が多いようだ。カルパナによると、一本四円くらいで買い取ってくれるらしい。
首都のバラジュ地区の相場よりもちょっと安いかな、と思うゴパルである。
まず最初に途中にあるアスパラガスの畑を見る。ゴパルが撮影しながら納得した。
「ポカラでも低温が厳しくなってきているんですね。枯れてしまいますか」
カルパナが穏やかにうなずいた。
「そうですね。地下部は元気なんですが、地上部は枯れてしまいます。刈り取って、敷き草として使っていますよ」
ナウダンダでは今後霜が降りたり、霜柱が立つ季節になる。敷き草をする事でそれを少しでも緩和したいようだ。
続いてタマネギ畑にも立ち寄る。ここでは苗を定植し終えていて、ひょろりとした細いタマネギの葉がゆらゆらと揺れていた。土の状態を確認するだけに留めるゴパルだ。
(他にする事は特にないしね)
さて、小麦畑に到着したのだが、種蒔きを終えた段階なので見栄えしない風景だった。発芽して芽吹くまでには、まだ時間がかかる。
それでもご機嫌な表情のゴビンダ教授だ。
「小麦の品種改良には苦労したんだよ。こうして種蒔きが済んだ畑を見ると、何もないのに美しく見えるものだね」
カルパナが同意して微笑んだ。
「そうですね。隠者さまが仰っていましたが、美しいものだけが美しいのではないそうです。好きな物も美しく見えるんですよね」
ゴパルがスマホで撮影を始めたのを見て、申し訳ない表情で礼を述べるラビ助手だ。
「今後とも、よろしくお願いしますね。ゴパルさん」
ゴパルが撮影を続けながら肯定的に首を振った。
「パン用の小麦品種ですから、私も期待しているんですよ。ピザ屋のピザは汎用小麦粉を使っていますから、あんまり美味しくないんですよね」
小麦栽培ではKLを畑の土づくりに使っているのだが、小麦種子もKL培養液を水で五千倍に薄めた液に浸けてから畑に蒔いている。
麺用と違い、パン用小麦ではパン生地を焼いた際の焼き色が重要なポイントになる。さらに旨味と甘味成分も多めだ。焼きあがったパンの表皮がパリパリしていて、内部はモチモチしている事も求められる。ちなみに表皮はクラスト、内部はクラムと呼ぶ。
栽培上の留意点は、収穫した小麦のタンパク質含有量が低くならないようにする事だろうか。そのため、出穂する前に追肥する必要がある。
焼くパンの種類に応じて求められるタンパク質含有量も変化し、食パンでは十二%前後、バゲットでは十一%前後になる。ケーキのような菓子では七から九%だ。
カルパナが軽く肩をすくめながら、困ったような笑顔を浮かべた。
「用途別の専門小麦品種があれば便利なんですよね。施肥で対処するのは大変です」
ゴビンダ教授が笑ってごまかす。
「ははは。善処シマス」
他には、小麦の収穫時期に降雨が続いた場合に、種子が穂の中で発芽する『穂発芽』と呼ばれる厄介な現象がある。
程度が軽い場合でも、発芽した際に種子のデンプンが消費されてしまうため商品価値がなくなってしまう。ポカラでは雨が多いので懸念事項だ。
ゴパルがこの点を聞いてみると、ラビ助手が汗を拭きながらドヤ顔で答えた。
「穂発芽する遺伝子群はもう特定済みです。ゲノム編集で機能を阻害していますから心配ありませんよ」
カルパナが微妙な表情になったので、慌てて場の雰囲気を和らげようとするゴパルであった。
「そ、そそそそう言えば、カルパナさん。リテパニ酪農の秋茶ってまだ出荷していましたっけ? 私の実家にいくつか送ろうと考えているんですが」
カルパナがスマホを取り出して栽培暦を確認してから、レカにチャット文を送った。と、すぐに返信が来た。暇だったようだ。
それを読むにつれて、カルパナが残念そうな表情になっていく。
「……ちょうど収穫と製茶が終了したばかりですね。在庫はまだ残っていますので、レカちゃんに数箱ほど注文しておきましょうか? 明日は、茶の木の剪定と枝の間引きをするそうですよ」
「注文お願いします。代金は私が前払いで支払いますね」
さすがに今は、着払いにしないゴパルである。




