シャンジャのコーヒー
ルネサンスホテルへタクシーで到着すると、アバヤ医師の姿をロビーで見かけた。ゴパルとカルパナが合掌して挨拶すると、ニヤニヤ笑顔をカルパナに向けてきた。細い一本眉の両端が交互に上下している。
「カルパナ君。期待で顔が緩みきっているぞ。ワシも大いに楽しみにしているが、まだ喜ぶには早い段階だ」
カルパナがコホンと小さく咳払いをして、頬を両手でポフポフと押さえた。
「そ、そうですね。レカちゃんは来ていますか?」
アバヤ医師が肩をすくめた。
「残念だが、レカ君はディーパク君とデート中だ。今回は不参加だよ」
残念そうにしているカルパナだ。その肩をポンと叩くコックコート姿のサビーナである。
「運悪く重なってしまったみたいね。今回は三人での試食になるかな、感想をよろしく頼むわね」
先程ナウダンダで収穫したエリンギは無事に受け取ったと、サビーナがニコニコしながら話してくれた。
「良い出来ね。キノコのスープには間に合わなかったけど、パスタで使ってみるよ」
野生キノコの配達は、今ではゴパルに代わってサンディプの仲間の強力隊に頼んでいると話す。
サビーナがポンポンとゴパルの肩を叩いた。
「これでゴパル君の運び屋仕事も終了ね。お疲れさま。今回のキノコ料理はそのお礼も兼ねてるから、遠慮なく食べなさい」
ちなみに小型四駆便のディワシュには、ジョムソン街道沿いの町のバグルンで出荷が始まったキウイフルーツの輸送を頼んでいるそうだ。彼は個人経営なので小回りが利くと評価するサビーナである。
「ポカラとジョムソンを走るホテル協会の小型四駆便だと、スケジュール調整が面倒なのよ。ディワシュさんはサランコットの民宿街へ野菜を届ける仕事も、きちんとこなしているしね」
パメとナウダンダ産の野菜を実際にサランコットで配達しているのは、ディワシュの友人だが。そういえば、その友人にまだ会っていなかったな……と思い出すゴパルであった。
そのような談笑をロビーでしていると、レストランの中から給仕長が顔を出した。隣には農家らしき男が恐縮して立っている。長袖シャツにトピ帽を被っているのだが、少しヨレヨレ気味だ。
「サビーナさん。シャンジャ郡からコーヒー農家のシャム・マガールさんが飛び込み営業をしに来ました。会ってみますか?」
パン工房の人から助言を受けて、ここへ売りに来たらしい。サビーナがカルパナのスマホで時刻を確認してから了解した。
「短時間なら構わないわよ。試食会の前にコーヒーの試飲をしましょ」
早速会議室に行き、コーヒー農家のシャムが持ち込んできた袋を開けた。サビーナがジト目になって生豆を手に取る。
「ボロボロじゃないの」
コーヒーは、果実から種子を取り出して生豆と呼ばれる状態にする。これを焙煎して粉にし、湯を注いで飲む。
その生豆だが、シャムが持ち込んだモノは粗末な臼で挽いたせいか果肉が付着したままだった。生豆自体にも種子膜が残っていて、多くが割れている。
土埃も被っているので、普通であれば商品にならないという事でシャムに突き返す場面なのだが……サビーナが給仕を呼んだ。
「使えそうな生豆を選んで。試飲するから六人分ね」
ウイ、シェフ!
早速、給仕一人が生豆の選別を始めた。結構手馴れている。
その作業を見ながら、サビーナがシャムに容赦なく生豆の出来を指摘した。シャムはかなり緊張している様子で、声もなくうなだれて聞いている。
それでも、サビーナが一通り文句を言ってから、目元を少し和らげた。口調も少し優しくなる。
「……とまあ、売り物にはならない出来なんだけどね。でもまあ、カビは生えていなかったから、真面目に栽培している事は理解できたわよ」
カルパナがゴパルとアバヤ医師に補足説明した。
「コーヒーの果実は甘いので、放置するとカビが生えてしまうんですよ。生豆の状態にしても、乾いていないとカビが生えます」
甘いのか……と驚くゴパルだ。アバヤ医師も初耳だったようで、目が点になっている。
カルパナが軽く微笑んでから話を続けた。
「この生豆は、道具が悪いせいで割れたりゴミが残ったりしていますね。道具を良い物に替えるだけで劇的に変わると思いますよ。生豆にカビが生えていないのは、シャムさんが真面目に仕事をしている証ですね」
シャムがさらに緊張してガチガチに固まってしまった。アウアウとしか言えない状況になっている。
給仕が手早く選別した生豆は、見事に形と大きさが揃っていた。ひび割れも入っていないのだが、果皮や果肉がくっついたままなので、こすって取り除く。さらに土埃をヘアドライヤーを使って吹き飛ばした。
ゴパルがサビーナに聞いてみた。
「ずいぶんと手馴れているようですが、市販の生豆にもゴミが混じっているんですか?」
サビーナが肯定的に首を振って肩をすくめる。
「まあね。酷いヤツになると腐って糸をひいたり、カビの玉になってたりするかな」
ちょっとその菌を採取したい衝動に駆られたが、ここは我慢するゴパルである。
(後で採取の相談をしてみよう……)
選別された生豆を手にしたサビーナがうなずいた。
「ん。意外に良いかも。それじゃあ、焙煎してみるか」
今回は六人分の生豆なので、サビーナが焙煎器に入れてからコンロの直火で仕上げていく。焙煎器の網の上で生豆が転がりながら、炎に炙られて黒光りし始めた。
感心するゴパルだ。
「サビーナさんって紅茶党だとばかり思っていましたが、コーヒーの焙煎もできるんですね。欧州のコーヒー専門店のマスターみたいですよ」
サビーナが口元を緩めた。
「南フランスでレストラン働きしてたからね。フランスはコーヒー好きが多いのよ」
実際はさらに細かく、エスプレッソ好きやカフェラテ好きという風に分かれてしまうが。ネパールのようにチヤ一辺倒ではない。
ネパールのコーヒーは風味が穏やかなので、あまり強く焙煎せずに手動臼で挽いて粉にした。アバヤ医師はエスプレッソ党なので不服そうな表情をしているが。エスプレッソ用ではかなり強めの焙煎をするためだ。また、臼も専用のモノを使う。
サビーナが挽いたばかりの粉をネルドリップ方式で淹れた。コーヒーカップに注いでいく。試飲なのでエスプレッソ用の小さなカップを使用している。
「それじゃあ、飲んでみましょ」
何も加えずにそのままブラックで飲んだのはサビーナとアバヤ医師だった。他の人は砂糖とミルクを加えている。給仕長も砂糖とミルクを入れて試飲していた。客の注文では砂糖ミルク入りの方が多いのだろう。
ゴパルが垂れ目をキラキラさせた。
「うわ……良い香りですね。苦味も控えめです」
シャムも試飲して驚いている。
「うへ。村で飲むのと別モンだあ……」
カルパナも満足して首を振っている。
「良いですね。パメの家でも買ってみようかな」
一方のアバヤ医師は微妙な表情だ。
「苦味が足らないな。やっぱり徹底的にローストしてだな、エスプレッソで飲まないと楽しめないぞ」
そんなアバヤ医師の感想を聞きながら、給仕長が思案している。
「浅い焙煎と、エスプレッソ用の焙煎とで分けると面白そうですね。ああそれと、できれば果肉は別に分けて乾燥してください。カフェラテに加えると風味が変わるんですよ」
サビーナがコーヒーを飲み干した。彼女もそれほど喜んではいない。
「課題は山積みだけど、将来性はありそうね。それを期待して全量買ってあげる」
給仕長に支払いの指示を出してから、カルパナに顔を向けた。
「コーヒー用の携帯臼をポカラ工業大学に作ってもらってるんだけど、それが完成したらシャムさんの集落へ届けてきて。ついでにコーヒーの栽培方法を指導してもらえると助かる」
スマホで予定表を確認しながら、少し困った表情になるカルパナだ。
「うーん……わかった。行けるように調整するよ。それで、シャムさんの集落はどの辺りにあるんですか?」
シャムがコーヒーを飲み終えて、直立不動の姿勢に戻った。
「は、はい。ワリンの先にあるプラガティナガル町から東の山に入って、歩いて三時間のカウレです」
カルパナが地図検索をかけて場所を確認した。
「……丸一日かかりそうかな。シャムさんの家で泊まる日程になりますね」
ネパールでは山村巡りをすると、だいたいこんな感じになる。途中に宿があればラッキーなので、テント持参になる場合も多い。アンナプルナ街道が便利すぎるのだ。
シャムにとってみれば、いきなり相談もなく臼の供与と訪問が決まってしまったのだが、困惑していない様子だ。しかし、恐縮しながら告げた。
「粗末な食事しか出せません。食料は持参してもらえると助かります」
コーンとディーロしか食べるものがないという場所もある。穏やかな表情で了解するカルパナだ。
「分かりました。何か持っていきますね」
シャムが代金を受け取って、大喜びしながらロビーから出ていった。
サビーナが彼の後ろ姿を見送りながら、ゴパルに話しかける。
「相場の倍の代金だから、農家は喜ぶわよね」
サビーナの店が払う代金は変わらないという。つまり一般の市場では、農家と店との間を取り持つ仲買人が、手数料として徴収しているという事になる。
ゴパルが腕組みをして呻いた。
「カブレの親戚も仲買人が買い叩くと怒っていますね。どこも似たようなものなんでしょう」
給仕長がサビーナに声をかけた。
「サビーナさん。そろそろ試食会を始めましょう。エリンギの掃除と下ごしらえが終わりました。パスタに使えますよ」
サビーナが了解した。
「それじゃあ、始めるか。マガール族が開発中のジリンガパスタを使ってるから、その感想をよろしくね」




