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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
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トマト栽培の評価

 ゴパルがようやく風邪から回復し、ポカラへ下りてきた。ルネサンスホテルのロビーでカルパナに出迎えてもらい恐縮している。

「体力がついたと思っていたのですが、まだまだですね。体調管理には気をつけます」

 カルパナが穏やかに微笑んだ。彼女はいつもの野良着姿だが厚めの生地になっている。

「この時期は大祭が続いて忙しいですものね。今日はバイティカの日です。お昼過ぎに、私がゴパル先生にティカの祝福をして差し上げますね」


 ティハール大祭の最終日がバイティカの日だ。兄弟姉妹の女性側が、男性側にティカと呼ばれる印を額に描いてあげて祝福する。その際、女性側はティカの祝福を済ますまで断食を行う事になっている。

「実は私も朝から何も食べていません。おかげでお腹が空いて困っています、あはは」

 さらに恐縮するゴパルであった。

「ありがとうございます。ですが、トピ帽を持ってきていません」

 カルパナが軽く肯定的に首を振って、いたずらっぽく笑った。腰まで伸びている癖のある黒髪が、遅れて左右に揺れている。

「弟のトピを借りてくださいな。今はトピ帽の使い回しもできる時代ですから」

 頭をかいて了解するゴパルである。

「分かりました。では、部屋に荷物を置いてきますので少しだけ待っていてください」


 パメの種苗店は休みだった。ジプシーを店の前に停めたカルパナが、助手席に座っているゴパルに話しかける。

「バイティカの日ですので、今日はお休みです。キノコ種菌工場では夜明け前に、スバシュさんが仕事を済ませていましたよ。鍵は持っていますので、見ていきますか?」

 ゴパルが気楽な表情で否定的に首を振って答えた。

「一日くらいでしたら特に問題はないですよ。このまま段々畑を見て回りましょう」


 まず最初に行ったのはトマト畑だった。収穫を終えていて、作業員の姿も見当たらない。カルパナがスマホで栽培記録を見ながら説明した。

「ええと……半年前に育苗を始めた夏トマトですね。土ボカシを使って栽培したのですが、それでも樹勢が強くなりがちです。ですので、次回からは栽培方法を少し変える事にしました」

 樹勢が強いというのは、トマトの株の枝葉の伸びや茂り具合が強い状況を指す。こうなると、花が咲きにくくなったり、トマトの実が小さくなったりするので、商業栽培では警戒される。

 カルパナの話では、実際にトマトの実がつきにくくなったり、形が歪んでしまう株が出ていたようだ。


 対策としては、育苗の段階で制御する事になった。

 まず、育苗箱で種蒔きして育てたトマト苗が、平均して二枚半以上の本葉数になった段階で一回目の植え替えをする。これは直径九センチの育苗ポットで、育苗土を詰めてある。

 本葉の数が平均で五、六枚になった頃に、二回目の植え替えを行う。これには直径十五センチの育苗ポットを使う。

 そのまま育苗を続け、本葉の数が平均で十枚半以上に達して、花のつぼみができた頃に畑へ定植する……という変更だ。

「これでかなり樹勢を抑える事ができると思います。トマトが元気すぎるのも困りものですね」

 肥料は土ボカシが中心になり、生ゴミ液肥や生卵入りの光合成細菌で補うという方針になった。生ゴミボカシは、苗を定植する前の段階で畑に撒く段取りだ。定植後は使用しない。


 ゴパルがスマホで録音しながら、メモを取る。

「なるほど。大きく育った苗を植えるという事ですね。素人の私から見ると、わざわざ老化した苗にしているように見えますが、こういう栽培方法もあるんですねえ」

 通常は、本葉の数が少ない段階の苗を定植する。この方が順調に生育するためだ。本葉の数が多い苗を定植すると、育ちが悪くなる傾向がある。そのため、こういった大きな苗は老化してしまったと呼ばれて避けられる。


 カルパナも少し困ったような笑顔を浮かべた。

「そうなんですよね。普通はそう思われてしまいますよね。ケシャブさん達は納得してくれています。ですが、他の農家に普及する時に、彼らを納得させるのに一苦労するとボヤかれてしまいました、あはは」

 素直に同意するゴパルだ。

「でしょうね。カブレの親戚に私が教えても、多分鼻で笑われてしまうのがオチだと思います」


 続いて冬トマトの畑へ向かった。収穫が本格化するのは二ヶ月ほど後になるそうで、これも順調に育っている。トマトの株は支柱に沿うように、紐で緩く固定されていた。

 カルパナが摘み取り忘れの脇芽をポキリと折る。

「この時期でもフェワ湖からの上昇気流が吹くんですよ。強くはないですけれどね。ですので、トマトの茎を痛めないように緩く結んでいます」

 ゴパルが近づいて見ると、8の字型の結び方になっているのが分かった。サランコットの丘の斜面を見上げて納得する。

「標高差がありますからねえ……ですが、夏トマトの時ほどは心配しなくて良いのかな」

 カルパナも丘の尾根筋を見上げてうなずいた。

「そうですね。雨が降らない分だけ楽ですね。土があまり深くありませんので、脇芽は全て摘み取る必要がありますけど」


 ちなみに、この脇芽を取る作業中は禁煙だ。タバコ葉に潜んでいるウイルスがトマトに感染するのを防止するためである。

 このトマトは欧州の在来種だそうで、ウイルス病に弱いらしい。剪定ハサミも使い回すと感染源になりかねないので、使用していないと話してくれた。


 感心して聞くゴパルだ。

「徹底していますね。ウイルスや細菌は侮れませんから、そういう気配りをするのは賛成です」

 カルパナが照れながら、困ったような表情を浮かべた。

「ですが、なかなか徹底できないんですよ。仕方ありませんので、農家向けの栽培マニュアルを作っています。文字を読むのが苦手な方も多いですので、映像にしています。レカちゃんのおかげで好評ですよ」


 ネパールでは文盲もんもうとまではいかなくとも、ネパール語の読み書きを困難に感じる人が多い。

 バフンとチェトリ階級が最も少ないのだが、それでも十人に二人の割合だ。グルン族のような独自言語を有する民族になるとさらに増える。


 現在はミニトマトでホテル協会と農家が契約栽培を結んでいるのだが、今後はこれを参考にして他の野菜でも広げていく計画らしい。まずはトマトから始めるそうだ。

 カルパナが穏やかに微笑んだ。

「KLを使った栽培方法ですね。本格的に契約栽培を始めるのは、次回の夏トマトからになると思います」

 今は標高に応じた栽培マニュアルと栽培暦の作成、生ゴミボカシと土ボカシ、それに育苗土の大量生産を、清掃会社と相談しながら進めていると話してくれた。

「トマトは連作障害が出ますので輪作に組み込まないといけません。ですので、五年で一巡する輪作を考えています。小麦も加えるつもりですよ」


 ゴパルが目を点にして聞いている。

「はええ……一大プロジェクトじゃないですか。ああでも、ラビン協会長さんがポカラにはたくさんの民宿やホテルにレストランがあるって言っていましたね。需要が大きいのか……」

 カルパナがいたずらっぽく微笑んだ。

「商業栽培ですから、規模はどうしても大きくなります。サビちゃんと組んで、売れ残ったり規格外の野菜を使った料理も試作中ですよ。これはレトルト食品にして国内外へ売る予定です」


 この他にサビーナからは、料理用の野菜として色々な西洋野菜の栽培を求められているらしい。

「西洋野菜は多くが涼しい気候に適していますから、パメやチャパコットではなくてナウダンダで栽培してみる予定です。これまで小規模で栽培していたので、面積を広げるだけですから楽ですよ」

 西洋ネギにエシャロット、セロリ、ニンジン、カブ、温帯のハーブ、パセリといった野菜を主に作付けする計画だと話してくれた。

 暖かいパメではニンニクやタマネギ、アスパラやズッキーニ等を栽培するそうだ。


 感心して聞きながらスマホにメモしているゴパルに、カルパナが少し困ったような笑顔を見せた。

「ガンドルンの農家も話を聞きつけていまして、参加したいと申し出てきているんですよ。標高はナウダンダと同じくらいですし。他の集落からも問い合わせが来ていますね」

 ゴパルが腕組みをして両目を閉じた。

「うーん……残念ですが、今の段階では急激に規模拡大するのは危険だと思います。まずはナウダンダだけで始めるのが良いはずですよ」

 カルパナも素直に同意した。

「そうですよね。隠者さまも同じことを仰ってくださいました。では、最初にナウダンダで試してみましょう」

 確か、今の段階でナウダンダでやっているのは段々畑一枚、二枚くらいの面積だったっけ……と思い起こすゴパルだ。それだけでも千平米はあるのだが。

「あまり手を広げないでくださいね、カルパナさん。過労で体調を崩してしまいますよ」

 苦笑するカルパナである。

「あはは……肥料問題が解決したので浮かれていますね、私。自制するように心がけます」


 カルパナがスマホで時刻を確認した。

「バイティカをするまで、もう少し余裕がありますね。せっかくですから、トマトの自家育種の畑に行ってみましょうか」

 ゴパルが目を輝かせた。

「良いですね。ぜひ見学させてください」

 カルパナが微笑みながらも恐縮している。

「ですが、すごく地味ですよ。がっかりさせてしまうかも知れません」


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