種苗
この時代での一般種苗の世界市場シェアは、欧米と中国インドの種苗会社でほぼ全てを占めている。
各国には国営や公営の種苗会社や団体もあるのだが、気候変動や異常気象の増加に対応できていないのが実情だ。ゴビンダ教授が指導している育種学研究室は例外的な存在といえる。
これらの種苗会社は種苗に特許を多くかけていて、農家が勝手に自家採種する事を禁じている。各国政府にも圧力をかけていて、種苗を農家へ安く供給する事に反対していたりもする。
そういう状況なのだが、政府との妥協の産物が、汎用小麦や米、豆といったモノだ。どれも収穫量が多くて病害虫にも強く、異常気象にも耐えるのだが、不味い。
不味いという単語に大きくうなずくカルパナとサビーナ、それにレカだ。サビーナとレカがインド米の不味さをここぞとばかりに主張し始めた。
それを聞きながら、カルパナが穏やかな口調でラメシュに語る。
「在来種の需要は大きいんですよね。おかげで私も頑張る意欲が出てきます」
こういった世界的な状況の中で抵抗しているのが、ジェシカが代表を務めている有機農業団体のような組織だ。
しかし種苗会社に比べると圧倒的に規模が小さく、政府への影響力にも乏しい。実際、米国内で在来種の種子生産が難しくなって、代わりにネパールで行おうとしている。
カルパナが寂しそうな表情をしながら、紅茶のカップを置いた。
「世界中で熱波や干ばつ、大雨が起きていて、病害虫が猛威を振るっています。ですので、品種改良して対応するというのは賛成です。在来種が栽培できなくなってきていますし」
カルパナが少しだけ顔を上げた。
「ですが、在来種は守って欲しいですよね。ゴビンダ先生が行っている種子銀行は応援していますよ」
ネパールではダサイン大祭に用いる大麦の芽や、田植え祭り、トゥルシー祭のバジル、チャッテ祭で使うバナナ、冬の長芋と、農業と深く関わる祭事が多い。ここで用いられているのは在来種なのだが、消えると寂しくなる。
在来種で特に重要視されているのは、香り米だ。ネパールはヒマラヤ山脈の南側が稲作文化で、北側は小麦や雑穀文化なのだが、香り米はどちらでも歓迎されている。
しかし、政府機関や種苗会社が開発している香り米は、その香りが乏しいので人気がないのが現状だ。
ラメシュがカルパナに語り始めた。淡々とした口調である。
「在来種って、実は品種改良をする上でも重要になるんですよ」
品種改良をするためには、多様な遺伝子資源が必要になる。人工的に遺伝子を組み立てる事もできるのだが、既に存在する遺伝子を使う方が安くて便利だ。
その作物の原種には多様な遺伝子資源が含まれているので、重要視されている。そのため、原種の獲得競争も激しい。
結果、例えば中米ではトウモロコシの原種を全て種苗会社に押さえられてしまった。それらを使って品種改良が行われ、商品化された種子を農家が買う構図になっている。この品種には特許があるので、農家は特許使用料を払う必要がある。
さらに種苗会社と栽培契約書を交わし、指定の肥料や農薬、資材を使う義務もある。できた作物は指定した業者のみに売る条項も含まれる。違反者には罰金が科せられる。
この品種の花粉が国中に飛んだので手当たり次第に交雑してしまい、中米諸国ではトウモロコシの在来種が農家の畑から消滅してしまった。
さらに大農地のある外国で栽培して、それを輸入する事も並行して推進された。そうなると規模とコスト勝負になる。
結局、国内の零細農家では太刀打ちできずに、廃業してしまう所が続出した。流通面では、同じ時期に同じサイズ品質で収穫できる品種が重宝される。在来種は長期間だらだらと収穫される傾向が強いため、流通業者からの評判が低いのが現状だ。
そのような話を淡々としたラメシュが、コホンと小さく咳払いをした。話し過ぎたと反省したのだろうか。
「……ええと。私の専門はキノコなので、いくつか間違えているかもしれません。今話した事は、話半分で聞いてくださいね」
キノコと聞いて、サビーナがニコニコの笑顔になった。
「昨日、ディワシュ君から野生キノコを受け取ったんだけど、カルナちゃん良い仕事をしてるわね。明日からのティハール大祭の食事会で早速使ってみる」
今回は、ヤマドリタケモドキ、ホウキタケ、アイシメジ、マイタケ等だったらしい。
ラメシュが目をキラキラさせ始めた。さすが専門分野になると顔つきが違ってくるようだ。
「特にお勧めなのはホウキタケですねっ。野生品種なので風味にバラツキが出てしまうのですが、それを差し引いてもこの時期のキノコでは美味しいですよ。栽培品種にできないか四苦八苦しているんですが、なかなか……あっすいません。つい話し過ぎてしまいましたね」
サビーナがご機嫌な表情のままで、ラメシュの肩をバンバン叩いた。
「いいって、いいって。そういえば、この後はパメに行って、エリンギ栽培の実験をするんでしょ? 期待しているわね」
カルパナが嬉しそうにニコニコしている。
「これが上手くいけば、量産もできるみたいだよ、サビちゃん」
頭をかいて恐縮するラメシュだ。
「まだ量産化には早いですよ。まずは栽培種として種菌が安定する事が最優先です」




