エメンタール風チーズ
ラジェシュに案内された先は、事務室の奥に設けられた大きな定温庫だった。貨物コンテナを改造している。
白い作業着に着替えてから定温庫に入ると、チーズの香りが充満していた。しかし一概に甘い香りばかりではなく、アンモニア臭といった刺激臭も混じっている。天井と床面では換気扇が回っていて、これらのガスを排気していた。
ゴパルが定温庫の中で発酵熟成されている様々なチーズを、ガラスの窓越しに見ていく。チーズの種類ごとに区画分けされていて、互いに干渉しないようになっていた。
感心するゴパルである。
「凄いですね。まるで研究施設のようですよ。低温蔵よりも良い設備です」
笑って恐縮したラジェシュが、ガラスの窓を開けて黄色いチーズを取り出した。それを台の上に乗せて、チーズナイフで切って断面を見せる。大きな空隙がいくつも生じていた。
「これですね。本物のエメンタールチーズはもっと巨大で百キロくらいあるんですが、ここでは小さいサイズです」
ゴパルがビニール袋に入れたスマホで撮影する。
「あーでも、大きな穴がしっかりと開いていますね。エメンタールチーズの特徴です」
エメンタールチーズはスイス特産のチーズだ。原産地呼称保護制度があるので、ポカラで作ってもエメンタールチーズとは名乗れない。なので、販売する際には『ポカラ産の穴あきチーズ』という名称になる。
無殺菌の牛乳にプロピオン酸菌と凝乳酵素を加えて発酵させるのだが、ネパールではヒンズー教徒が多いので牛由来の凝乳酵素は使っていない。これを固めて水分を抜いてから塩水に浸けて、乾燥させてから長期熟成する。
チーズの中に生じている穴は、プロピオン酸菌が発した炭酸ガスによるものだ。主にチーズフォンデュで使われるのだが、サラダに混ぜたりもする。
今回は、これに加えて乳酸菌を添加している。この菌は乳酸だけでなくてピルビン酸も多く作り出すため、本物のエメンタールチーズとの商品差別化が期待できる。
ゴパルが撮影を終えて、ラジェシュに礼を述べた。
「実験室ではこんなサイズで発酵させないんですよ。もっと小さいんです。商業サイズでの実験をしてくれて、ありがとうございます」
ラジェシュが照れながら、チーズをゴパルに差し出した。
「味見してみますか? 今日の夕方にサビーナさんが味見しに来るんですが、その前にどうです?」
チーズにナイフを入れたのは、そういう予定があるためだったのか、と理解したゴパルが垂れ目をキラキラさせた。
「良いですね。では、サビーナさんに先んじて一切れいただきます」
作業着を脱いで事務所に戻ると、カルパナの膝の上でレカが寝ていた。しかしラジェシュを見かけると、俊敏に起き上がった。すっかり体力が回復したようだ。
「あー! クソ兄っ。チーズ庫で試食してきただろー、ずるいぞー」
感心したゴパルが正直に答えると、レカがさらにジタバタし始める。そんな彼女を無視して、ラジェシュが事務所内の壁掛け時計を指差した。
「夕方か。そろそろポカラへ戻った方が良いですよ。この後でヤマさんと食事会をするんですよね」
あえてレカにも聞こえるように話すラジェシュだ。
ぐぎゃぎゃぎゃ、と喚いているレカの後ろ首襟をつかんで、オリーブ油を搾っている作業小屋へ引きずっていく。
「では、道中気をつけて。このバカ妹をダイエットさせてきますね」
やーめーろー、ぶっころーす等と喚いているレカを見送りながら、カルパナが背伸びをした。
「確かに、それほど太っていませんよね。それじゃあ、ルネサンスホテルへ戻りましょうか」




