ヤマの慰労会
レストランに入ると給仕長が席まで案内してくれた。
店内では、数組の地元客と欧米からの観光客が食事をしている。いつもは隣の会議室で試食ばかりしているので、少し嬉しいゴパルである。
注文は既にヤマがしていたようで、その確認を給仕長が行っている。今回はゴパルとカルパナが支払う事になったと知り、愉快そうに首を振って微笑んだ。
「そうなると思いまして、赤ワインに一つ手頃な銘柄を加えておきました。これなんかいかがですか?」
ゴパルがワインリストを見て呻いた。
「モレ・サン・ドニですか……確かに、この値段でしたら私も安心です。以前の鳩料理で飲んだ時は、バクタプール酒造の赤ワインが処刑されてしまった、因縁の銘柄ですね。今回も処刑されてしまうのは確定ですが、これにしましょう」
カルパナがゴパルに気をかけながらもクスリと微笑んだ。
「全ての料理と相性が良いワインは無いと思いますよ。今回の主賓はヤマさんですから、私もモレ・サン・ドニで賛成です」
ヤマが恐縮して感謝しながら、ワインリストをじっくりと見た。
「あ……この銘柄はブドウを収穫した畑と生産者名が記されていますね。熟成期間は十五年か。ギリラズ給仕長さん、この値段で構わないのですか?」
キョトンとしているゴパルとカルパナに軽くウインクしてから、ヤマの質問に答える給仕長だ。給仕が水をグラスに注いだり、パンとバターを配置していくのを無言ながらも優雅に指示している。
「大丈夫ですよ。このワインは私の友人に頼んで、現地フランスの生産者から直接買いつけています。中間業者が関わっていないので、その分安く提供できるんですよ」
加えてレイクサイド地区とダムサイド地区は観光特区なので、関税が安く済むらしい。
しかし、せっかくなので……という事で、最初はバクタプール酒造の赤ワインをグラスで頼む事になったのであった。ゴパルが両目を閉じて頭をかく。
「やっぱり、こうなりましたか。公開処刑してください、ははは……」
前菜は野菜サラダだった。カルパナがオリーブ油でつくったドレッシングをかけて食べ、二重まぶたの瞳を輝かせている。
「あら。早速、採れたてのオリーブ油を使っていますね。ドレッシングに使っている香草の香りも良い感じです」
ドレッシングには数種類の香草をすり潰したものが使われていた。オリーブ油の香りを支えるような印象だ。
サラダ野菜の種類も多様である。レタスだけでも数種類あり、これにサラダ菜やニンジン葉などが加わっている。
ヤマもサラダを楽しんでいる様子だ。
「酢の効き具合も私好みですね。葉の表面に薄い油膜が張ってあるので余分な水分を吸っていませんから、葉がパリッと新鮮な食感を維持しています。私も真似てつくってみるんですが、なかなか難しいんですよね、これって」
一方のゴパルは、次の豚肉料理に気持が向いているようである。赤ワインのツマミとしては物足りないのだろう。
そんなゴパルの気持ちを察したのか、前菜のサラダを三人が食べ終わると次の豚肉料理が運ばれてきた。給仕長が料理の紹介をする。
「豚背肉のカツです」
普段こういった料理はピザ屋で主に出しているそうなのだが、ヤマの要望で決まったらしい。
ヤマが照れながらバーコード頭をかく。
「カツって、日本語では勝負に勝つという意味がありまして。ゲン担ぎのために食べたりするんですよ」
ハの字型の眉と口元が少しだけ引き締まった。
「私は直接戦ったりしませんが、報告書をまた山のように書かないといけませんからね。その気合いを入れる目的で注文しました」
事務仕事は大変ですからねえ……と素直に同情するゴパルだ。彼の場合は、経費報告書の作成が遅れ気味である。
ワインはバクタプール酒造の赤ワインなのだが、こういった料理には適しているようだった。ヤマが楽しんで飲んでいるので、ほっとするゴパルである。カルパナの様子も見るが、彼女もニコニコしながら食べている。
作り方を簡単に紹介しておこう。トンカツに準じている。
豚の背肉を日本のカツ用の厚さに切り、掃除して下ごしらえをしておく。これに溶き卵とパン粉を付けて、油で揚げる。豚肉にしっかり火が通るようにする。パン粉にはアーモンド粉と硬質チーズのすりおろしを加えてあるため、焦げやすいので注意。
ソースは今回付いておらず、塩コショウだけだった。付け合わせは、半分に切ったトマトの切り口にニンニクすりおろしを加えたパン粉を付けて、さらにバターを乗せてオーブンで焼いたものだ。キャベツの千切りは添えられていない。
このカツの量は結構あり、食べ応えがある様子だ。
談笑しながら豚背肉のカツを食べ終わった後で、ワインをモレ・サン・ドニに変えた。味見をヤマにしてもらい、皆のグラスに注いでいく。
ゴパルが幸せそうな表情で一口飲んだ。
「相変わらず良い香りですね。いつかバクタプール酒造産でも、このような長期熟成を経たワインを飲みたいものです。これって確か十五年間ほど寝かせているんですよね」
ヤマが素直にうなずいた。
「そうですね。バクタプール酒造のブドウはテンプラリーニョ種ですから可能だと思いますよ。それだけを使ったワインは、残念ながら私は知りませんが」
多くのワインでは、テンプラリーニョ種と他の品種のブドウをブレンドして仕込んでいる。
(カマル社長が他の品種のブドウも植えているのは、ブレンドも考えているためかな)
そんな事を考えて、パンにバターを塗っているゴパルだ。
ヤマの口調が沈んで、背中が再び丸くなった。
「カリカ地区の総合開発事業は、十年、十五年という長期で計画されていたそうです。白紙撤回になるのって呆気ないものですね」
ゴパルが同情しながらパンを食べた。
「ネパールで行われている各種事業って、計画が途中で消えたり、事業が始まっても途中で頓挫する場合が多いんです。あんまり深く気にする事はありませんよ、ヤマさん」
よくニュースになるのは道路や橋の補修工事だ。数年間も放置という事例があったりする。




