バジル結婚祭
パメの家に到着すると、隠者とナビンが出迎えてくれた。二人とも祭祀用の衣装を着ていて、隠者の額にはU字型の印が描かれている。
種苗店の方へ小走りで向かって行くスバシュにナビンが手を振ってから、ゴパルに改めて合掌して挨拶した。
「ナウダンダから歩いて下りてきたんですよね。ゆっくり寛いで、祭祀を見物してください」
ゴパルも合掌して挨拶を返してから、少しドヤ顔になった。
「これでも体力がついてきています。体重も減って適正値に近づいているんですよ。酒飲み階級でも手伝えそうな事がありましたら、遠慮なく言ってくださいね」
隠者が愉快そうに笑った。琥珀色の瞳が放つ鋭い光も若干緩んでいる。
「ラムラムラム。働き者だな。KL事業が順調に進んでおるようで何よりだ。農村に人が戻りつつある。実に喜ばしい事だな。今後も汝がよく働くように、ワシも祈っておこう」
言外に『新しい事業で手抜きするなよ』と言われているようで、思わず背筋を伸ばすゴパルであった。
「き、恐縮です」
そこへカルパナがクスクス笑いながらやってきた。彼女も祭祀用のサルワールカミーズ姿だ。未婚なのでサリー姿ではない。
「ラメシュ先生は無事に首都行きの飛行便に乗っていきました。畑の巡回お疲れさまでした。祭祀は一時間ほどで終わりますから、その間ゆっくりしてくださいね」
バジル結婚祭はネパール語でトゥルシー・ビバハと呼ばれる。バジルのネパール語がトゥルシーなのだが、実は女性の人名だ。そのため直訳すると『トゥルシーさんの結婚式』となる。
神話なので諸説あるのだが、そのうちの一つを挙げてみよう。
トゥルシーがビシュヌ神に恋をして妻になろうとした。しかし、ビシュヌ神の妻であるラクチミ女神が知り、怒ってトゥルシーをバジルの木に変えてしまった。これをビシュヌ神が憐れんで、密かに結婚をするという話だ。
そのため、ヒンズー教徒の庭にはバジルが植えられている事が多い。パメの家にもあり、ナビンが隠者の手助けを借りながらバジルの木を飾り立てている。ティハール大祭の後なので、マリーゴールドの花輪が中心のようだ。
ゴパルがカルパナの両親や近しい親戚達に合掌して挨拶をしてから、末席に腰かけた。パメの家で働いている使用人からチヤを受け取って一息つく。
(歩き詰めだったから、さすがに疲れたなあ……)
そこへブミカの手伝いをしていたカルパナがやって来た。
ティハール大祭のバイティカの時と違い、結婚式なので食事会を催す必要がある。その準備で忙しそうだったのだが、仕事の合間を見つけてゴパルに声をかけてくれた。
「騒々しいですが我慢してくださいね。食事はどうします? この後、サビちゃんの所で試食会ですよね」
ゴパルが恐縮しながら頭をかいた。
「そうなんですよ。ここでお腹いっぱいになってサビーナさんの所へ行くと、ぶっ飛ばされてしまいそうです。申し訳ありませんが、チヤだけで勘弁してください」
クスクス笑うカルパナだ。
「私も試食会に参加しますから、ここでは食べませんよ。では、ブミカさんにそう伝えておきますね」
カルパナを見送ってから、再びチヤをすする。ビスケットも付いているので、それもかじっている。使用人達がローティもいかがですか、と勧めてきたが、悩んだ末に断るゴパルであった。
「美味しそうですが、我慢しますです」
祭祀はナビンと隠者が淡々と進めていた。
結婚式では一般に花嫁は赤い衣装を着るため、バジルの木に赤い布をかけている。木の根元には手鏡や、既婚者が額に貼りつけるシール等も供えてあった。
細く切った香木を格子に組んで、ネパール和紙を詰めてから火をつける。焚き上げの護摩壇のような感じなのだが、大きさは両手の平に乗るくらいだ。ラクチミ女神に見つからないように、こっそりと結婚式を執り行っているためである。
(ティハール大祭ではラクチミ女神様のご機嫌をとっていたのに、終わるとコレだもんなあ……)
……等と罰当たりな感想を抱くゴパルであった。
焚き上げ中はゴマの種を火の中へくべながら、ナビンがサンスクリット語で結婚を祝う。ヒンズー教の司祭らしい雰囲気なので、とてもヘビーメタルバンドのメンバーとは思えない。
護摩壇が小さいので、祝っている間に燃え尽きてしまった。それでも淡々と祭祀を進めていき、一時間ほどで終了した。
ナビンが立ち上がり、手に持った鈴をチリンチリンと鳴らして終了を知らせる。鈴といっても日本の鈴ではなく、かなり大きな音が鳴る。自転車についている鈴の音を数倍強くしたような感じだ。
おかげで居眠りしかけていたゴパルの目がパッチリと覚めた。
(あ。終わったか。さて、一休みできた事だし、そろそろ宿へ向かおうかな)
ゴパルの他に何人もが目覚ましで起きたらしく、再び騒がしくなってきていた。そんな中で、ゴパルがカルパナの両親達に別れの挨拶をしてからパメの家の外に出ていく。
パメの集落でも、あちこちの家でバジル結婚祭が執り行われているのが見えた。
(祭祀が続くから、この時期は太るんだよね……クシュ教授とアバヤ先生の太鼓腹がさらに膨らむのか)
クシュ教授はネワール族で祭祀を行う階級ではないため、特に何もしていない可能性の方が高そうだが。アバヤ医師の方は、そろそろ食べ過ぎで来院した患者の診察に追われる頃合いだろうか。
そこへジプシーを運転するブミカが通りかかった。使用人も乗り込んでいて、大量のタッパを抱えている。ゴパルを見つけてクラクションを鳴らして停車した。
「ゴパル先生、せっかく料理をたくさん作ったのに食べていかないなんて、私は悲しいですよ」
ゴパルが頭をかいて謝った。
「すいません、ブミカさん。この後で試食会に参加するんですよ。お腹を減らしておかないとサビーナさんに怒られてしまいます」
ブミカと使用人達がニヤニヤし始めた。
「試食会ねえ……物は言いようってヤツかな。それじゃあ、カルパナ様をよろしくお願いしますね」
このタッパには料理が入っていて、今からビンダバシニ寺院とバドラカーリー寺院に供えに行くらしい。パメの集落にも寄って、食事を配るという事だった。
ブミカさんも車を運転できるんだ……と感心しながら車を見送ったゴパルの隣に、カルパナが小走りでやって来た。
「お、お待たせしました。農業を再開する人が増えていまして、その分だけ料理を作っていました。でも、余ってしまいましたけど」
それで寺院やパメにおすそ分けに行ったのか……と納得するゴパルである。
「そうだったのですか、大変でしたね。サビーナさんに一報入れて、一休みしてから試食会へ向かいましょうか?」
カルパナが穏やかに首を振って、申し出を断った。
「いいえ。予定通りに行きましょう。ゴパル先生も私もお腹がすいていますし」
とはいえ、カルパナのジプシーもバイクも他の人に使われていた。タクシーも祭祀中なので空車がない状況だ。そこで、パメからダムサイドまでの渡し舟を利用する事にした。
「バスでも良かったのですが、結婚祭の後ですし、ちょっと気取ってみましょうか」
カルパナの提案に素直に賛成するゴパルだ。
「良いですね。そうしましょう」




