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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
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こっそり試食

 ゴパルが低温蔵へ戻り、しばらくするとダナが交代で登ってきた。満面の笑顔でゴパルとスルヤに手を振って挨拶する。

「そろそろ試食ですよねー。楽しみです」

 スルヤが呆れた表情で出迎えた。西暦太陽暦で十一月第二週になっているので、日中でも時折息が白くなっている。

「こういう時だけは元気だな。病原菌検査は一応済ませたけど、簡易検査だけだからな。ガッツリ食うなよ、ダナ」

 余裕の表情を浮かべるダナである。

「分かってるって。菌やキノコの採集旅行で散々に腹を壊してきたから、その点は心得てるよ」

 ゴパルが苦笑した。

「あまり自慢にならないよ、そういう経験は。下痢便を垂れ流す水牛みたいになるからねえ……」


 酷い場合には、三十分おきに森の中へ駆け入って用を足す事もある。脱水症状に陥りやすいので、点滴で使う成分に調整したペットボトルを常備するのが基本だ。冷えていればまだマシなのだが、当然のように不味い。

 ちなみにネパールの山中では、たとえ清水が流れていても直接飲む事は避けた方が良いだろう。その上流で山羊や羊の群れが糞をしながら草を食んでいる場合がある。さすがに草地が糞で覆われている事はないのだが、それに近い状態の場所はある。

 特にポカラから直線距離で近い森や高地では、生水を飲まない方がお腹に優しい。


 前回行った試食では酒がメインだったのだが、今回は肉だ。ドライエイジングと呼ばれている低温で湿度管理しての風乾処理と、中華料理の素材である豚の足をカビで発酵させた火腿が主役になる。

 今回は本格的に実験する前の予備実験なので、少量での試験だ。そのため、前回のように客を呼んでの試食会は行わず、身内だけになる。

 酒の場合は毒性試験を済ませた微生物を使用しているので問題ないのだが、今回のは初めてなので不安がある。


 スルヤがまだ呆れた顔をしながら、仕事の申し渡しをダナに行った。

「マジモノの人体実験なのに、よくそんなに気楽でいられるよな。博士課程には人権なんてないってのがよく分かるよ」

 ダナがドヤ顔で答える。

「酒の方が厄介だろ。グルン族の酒飲みどもに囲まれたら、二日酔いは必至だぞ。百%の確率じゃん。それに比べたらマシだろ。食あたりなんか町の食堂でもよく起きるし、僕は病原菌の簡易検査を信用するぜっ」

 色々言いたい事はあるのだが……指摘しないゴパルである。


 その後スルヤが下山していき、ダナが荷物を置いて着替えてから低温蔵へ戻ってきた。目がキラキラしている。

「お待たせしました、ゴパルさん。試食しましょう、試食」

「了解」

 ゴパルも目をキラキラさせていて、電熱コンロのスイッチを入れた。調理するのは低温蔵の外である。


 ドライエイジングは羊肉と、去勢した山羊肉、それに鴨と鳩で試している。内臓が取り除いてある骨付き肉の状態で、表面には青カビが生えている。

 そのカビが生えている部分を削り落として取り除き、水分がかなり抜けた状態になっている肉を骨ごと切り取る。

 さらにクズ肉を腸詰めしたソーセージも作っていた。これにも青カビが生えている。


 火腿は子豚の前足で試しているので小さい。これまた青カビがびっしりと覆っている。カビを削り落とすと、皮をはいだ前足の肉が見えた。

 ゴパルが感心しながらスマホで撮影する。

「へえ……本当に紅色になってる。水分もかなり抜けて石みたいだな。クシュ教授がマイケルさんと一緒に、中華料理屋で採取した菌だったけど、いけそうだね」

 この青カビはどちらも採取後、微生物学研究室で培養したものだ。毒性試験も行っていて無害だと判明している。


 ゴパルが子豚の前足の肉を少量切り取り、油をしいた小さなフライパンの上に置いて炒め始めた。ジュウジュウと音がして、豚の香ばしい臭いが鼻をくすぐる。

 骨付き肉の方は、別の小鍋に注いだ油で揚げていく。骨の中までしっかりと熱を通すためだろう。こちらからも香ばしい臭いがしてくる。青カビソーセージも薄い輪切りにして揚げていく。

 ダナがニコニコしながら見守り、ゴパルのスマホを使って撮影を引き継いだ。

「標高が高いから温度が上がりにくいのですが、何とかなりそうですね、ゴパルさん」

「うん。さて、そろそろ火が通ったかな。では試食してみよう、ダナ君」


 ダナが早速、火腿の炒め物を口に入れた。

「腐ってはいませんね。水分が抜けているおかげで、かなり固いです」

 ゴパルも同じモノを口に入れた。二人でしばらくの間、口をモゴモゴ動かしている。

「……うん。味は悪くないね。豚の味がはっきり分かるよ。ダナ君はどう思う?」

 ダナも口をモゴモゴさせながら、肯定的に首を振った。

「……悪くないと思います。ですが、固すぎますかね」

 同意するゴパルだ。ようやく飲み込んで、カロチヤをすする。

「だよね。このまま食べるには不適だな。マイケルさんの話だと、ダシ取りに使ったり、スープの具材にするそうだから、そういう用途だろうね」

 マイケルは中国人商人で、この火腿の実験を提案してきた経緯がある。


 感想をメモしてから、次の揚げ物を試食する事にする。ダナがドライエイジング処理された骨付き肉を、次々にパクパク食べ始めた。

「こちらは固くなくて食べやすいですね。ちょっと腐ってる部分がありますけど、この程度なら問題ないかな」

 ゴパルも続いて試食していく。微妙な表情で首を振り始めた。

「うーん……内臓はしっかり取り除いたんだけどなあ。脂身が多いのが原因かも」

 青カビは油脂成分を分解して育っていくのだが、組み合わせの相性が今一つだったようだ。


 続いてダナが青カビソーセージの輪切り揚げを食べて、低い声で呻いた。

「ぐえ……コレは失敗かな。食材としては使えそうにありませんね」

 ゴパルも青カビソーセージを食べて、両目を閉じて呻いた。

「う……腐敗菌が繁殖してしまったか。生ゴミ臭がするから酪酸菌かな。確かに油脂が多く残ってるね。塩分濃度がまだ低かったかなあ」

 このソーセージはドライエイジング処理で取り除いたクズ肉を使っている。それを塩漬けしてミンチにし、さらに塩と香辛料を振ってから硝酸還元菌と乳酸菌を添加して腸詰めしたものだ。乾燥させながら熟成を進めていく。

 この間に水分が減っていくので塩分濃度が上昇し、耐塩性の乳酸菌が増えてペーハー値が下がる。青カビを添加したのは、この乾燥を早めるためである。三か月間ほどで塩と乳酸で保存性を高めたソーセージになり、完成する……はずだったのだが。

 特に腸詰めの部分が臭くなっていたので、掃除が不徹底だったという点も追加された。


 ダナが感想をまとめる。

「ソーセージは要改善ですが、それ以外はまあまあだと思います。でも、食堂で出して売れるとは思えませんけど」

 同意するゴパルだ。

「そうだね、そう思うよ。ダナ君ありがとう。後は私が後片付けをするから、部屋で休憩してくるといいよ。登ってきたばかりで疲れているでしょ」

 ニッコリ笑うダナである。

「そうします。試食楽しかったですよ。これに懲りずに、またやりましょう、ゴパルさん」


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