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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
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トマトの自家採種

 途中でズッキーニの畑を横切った。もう収穫を終えていて、株が何本か引き抜かれている。ズッキーニの株は大きくて固いので、粉砕してから畑に戻して土にすき込むという事だった。

 ゴパルがその話をスマホで録音しながら歩いていると、カルパナが照れながら立ち止まった。

「ここがトマトの自家育種をしている畑です。やっぱり地味ですよね、すいません」

 一応は耕されていているのだが、草むらがあちこちに生じていて、トマトらしき株が見当たらない。

 ……と思ったが、草むらだとばかり思っていた茂みは、よく見るとトマトの株だった。赤く熟した小ぶりのトマトも葉の陰に見える。


 カルパナがゴパルの反応を見て、さらに恐縮した。

「皆さん、同じような反応をするんですよね。雑草に見えますがアレがトマトの株です。自家育種して二年目になりますね。一年目の株はこちらです」

 そう言ってカルパナが指さしたのは、本当に雑草の茂みのように見えた。

 ゴパルが目を点にしたままで感想を述べる。

「トマトの種って、果肉を洗い落としてから乾燥して保存しますよね。カブレでは、その種を育苗箱に蒔いて発芽させているのですが……こういう見た目になっているのは初めて見ました、カルパナさん」


 カルパナが耕したばかりの場所に行き、浅い溝の中に並べられている赤い完熟トマトを見せた。

 溝は直線ではなくて円を描いている。どれも土ボカシが薄く上に被さっていて、既に溶け始めていたが悪臭は感じない。むしろ……

「KLを水で五百倍に薄めた液を定期的にかけています。土の中でボカシになっていますね。発酵臭が少ししています」

 カルパナの横にゴパルが座って、ドロドロになり始めているトマトの実を眺めた。溶けているのは、トマトが持つ自己分解酵素の働きによるものだろう。

「ですね……トマトの実には糖分が含まれていますから、乳酸菌や酵母菌が増えたのかな。その系統の発酵臭です。肥料は与えていないようですね」

 カルパナが素直にうなずいた。

「はい。自家育種する際には無肥料です。土が肥えていると育ち過ぎて失敗してしまうんですよ。畑を耕すのも最小限にしています。表面を引っかく程度ですね。その後で土ボカシを撒いて、雑草対策をしています」


 こういった自家育種の畑は、パメからナウダンダにかけての何ヶ所かに設けているらしい。標高が違うと微気象や土質が違うため、栽培暦を変えないといけない。

 このようにして作物を選抜する事で、その場所でしか出せない独特の風味や品質、貯蔵性が発達する。

 加えて無肥料で自家育種を繰り返すと、肥料を吸う能力が高い品種が生まれやすくなる。そのような品種は通常よりも少ない肥料で育つのが特徴だ。


 カルパナが穏やかに微笑んだ。

「こうやって毎年毎年、自家採種と育種をして選抜を繰り返していくと、その野菜の長所と短所が分かるようになるんですよ。おかげで生育の良し悪しを判断しやすくなりますね」

 具体的には葉の色、大きさ、葉脈の形で判断できるらしい。枝の出方や、花のつき方、茎の節間の長さ等も参考になると話すカルパナだ。

 感心して聞くゴパルである。

「そこまでいくと、芸術家とかそういう感じですね。クシュ教授も培養皿の菌の動向を見て色々と判断しています。私はそこまでの目利きには、なれそうにありません」


 自家育種するためには自家採種する必要がある。この際に気をつける事は雑種交雑だ。これは異なる品種間で花粉のやり取りが起きてしまい、雑種が誕生してしまう現象を指す。

 雑種交雑が起きると、作物の姿や高さにばらつきが生じたり、果実の大きさや品質が不均一になる。商業生産する農家にとっては好ましくない状況だ。


 カルパナがそう説明をしながら、軽く肩をすくめた。

「ですが、雑種を一切認めないで育種すると病気に弱くなったり、大きく育たなくなってしまうんですよ。ですので、少しだけ雑種が混じるように工夫しています」


 ゴパルは育種学ではなくて微生物学なのだが素直に聞き入っている。

「微生物学ですと、基本的に菌は純粋培養する前提ですね。遺伝子の水平伝播を起こしたい場合に、混ぜ合わせて培養する程度かな。KLは例外なんですよね、ははは……」

 菌の世界では、ある特定の遺伝子を異なる種類の菌に渡す事が起きる。この現象を遺伝子の水平伝播と呼ぶ。

 よく見られる例としては、抗生物質や殺菌剤に耐性を発揮するために必要な遺伝子を、異種間でやり取りする事が挙げられるだろうか。細菌やカビに限らず、ウイルスとやり取りする場合もある。


 交雑の心配があるため、自家採種する野菜は自家受粉する品種をメインにすると良いだろう。そういう意味でもトマトは適している。

 トマト以外のウリ科野菜では交雑しやすいので、異品種とは五十メートル以上離して栽培した方が無難だ。さらに花粉を手作業で付けた後、その花には袋掛けしておくと良い。

 ニンジンやネギ、カボチャ、コーンは非常に交雑しやすい。そのため、五百メートル以上は離しておくべきだろう。

 そのニンジンだが、掘り取り時期によって早生わせになったり晩生になる傾向がある。その点に留意して収穫適期内にニンジンを掘り取り、風味が良くて栽培しやすいものを選んでおく。後日、そのニンジンを畑に植え直して育て、花を咲かせて採種する。

 このようにして自家採種していくのだが、その土地環境に適応するまでに五年ほどはかかる。連作障害が起きやすい野菜品種では、二年目か三年目に同じ畑の別の場所に植え替えると良いだろう。


 カルパナが説明しながら、ゴパルにいたずらっぽく微笑んだ。

「育種学のゴビンダ先生には内緒にしてくださいね。実は一代交雑品種の野菜でも試しています。モノによっては五年後に固定種にできますよ」

 一代交雑品種というのは、いわゆるF1品種や交配品種の事だ。今や大多数の野菜や穀物がこれである。

 自家採種して植えると、普通は収穫量や品質が低下してしまい、売り物にならなくなるのだが……カルパナのこれまでの話を、てっきり在来種に限定しているとばかり思っていたゴパルが目を丸くしている。

「マジですか。確かにゴビンダ教授やラビさんには言えない内容ですね」

 カルパナが肩を軽くすくめて微笑んだ。

「全てではありませんよ。運が良ければ……という程度の話です」

 在来種は昔ながら栽培されている固定種だ。F1から作り出した固定種は、新品種と同じになる。

 育種学のゴビンダ教授とラビ助手が大騒ぎするのが容易に想像でき、クシュ教授も加わってゴパルに新たな指令を下す姿が目に浮かぶ。

(うん。口外しないでおこう。そうしよう)

 固く決心するゴパルであった。


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