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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
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バイティカ開始

 そんな雑談を交わしているとティカを授ける時刻になった。小奇麗なサルワールカミーズに着替えたカルパナが、小走りで祭祀会場へやって来る。

 会場には年配の女性の姿もあった。カルパナと顔立ちが似ているので母親だろう。他にもバッタライ家の女性が多く揃っている。彼女達は既婚者なのでサリーを着た姿だ。

 ナビンが神妙な態度でカルパナの前に進み出て座った。ダカトピと呼ばれる少し派手な色合いのトピ帽を被っている。

 カルパナがクルミの実を一つ手に取って祝福し、それをナビンの額に当てる。そして、そのクルミの実を持って会場の外に出て、石を叩きつけて一撃でクルミの実を砕いた。

 ほっとした表情になったカルパナが祭祀会場に戻ってきて、座っているナビンの前に膝をついて座る。他の女性はクルミの実を持っていないので、カルパナが代表して儀式を行ったのだろう。


 その後は、去年ゴパルと彼の父が、隣の家のお嬢さんにしてもらった祝福の作法と同じだった。

 カルパナが立ち上がり、ナビンの周りを右回りに三周する。その際に手に持った水差しで、床に水を少量垂らしていく。

 カルパナが一周するたびにナビンの両手に水を注ぎ、それを彼が口に含んで残りを頭上にかける。これを三回繰り返していく。他の女性達も一斉に同じ儀式を始めた。

 次にオレンジ色のマリーゴールドの花びらをナビンの頭に数枚振りかける。

 そうしてから、ナビンの額にティカを描き始めた。最初に白い顔料で下地を描き、その上に九色の顔料を下から順番に塗っていく。ゴパルが去年してもらった際にはマッチ棒の軸を筆代わりに使っていたのだが、ここではマリーゴールドの花の軸を使っていた。


(これを描くのに時間がかかるんだよね……人数が多いから疲れるだろうなあ)

 同情して見守るゴパルだ。ヤマ達はこの祭祀に参加するのが初めてだったようで、興味津々の表情をしている。順番待ちをしているバッタライ家の男達は、早くも退屈になってきた様子だが。


 ティカを描き終えた後に、カルパナがマリーゴールドの花で編んだ花輪をナビンの首にかけた。そして、お金が入った封筒を手渡す。まあ、金額は大した額ではない。ビール一本分程度だ。返礼としてナビンが封筒をカルパナに手渡した。こちらも同様である。


 これで祭祀が終了し、ナビンが立ち上がって次の男に替わった。彼はカルパナの兄妹ではないのだが、親戚という事でティカを受けに来ている。

 ゴパルやヤマといった部外者も居るので、特に兄弟姉妹に限定してはいないようだ。その代わりに、カルパナが封筒に入ったお金を差し出す事もなくなる。


 ゴパルがナビンからトピを受け取った。

「この後は、バンド演奏の時間まで食事ですか? ナビンさん」

 ナビンが困ったような笑顔を浮かべる。

「親戚づきあいがありますからね。でも、ほどほどに切り上げて演奏会場へ向かいますよ。この伝統衣装を脱いで、普段着に着替えないといけませんし」


 ゴパルの順番が来て、カルパナにティカの祝福を授けてもらった。封筒に入れたお金をカルパナに手渡して礼を述べる。

「私にも祝福してくださって、ありがとうございました。ナビンさんは演奏会の準備で、着替えに行きましたよ」

 カルパナが小さくうなずいた。

「そうですか。それじゃあ、私もそろそろ脱出しますね」


挿絵(By みてみん)


 続いてヤマと数名の支援隊員の順番になり、カルパナがティカをそれぞれの額に描いていく。

 それが終わるのを会場の外で待つゴパルだったが、かなりの人から挨拶を受けてしまった。その多くはカルパナの事をよろしく、というような内容である。一応、そつなく対応しながら内心で照れているゴパルである。

(そりゃあ、一年間以上も関わっていると、こういう風になるよね……)


 カルパナの父親と母親、それに親戚もやって来て、ゴパルにニコニコの笑顔を向けている。特に母親の方はかなり積極的に話しかけてきた。

「ゴパル先生。カルパナは年増ですが良い子です。見捨てないでくださいねっ」

 話し方が何となくナビンに似ているなあ……と思うゴパルであった。首都では晩婚の女性も多くなってきているのだが、それ以外の地域ではまだ少ない。

「年増ではありませんよ。仕事に熱中してしまうと、ああなってしまうものです。私もそうですしね。KLの事業が広がったのはカルパナさんが尽力してくれたおかげです。感謝すべきなのは私の方ですから、見捨てるなんて、とんでもないですよ」

 ほっとした表情になった母親と横に立っている父親である。

 次いで傍に居る親戚達に何か指示を下した。小声でしかも略号を使っていたので、ゴパルにはよく分からなかったのだが……

(バラジュとカブレ、スヌワールって単語が聞こえたような……まあ、親戚を含めた調査は必要だよね)

 気楽に考えるゴパルだ。家と家とのつきあいになるので、こうなるのは自然の流れになる。

 しかも、カースト制度が廃止されているとはいえ、ヒンズー教の司祭を擁するバフン階級の家と酒飲み階級の家なので、双方の親戚が衝突しやすいのだ。インドでは衝突が行き過ぎて、殺人事件にまで発展する場合もある。

(私は次男坊だし、そんなに問題にはならないでしょ。カブレの親戚が騒いでも、かあさんが無視するだろうし)


 和やかにカルパナの両親と話を交していると、ヤマと援助隊員がティカを額に授かって戻ってきた。それを見てカルパナの両親が微笑みながら去っていく。

 ヤマはパメの段々畑に車を落として壊しているし、援助隊員はカリカ地区の農家に嫌われている。会わないのは当然だ。

 一方のヤマはそういう状況には気がついていない様子である。ニコニコしながら首にかけている花輪を触った。支援隊の面々は早くも互いのティカをスマホで撮影して喜んでいる。

「緊張しましたが楽しいですね。カルパナさんが今日は神々しく見えましたよ」

 内心で同意するゴパルであった。いつも見ているのは野良着姿なので、祭祀用に着替えると別人のようだ。


 もちろん、そのような感想は口にしないでヤマにこの後の予定を聞く。

「間もなくすると、演奏会が始まります。聞きに行きますか? ヘビーメタルのバンドですので騒々しいと思いますが」

 ヤマが援助隊員と日本語で相談してから、残念そうに答えた。

「会食で配布する資料づくりが、まだ終わっていないんですよ。見てくれるかどうかも怪しいのですが、資料を作るのが決まりでして。ですので、聞きに行くのは無理ですね。夕方の会食で会いましょう」

 同情するゴパルだ。資料の内容については聞かない事にする。聞いてしまうと、何かの面倒事に関わってしまうかもしれない。

「大変ですね。レカさんによると、演奏会の様子を撮影してホテル協会のポータルサイトに載せるそうです。気が向いたら、見てくださいね」


 ヤマが新車のジプシーに支援隊員を押し込んで走り去っていった。それを見送ったゴパルが祭祀会場に目を向けると、カルパナもバイクに乗って走ってきた。

 後ろの荷台にはナビンが座っている。既に二人とも着替えていて、長袖シャツにジーンズというラフな姿だ。

「先に演奏会場へ行きますね。ゴパル先生はゆっくり来てください」

 ゴパルがニッコリと笑ってうなずいた。

「そうですね。演奏を楽しみにしています」


 パメの家ではナビンの嫁のブミカが留守番をしているらしい。バイティカの儀式が終わったので、この後はインドドラマでも見ながらチヤ休憩をするそうだ。

 通常はバイティカが終わると食事会になるのだが、パメの家は巡礼客が宿泊しているので行わないという話だった。

 カルパナが苦笑している。

「親戚の人数が多すぎて、食事会をする場所がないというのが実情ですけれどね。パメやチャパコット、ナウダンダに分散して食事をします」

 ナビンが同じように苦笑しながら話を続けた。

「何軒も巡ると、首にかける花輪の数が多くなります。誰が食いしん坊なのか一目で分かりますよ」


 ゴパルがカルパナのバイクを見送って、軽く背伸びをした。近くの民家の前や交差点では、男の子の集団が歌っておどっている。思わずポケットの中の財布を確かめるゴパルだ。

(おっと……もうデウシが出てきたか。小銭は用意してあったよね)

 デウシというのは、家を回ってティハール大祭の賛歌を披露する男の子の集団の事だ。女の子の場合はバイリニと呼ばれるが、基本的にバイリニは夜中に行うので今の時間帯では見られない。ただ、デウシ隊は賛歌というよりは、お囃子に近いので騒々しい。踊りはインド映画ダンス風だ。

 デウシ隊はいくつもあり、小学生ばかりの隊や高校生の隊まで様々だ。しかし共通しているのは、適当に歌って踊って金を要求するという点だが。

 歌の内容は、インドで善政を行った王様が病気から回復したので皆様にお知らせします、というようなものだ。これの前後に、お菓子食べたいとかジュース飲みたいというフレーズが即興で加えられる。

 女児三人組はバンド演奏の後で歌と踊りを披露するようで、デウシ隊に加わってはいなかった。しかし、夜になればバイリニ隊に混じって歌いまわるんだろうなあ……と予想するゴパルである。

(体当たりされないように気をつけようっと)


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