サト事件のその後
ヤマはカルパナも食事会に招待していた。
「野良着のままでは良くありませんので、着替えてきますね」
ゴパルも自身の服装を見て、軽く頭をかいた。
「私も着替えてきます」
カルパナがゴパルをホテル前で下ろしてから、いったんパメの家に戻っていった。
ルネサンスホテルのロビーに入ると、既にヤマがソファーに腰かけて待っていた。慌てて駆け寄り、合掌して挨拶をするゴパルだ。
「あわわ……失礼しました。待たせてしまいましたか」
ヤマが疲れた表情ながらも笑って答えた。顔の前で両手をブンブン振っている。彼はスーツにネクタイの姿なのだが、元気がないせいか地味な印象に見えている。バーコード頭も所々断線していて髪が跳ねていた。
「まだ時間前ですから、気にしなくて構いませんよ。サト君には振り回されてばかりですね、ははは……」
ゴパルが急いで部屋に駆け戻り、軽く汗を流してから着替えてロビーに戻った。ヤマと同じくスーツにネクタイ姿になっている。着慣れていない様子だが。
ヤマがチヤをすすっているので、ゴパルもいつもの男スタッフに一杯頼んだ。
「サト君は強制帰国になると聞いています。彼が居なくなると、農業開発局も困るでしょうね」
ヤマが肩を落として背中を丸めた。
「それも深刻なのですが、もう一つあるんですよ」
ヤマによると、サトの任務は農業指導だけではなくて、その後に始まる大きな村落開発プロジェクトの先駆けとしての意味合いもあったらしい。数名の支援隊員がカリカ地区とその周辺に滞在して、農業と土木建築を含んだ総合開発を行う計画だ。
それが今回の事件で白紙になった。
「既に人選を終えていて、日本で語学訓練中だったそうです。年明けにポカラへ派遣される手続きになっていたのですが……別の地域へ振り分けると事務所長から聞きました。西部地域のようですね」
ここでいう年明けとは、西暦太陽暦の新年を指す。一ヶ月半後だ。
ゴパルがチヤをすすりながら同情した。
「無線機を盗まれたのが悪かったのかも知れませんね。軍の関係者に聞いたのですが、軍事転用できる機械なので看過できないみたいです」
ヤマがさらに背中を丸めて、ため息をついた。ハの字型の眉も角度が増して、険しい山の型になっていく。
「ゴパル先生がスマホだけでアンナプルナ内院から通信できているのに、無理して無線機なんかを導入したんですよ。困ったものです」
ゴパルがチヤをすすりながらロビーの外を眺めると、到着したタクシーからカルパナが下りるのが見えた。彼女も今は小奇麗なサルワールカミーズ姿に着替えている。
「語学研修もネパール語だけではなくて、グルン語もやっておくべきでしたね。そうすれば、現地の協力も得やすくなったと思いますよ。カルパナさんが到着しました」
カルパナが小走りでやって来て、ヤマに合掌して挨拶をした。
「お待たせしました。あれ? 今回も私とゴパル先生だけですか?」
も? と聞いて小首をかしげるヤマだったが、合掌して挨拶を返した。
「お二人には、パメで車が落下した際にも助けてもらいました。カリカ地区の川で溺れた時もですよね。そのお礼も兼ねていますよ」
恐らくは、またサビーナや協会長の入れ知恵なのだろうなあ……と推測するゴパルとカルパナである。
とりあえず、情報共有した方が良いだろうと思い、ゴパルがカルパナにサト事件の余波について話した。深刻そうな表情になるカルパナだ。
「……予想以上に大変な事態になっているんですね。今日は美味しい料理を食べて、気分転換してくださいな」
ゴパルと視線を合わせてから、カルパナがヤマに微笑む。
「今日の食事代金は私達で支払いますね」
驚いて申し出を断るヤマだったが、カルパナが微笑み続けながら威圧した。
「困っている人から、食事をおごってもらうわけにはいきません。私は一応これでもバフンの司祭階級ですよ」
ゴパルもヤマの丸まった背中をポンポン叩きながら説得し始めた。
「私も低温蔵での勤務手当が出るようになりましたから、ちょっとしたお金持ちなんですよ。ここは私達に支払わせてください」
それでも、と言い張ったのだが、結局カルパナとゴパルの圧力に屈して了解するヤマであった。
「配慮してくださって、ありがとうございます。また日本へ戻って、事の顛末を報告しないといけなくなりそうでして。ちょっと金欠気味なんですよ。ありがたく、ごちそうになりますね」




