黒カルダモン
ジヌーで食事を摂ってから、急な坂を上っていくラメシュであった。彼も体力がついてきているようで、足取りが安定している。ただ、歩いている道は登山道ではなくて地元民が通る道なので、時々つまずいているようだが。
耕作放棄地が多くて森林になっている場所もある。放牧されている山羊の群れがラメシュを見て逃げていく。一方で牛は動かないので迂回して上っていく。
登るにつれて風が冷たくなっていき、植生も変化していく。笹や竹が増えてきた辺りでセヌワに到着した。
集落を通り過ぎる際に、シイタケを栽培している場所に立ち寄って状態を確認する。シイタケの芽である原基の数が順調に増えているので、ほっとしているようだ。スマホで撮影して記録し、そのままセヌワの民宿街へ向かった。
民宿街は観光シーズンなだけあって観光客で賑わっていた。真っすぐにホテルセヌワへ行き、食堂で酒やツマミ料理を運んでいるカルナに手を振って挨拶する。
「やあ、カルナさん。忙しそうですね」
カルナが客にビールを運んでから、ニコニコ笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい、ラメシュ先生。ゴパル山羊が風邪ひいたせいで、色々と大変だったみたいね。部屋は取ってあるから荷物を置いてきて」
こう言っては何だが、ゴパルに対する口調と大違いである。
宿のオヤジのニッキも気づいている様子だ。部屋に荷物を置いてロビーに戻ってきたラメシュに、チヤを手渡してニコニコしている。
「黒カルダモンの収穫が始まりましたぜ、ラメシュ先生。長老達と話し合ったんですがね、KLを使ってみようとなりまして。カルナが案内しますんでチャイ、ちょっくら見てきてくれないかナ」
ラメシュが頭をかいて戸惑っている。
「黒カルダモンの栽培は知りません。ごく基本的な使い方しか提示できないと思うのですが……それでも構いませんか?」
ニッカリ笑うニッキだ。
「構わないよ。もう日が沈むから、暗くならないうちに見てきてくれナ。カルナちゃん、案内よろしくナ。ちょっとくらいは遅くなっても問題ないぞ」
カルナが顔を赤くしてジト目をニッキに向けた。
「ぶっ飛ばされたいの? ジヌーまで突き落とすわよ」
西暦太陽暦で十月下旬の夕焼けに赤く染まるセヌワの森の中は、急斜面である事を除けば立派な景勝地だ。以前にシャクナゲの花を撮影しに行った森とは別で、ドングリの実がなる木々が生い茂っている。
思わず夕焼けの森をスマホカメラで撮影したラメシュを、カルナが急かした。
「すぐに日没になって暗くなります。ちょっと急ぎましょう」
「分かりました。傾斜が急ですから、暗くなると危険になりますよね」
森の中を歩きながら、カルナが話しかけてきた。二人きりなので緊張しているようである。
「ラメシュ先生。黒カルダモンの乾燥処理なんだけど、ジョムソンで行う事になりました。これでサビーナさんも納得してくれるかな」
元々セヌワでは、収穫した黒カルダモンの果実を薪の火で加熱して乾燥させていた。しかしこの方法では焦げてしまったり、煙の臭いがついてしまう。そのため、サビーナが嫌っていた経緯がある。
そこで、ジョムソンのホテル協会のサマリ協会長に相談したと話してくれた。ジョムソンは雨が降らないため湿度が低く、乾燥場所としては都合がいい。
なるほど、とラメシュが納得している。
「考えましたね。キノコの乾燥をするにも適しているかな。生シイタケよりも干しシイタケの方が保存が利きますし、良い風味になるんですよ」
クスクス笑うカルナだ。
「さすがキノコの専門家ね。シイタケを干す事も長老に提案してみます。そうだ、プン族が使っている山小屋がアンナプルナ南峰近くにあるんですよ。野生キノコの採集で使っているんだけど、良い景色ですよ。時間があれば案内しますね」
標高が四千メートル以上なんだろうなあ……と想像しながらも穏やかにうなずくラメシュであった。
「そうですね。ぜひ連れていってください」
カルナが嬉しそうに微笑む。
「このセヌワの斜面を登っても息切れしていませんから、大丈夫ですね」
そんな話を交わしながら、黒カルダモンの栽培地へ到着した。
まだ夕焼け空なので、スマホのカメラで撮影できる明るさだ。黒カルダモンは森の木々の中で栽培するため、夜になると真っ暗になる。
「何となくですが、ショウガの株を巨大化したような見た目なんですね。果実は株の根元に実るのか……なるほど、野ネズミの食害が気になりますよね」
ラメシュが栽培地の印象を述べて、軽く腕組みをして考え始めた。
「生ゴミボカシを直接与えると、野ネズミを多く呼び寄せてしまいますね。土ボカシを使った方が良いかな。株を土ボカシで埋めてしまわないように、株の周りに置くとしましょうか」
素直に了解するカルナだ。
「そうしてみます。セヌワの集落には苗畑もありますよ。そこでも土ボカシを使うようにしますね」
黒カルダモンは種と地下茎の両方で育苗する事ができる。ちなみに地下茎から育てた苗では、三年ほどで収穫が可能だ。
しかし、地下茎を使う場合にはアブラムシが媒介する病気に注意する必要がある。縞モザイク病と黄化病が代表的で、東ネパールの産地では大流行して黒カルダモンが壊滅した所もある。
ラメシュが申し訳なさそうに頭をかいた。
「土ボカシは肥料効果しか期待できません。病気に対しては有機農薬を使った方が良いでしょうね」
それについては楽観的なカルナだ。
「ここは関係者以外の立ち入りが禁止されているし、苗も種から育ててるから、そんなに心配していませんよ。規格外のクズ果実もリキュールとかの材料に使いますし」
そう言ってから空を見上げて、少し残念そうな表情になった。
「そろそろ宿へ戻りましょう。明日の朝にABCへ向けて発つんですよね」
ラメシュがスマホをポケットに突っ込んで答えた。
「もうカメラ撮影も限界ですね。低温蔵では少量ですが発酵チーズの試食会をする予定です。臭いチーズばかりなんですが、カルナさんも味見してみますか?」
ちょっと考えてからニッコリと微笑むカルナだ。
「ニッキ叔父さんや父さんと相談してみないといけないけど……参加しようかな」
肯定的に首を振るラメシュである。
「それは良かった。低温熟成している紅茶もありますので、それの試飲もしてみましょう」




