トマトの自家育種
さて、トマトの自家育種だが以下の方法だ。
トマトの実は、開花後五十日ほど経っていて柔らかくなっているものを採取する。これを八果以上確保する。
ただ、年によっては発芽不良になる事があるので、これとは別にトマトの実を取り置きしておく。そのままでは腐ってしまうので、種を取り出してから洗浄して乾燥し、冷暗所で保管しておくと良いだろう。
トマト一品種につき二平米ほどの土地を用意する。土地の表面を引っかいて雑草を取り除き、適当な厚さで育苗土を被せる。
こうしてから畑に溝を浅く刻み、トマトの実を中に入れて並べていく。二週間ほど経つとトマトの実が溶け始めるので、土ボカシを振って軽めに覆っておく。
ただ、この際にナメクジや野ネズミ等が多いと、トマトの実を食べられてしまう。そのため、土地を選ぶ際には注意が必要だ。
土壌の状態によって発芽時期が変わるのだが、平均気温が十度以上であればすぐに発芽してくる。
カルパナがトマトの実に土を被せ戻しながら、二重まぶたの瞳をキラリと輝かせた。
「トマトの実にはたくさんの種が入っていますので、一斉に発芽すると草むらみたいになってしまいます。ですが自然に間引きされて、最後には数株しか残らないんですよ。畑に一番適した苗が自然に選ばれるのでしょうね」
そうは言っても雑草対策は欠かせない。トマト苗よりも高い雑草が生えないように除草したり、刈り草を敷いたり、土ボカシで被覆したりする。
特に刈り草を敷く事は、トマト苗が大きく伸び始める頃に徹底すると良いだろう。これによってトマト苗の根が伸長しやすくなる。
平均気温が二十度以上になると、トマト苗の生長が加速する。その中で特に勢いの良い苗を選んで、支柱を立てて誘引する。一年目のトマトの茂みはこの状態だ。
トマト苗は一株から側枝を多く出す。側枝は基本的に摘み取らないで、よく生長させる。そのため、苗の周りに支柱を三十センチ間隔で六本くらい立て、トマトの側枝や主枝をらせん状に斜めに誘引する形になる。この見た目が、まさに草むら状態だ。
トマトの花が咲いて実がつき収穫時期になったら、育種用の株を選ぶ。判断基準としてはトマトの実を多くつける事、食べると風味が良い事、病害虫の発生が少ない事等だ。選んだ株は『母木』と呼ぶ。
ただ、一年目は様々な個性の株が出現するので、母木もできるだけ多く選抜しておくと良いだろう。二年目から最も良い母木を選んで一、二株に絞る。
この母木からトマトの種を採種するのだが、トマトは第六から第七段目の花房まで収穫できる。そのため、一段目や二段目の段階では普通に食べて、種取りするのは第五段目あたりから始めると良いだろう。
ちなみにウリ科野菜の場合では、種取り用の果実をつけて育てると雌花の数が減る。そのため、はじめは通常通りに収穫して、母木を選んでから種取り用の果実を実らせる。一本のツルに対して一つから二つの割合で良いだろう。
なるほどと感心しながら、茂みをスマホカメラで撮影しメモを取るゴパルだ。カルパナが説明を終えて、軽く肩をすくめて微笑んだ。
「在来種はこうして維持していきます。ですが、この通り面倒なんですよね。交雑を避けないといけませんし」
ゴパルが同意した。スマホをポケットに突っ込んで、周囲を見渡す。
「農地は農家の周囲に集中していますからねえ……距離を離すのは難しいですよね。かといって耕作放棄地で自家育種すると失敗の恐れがあるでしょうし」
耕作放棄地は野ネズミの巣になっているので、畑に埋めたトマトの実を食べられてしまう。
カルパナが時刻を確認した。
「バフンやチェトリ階級の農家は互いに離れて住みますが、それでも気を使いますね。ここではフェワ湖からの上昇気流も強いですし、ミツバチやマルハナバチも飼っています。これがグルン族やネワール族でしたら、一ヵ所に固まって住みますので難しいですよね」
ゴパルはスヌワール族なので、どちらかといえば一ヵ所に固まって住むタイプだ。カブレの親戚が固まって住んでいるので、うっかりそれを基準に考えてしまったようである。頭をかいて両目を閉じた。
「そうでしたね。自家育種が上手くいく事を願っています。そろそろティカの時間かな?」
カルパナが穏やかに微笑んでうなずいた。フェワ湖からの上昇気流が強まり、彼女の腰まで伸びている髪がフワフワと浮き上がった。
「そうですね。では、パメの家に向かいましょうか」
とは言っても、段々畑からパメの家まではそれなりに距離がある。畦道を歩いて下りながら、雑談を続けるゴパルとカルパナであった。
農家へ普及する際に五年間の輪作を導入する計画だと聞いたので、ゴパルが質問した。
「カルパナさん。小麦ですが種の量は確保できそうですか? 確か、小麦は自家育種をしないのですよね」
カルパナが素直にうなずいた。
「はい。ゴビンダ先生が推薦した国内の種苗会社から毎年種を買う事になります。流行病が収まったら自家育種を考えていますけど……今は無理ですね」
発展途上国を中心にして、世界中でいもち病と赤カビ病、赤サビ病が流行している。耐性遺伝子を組み込んだ汎用小麦だけが栽培されている状況だ。
自家育種すると、この遺伝子が機能しなくなる恐れがある。また、発芽が揃わなくなり、一斉収穫が困難になる。
カルパナが困ったような表情で微笑んだ。
「ネパールでは伝統的に熟した小麦の穂だけを選んで収穫していたので、一斉収穫の習慣は無かったんですけどね。今は難しいです。人手と時間がかかり過ぎて、他の農作業に支障が出てしまうんですよ。人手不足が深刻ですね」
坂を下っていくとパメの家の屋上が見えてきた。既にカルパナの親戚が多く集まっているようだ。それを見ながらカルパナが小さくため息をついた。
「多いなあ……ティカの祝福が終わった後で、弟のバンド演奏にちょっと参加する予定なんですよ。その時間までに終わるといいのですが」
ゴパルが遠慮しながら聞いてみた。
「確か、ナビンさんのバンドってヘビーメタルとかいうジャンルですよね。いくつか映像を見ましたが、かなり過激な歌と踊りでしたよ。大丈夫ですか?」
踊りというのは、恐らく頭を振ったり走り回る事を指しているのだろう。カルパナがニッコリと微笑んだ。
「曲は静かなものにしていますよ。ティハール大祭の最終日に、首の筋を痛めそうな事はしません」




