青刈り大豆
登山の準備を終えたラメシュが、カルパナの運転するジプシーに乗ってパメに到着した。とりあえず車内にリュックサックと防寒ジャケットを残して、車を下りる。
種苗店からすぐにスバシュが駆け寄ってきて、ラメシュに合掌して挨拶をしてきた。
「ようこそ、ラメシュ先生。もうABCへ登る準備万端ですね」
ラメシュも合掌して挨拶を返し、軽く頭をかいた。
「ゴパルさんが、もう少し丈夫な体でしたらね……私も楽ができるのですが。ははは」
種苗店はいつも以上に多くの客で賑わっていた。カルパナの弟夫婦も接客をしている。ティハール大祭では花の需要が高いので仕方がない。
「立ち話して時間を潰す余裕は無さそうですね。早速ですが、青刈り大豆の様子を見せてください、スバシュさん」
青刈り大豆は、緑肥の一種としてよく使われている。マメ科なので根粒菌が付き、畑の土を肥沃にしてくれる効果がある。
普通は枯れる前に畑の土にすき込んで分解させ、作物の栽培を始める。特に窒素肥料をある程度までは節約できるので、化学肥料が不足しがちなネパールでは重宝されている。
今回はエリンギ栽培の菌床材料として使うので、枯れるまで育てている。ヒラタケ栽培で使う稲ワラのような扱いだ。ただ、稲ワラよりも栄養価が高いので、大きなキノコになるエリンギ栽培で採用されている。
その枯れた青刈り大豆の段々畑に到着したラメシュが、満足そうな笑みを浮かべた。早速スマホを取り出して撮影を開始する。
「良い出来ですね。大豆もちゃんと残してありますし、良いエリンギの菌床になると思いますよ」
枯れているとはいえ、まだ水分を多く含んでいる。そのため、刈り取ってから数日間ほど放置して乾燥させる必要がある。
その後は、大豆ごと粉砕して菌床の材料に使う計画だ。粉砕する際に使うのは携帯式の削岩機なので少々大仰だが。この機械は、生ゴミボカシづくりで骨や貝殻を砕くために清掃会社が導入している。
ラメシュの判断を聞いて、ガッツポーズを取っているスバシュだ。
「よっしゃ。エリンギの量産計画がまた一歩前進しましたね」
カルパナも穏やかな笑顔を浮かべている。
「ですね。耕作放棄地の有効活用にもなりそうです。放牧牛と山羊除けの網柵は必要になりますけどね」
明日の朝にスバシュとケシャブ達で刈り取り、そのままティハール大祭が終わるまで放置して乾燥させる段取りになった。
スバシュがケシャブにチャットで知らせてから、フェワ湖を挟んだ対岸のチャパコットの山を指差す。ハウスが並んでいる場所ではなくて、森に覆われた北斜面の一角を見た。
「ラメシュ先生。ちょうど今、クチナシの実から染料を作っているのですが、見に行きますか?」
ラメシュが困った表情で時刻を確認する。
「うーん……そろそろABCへ登らないといけません。今日中にセヌワまで登っておきたいですね。残念ですが、クチナシの染料抽出を見るのは次の機会に回しましょう。お店の手伝いをしてください」
作業記録自体はゴパルが作ったファイルがあるので、見なくても特に困る事はない。
少し残念そうな表情になるスバシュとカルパナであった。しかし、すぐにカルパナが車のカギを指先で引っ掛けてクルクル回しながら告げた。
「では、シャウリバザールまで車で送りますね」
ラメシュが恐縮して遠慮した。
「乗り合いバスで行きますよ。カルパナさんも種苗店が忙しいでしょ」
スバシュと目配せをしたカルパナが、いたずらっぽく微笑んだ。
「気分転換になりますから、問題ありませんよ。今の時期は乗り合いバスも超満員ですしね。それに、ナヤプルでディワシュさん達に捕まってしまうと困るでしょ」
スバシュが肩をすくめて口元を緩めた。
「最新情報でも、サンディプとディワシュがナヤプルの居酒屋で飲んだくれているそうです。捕まると、セヌワへたどり着けませんよ」
がっくりと肩を落とすラメシュである。
「そうでした、その二人がナヤプルに居ましたよね……ティハール大祭直前なので、仕事をしているとばかり思っていましたが……そうですか」
ポカラからナヤプルまでは舗装道路なのだが、ナヤプルからガンドルンまでは土道だ。それでも川沿いの平坦な道なので、それほど大きく揺れる事にはならなかった。すぐにガンドルンへの上り坂の手前に到着する。通称シャウリバザールである。
ここも今では立派な茶店街になっていて、地元客や観光客で賑わっていた。既に民宿の建築も始まっている。
カルパナが道端に車を停めて、いつもの茶店にラメシュを案内した。プン族のオヤジが出てきてニコニコ笑ってチヤを持ってくる。ラメシュもオヤジとは顔見知りの間柄になっていたので、挨拶してから素直にチヤを受け取った。
「繁盛していますね。これでジヌー温泉町までの道が整備されれば良いのですが」
オヤジがドヤ顔で笑った。
「整備されるそうだぞ。いつになるかは、まだ未定だけどな。数年先かも知れないから気長に待つよ」
道や橋をつくる計画が頓挫したり、何年も先延ばしになったりするのは、ネパールではよくある事だ。
カルパナがチヤをすすりながら、オヤジに礼を述べた。
「サビちゃんが、野生キノコをいつも出荷してくれてありがとう、と感謝していました。料理の評判も良いそうですよ」
照れるオヤジである。
「ワシは便宜を図っただけだよ。実際にキノコを採ってるのはカルナちゃん達だ。山奥のプン族の連中も現金収入が増えて喜んでいるしな。このティハール大祭で新しい服や靴が買えたって、はしゃいでるよ。ついでにタバコもガッツリ買ってるみたいだけどな、ははは」
カルパナが苦笑して聞いている。
「タバコは控えめにしてくださいね。これから乾期が厳しくなりますから、火事が心配です」
実際に乾期が本格化するのは四ヶ月くらい後になるのだが、素直に了解するオヤジだ。
「心得た。ラメシュ先生は、ジヌー泊まりかい?」
「いいえ。セヌワまで上がるつもりですよ。ゴパルさんが風邪をひいて寝込んでいますので、低温蔵が人手不足なんです。ダナ一人だけではちょっと厳しいかと」
同情する茶店オヤジだ。
ラメシュが何か思い出したようで、茶店オヤジに教えた。
「そろそろ発酵チーズが仕上がります。明日、ABCで試食会をする予定ですよ。いつ行うかは、後で連絡しますね」
キラリと目を輝かせるオヤジだ。
「おお、そうかい。それじゃあ、ワシも味見しに行くとするか。少し残しておいてくれ」
ラメシュが気楽に了解した。
「分かりました。ですが、本当に少しだけしかチーズを作っていませんから、お腹いっぱいにはなりませんよ」
カルパナが残念そうにため息をついた。チヤを飲み干して空になったグラスをテーブルに置き、ラメシュの分の代金を支払う。
「私は参加できそうにありません。ゴパル先生にはゆっくり安静にするようにと伝えてくださいね。それじゃあ、私はそろそろパメへ戻ります」
ラメシュとオヤジに合掌して挨拶をしてから、車に乗って走り去っていった。それを見送るラメシュだ。
「良い人ですよね。ゴパルさんにはもったいないような気がしますよ」
オヤジがニヤニヤ笑いを浮かべた。
「背後のバッタライ家がクセモノだけどな。それじゃあ、後でチャットでもいいから知らせてくれ」
川沿いの道をたどってジヌーに着くと、アルジュンに捕まってしまった。幸い酔っぱらってはいなかったのだが、ヒラタケが育たないという農家からの知らせを伝えてきた。
頭をかいて答えるラメシュだ。
「あー……気温が下がってきていますからね。そのせいでしょう。ジヌーでは、この時期までが栽培限界のようですね。栽培を再開できるのは暖かくなってからになると思います」
がっかりしているアルジュンである。
「そうかー……残念だナ。観光シーズンなんだが、ちょっと無理か」
ラメシュが少し考えてから提案した。
「温泉の温水を引いて、簡易の温室を作ってはどうですか? 連作障害が出るので、毎回場所を変える必要がありますが」
腕組みしたアルジュンがうなずいた。
「そうだナ。温水パイプを引く工事も進んでるし、試してみるかナ」




