リヨン風サラダ、ニジマスの冷製スープ
ゴパルが垂れ目をキラキラ輝かせた。
「これ好きなんですよ。サラダというよりも、卵とベーコンを食べるような料理ですよね」
このサラダは葉脈を取った葉野菜やハーブに、ベーコン塊を細い棒状に切って炒めたたものと、ポーチドエッグを乗せて、油たっぷりのドレッシングをかけた料理だ。
ポーチドエッグは黄身が温められた程度で、白身は薄く固まる程度の火の通しにしている。これらをフォークやスプーンを使ってかき混ぜて食べる。
早速パクパク食べ始めたゴパルを見ながら、カルパナもニコニコして食べ始めた。
「この鶏卵はバルシヤ養鶏の産ですよ。KLを使っているんですが、風味の差は感じられないかな」
アバヤ医師がサラダを食べながら、軽く肩をすくめた。
「そりゃそうだろ。KLの菌が卵の中にまで入ってきたら一大事だわい。それよりもだな……」
コホンと咳払いをして水を一口飲む。
「ベーコンはレカナートの養豚団地の産だろ、コレ。こちらの方が驚いたよ。普通のベーコンになってきているじゃないか。まだ臭いけどな」
ゴパルもカリカリに炒められているベーコンを口にして大きくうなずいた。
「私はもう気になりませんよ。炒めたせいで臭いが飛んだのかも」
カルパナもベーコンを食べて同意している。
「ですよね。私も驚きました。確かにまだ少し臭いや癖が残っていますけれど、それほど気になりませんね」
給仕長が会議室に入ってきて、ほっとした表情を浮かべている。
「品質が良くなってきていますね。もう少し向上すればレストランでも使えるようになるでしょう。現状ではまだピザ屋専用ですね」
カルパナがスマホを取り出して記録内容を見た。
「ええと……レカちゃんの報告なんですが、養豚団地の周りの民家からも悪臭が和らいだという評価ですね。あ。実際に聞き取り調査をしたのは、お兄さんのラジェシュさんとディーパク先生でした」
そうだろうなあ……と思うゴパルである。ついでにディーパク助手に同情もしている。
「悪臭が弱くなったので、豚にかかるストレスも抑えられたのかな」
そういえば軍駐屯地前の茶店でチヤ休憩した時も、悪臭は気にならなかったなと思い出す。
アバヤ医師がジト目になってゴパルを見た。
「それを調べるのが学者の仕事だろ」
両目を閉じて頭をかくゴパルだ。
「そうなんですが……畜産関連の研究室が縄張りにしている分野なんですよね。微生物学研究室が首を突っ込むと、ちょっと面倒な事になるんですよ」
さらに加えると、養豚団地内は養鶏場と同じで関係者以外立ち入り禁止なので、行く機会がなかなか無い。バフン階級であるカルパナの立場もある。豚肉は不浄扱いだ。
ここは話題を変える事にした。ゴパルがアバヤ医師に聞く。
「病院の仕事が忙しいと聞きました。外国人の患者さんも増えているんですか?」
アバヤ医師が軽く肩をすくめた。彼もサラダを食べ終えている。
「まあな。抗生物質に耐性のある菌にばかり感染してくるから面倒だよ。こういう生野菜とか搾りたてジュースを好んで摂るからな、連中は」
この手の菌には、カビの仲間の真菌がある。これには肺炎を引き起こすような病原性のある種類も多い。
抗生物質は病原菌の細胞内にある特定のタンパク質を標的にするように設計されていて、これを破壊する事で殺菌する。
ところが真菌には、この特定のタンパク質を大量生産する種類がある。こうなると物量勝負になる。抗生物質に破壊されるよりも多く生産する事で、殺菌されてしまう事を防ぐという戦術だ。殺菌されないと、その抗生物質は効かないという事と同じになる。
そんな状態になったら別の薬剤を投与して、真菌のタンパク質量産を指示する遺伝子を破壊する。そうなると、その真菌は薬剤耐性を失う。
「しかしまあ、このリセットボタンを押す手間が面倒なんだよ。時間もかかるしな。外国人客はネパールに短期間しか滞在しないヤツばかりだから、帰国先のかかりつけ医に知らせてやって治療を継続してもらう必要がある。これも面倒なんだよ」
ゴパルが興味深く聞いている。早くもサラダを食べ終えてしまった。
「真菌ですか……作物の病原菌グループとしても一大派閥ですね。野菜の農薬として昔、北欧で殺菌剤が開発されたのですが、これの大量使用で土壌中の真菌が耐性を得てしまったんですよ。今では、この病原性の真菌が世界中に蔓延している状況ですね」
真菌に限らず他の菌でも起きている。そしてポカラでは在来種のミカンやパパイヤ、バナナ、桃、小麦等が壊滅して栽培できなくなった。今はその復活事業を行っている最中だ。
カルパナがふと小首をかしげた。空になったサラダ皿を脇に移動する。
「あれ? という事は、人の病気治療にもKLって効いたりするのではありませんか? 豚で効果が出ていますし」
冷や汗をかくゴパルである。
「確かに人が飲んでも無害ですよ。ですが、薬として飲むとなると別問題です。微生物学研究室には医学博士とか居ませんし」
ニマニマ笑うアバヤ医師だ。
「乳酸菌や酵母菌が主な成分だから、せいぜい整腸剤に使える程度だろうな。ヨーグルトやアチャールと同じだよ」
次にやって来たのはスープだった。給仕が丁寧に説明する。
「ニジマスの冷製スープです。ツクチェ産のニジマスを使っていますよ」
雨期に発生した土砂崩れのために道路が不通だったのだが、今はロバ隊であれば行き来できる状態にまで復旧しているらしい。
カルパナが少し残念そうな表情になった。
「土砂崩れが起きなければ、そろそろKLを導入しようかなと考えていたのですが……車やトラックが通るようになるまで様子見ですね」
ほっとするゴパルだ。冷や汗をかきっぱなしである。
「ゆっくり進めましょう、カルパナさん」
さて、この料理だが次のような手順になる。
水揚げしたばかりの新鮮なニジマスを三枚におろす。内臓を取り、魚の身をきれいに水洗いする。胃袋と心臓、卵巣とレバーはスープにせずに、塩コショウを振って軽く下味をつけてからフライパンで炒める。頭と他の部位の内臓はスープづくりに使うので、捨てずに残しておく。
ニジマスの皮や骨をコンロの火で軽く炙ってから、炒めた頭と内臓を加えて、香味野菜と一緒に煮込む。頭と内蔵は炒めてから潰した方が濃いダシが取れるのだが、今回はクリアなスープなので潰していない。
良い具合になったら、ろ過して魚のダシを取る。あまり炙り過ぎると焦げ臭くなるので注意が必要だろう。このダシにキュウリの切り身を加えて再び煮込む。火が通ったらコンロの火を止める。
最後にニジマスの身を細く切ったものと、生で荒くすりおろしたキュウリを加えて余熱で火を通し、味を調える。
これを冷やして、器に注いだ際にオリーブオイルを少し垂らして完成だ。内臓の炒め物はスープに入れず、皿の脇に添えて出す。
パンを食べながらスープを飲んだゴパルが、幸せそうな表情になった。
「んー……あっさりしていて美味しいですね。ニジマス料理はカブレの町でも盛んなのですが、こういうスープは無かったかな。香辛料煮込みや串焼き、丸揚げばかりですね」
アバヤ医師はスープを口に運びながら上機嫌になっている。ベーコンから解放されたのが嬉しかったのだろうか。
「うむ。欧米人向けの味だな。ワシら向けにするなら、もう少し香辛料を利かせた方が良かろう。このニジマスは小さい品種だと聞いたな。もっと大きく育つ品種であれば、中華料理の清蒸にできるのだがね」
二十四時間営業の中華料理屋では、ナマズやコイ、テラピアの清蒸料理がある。ゴパルは一人で食べに行っているので注文した事はなかったが。これらの魚は高級魚ではないので、値段も安かった記憶がある。
ちなみに大きく育つニジマスの品種では、一キロ以上に育つようだ。その分、養殖期間が延びて三年間ほどかかるが。
カルパナがスープをほぼ飲み終えて、満足そうな笑みを浮かべている。アバヤ医師の話を聞きながら少し考え込んだ。
「大きなニジマスは食べてみたいですね。ですが、三年もかかるのですか……将来の目標にしましょう」
ゴパルも思う所がある様子だ。
「カブレの親戚がニジマス養殖に投資しているんですよね。養殖場が増えてきているそうで、このままですと生産過剰になる恐れがあるとか。三年くらいかけてじっくり育てる品種があると、他の養殖場と差別化できるかも知れませんね」
アバヤ医師が愉快そうに笑った。
「清蒸なら気軽に楽しめるしな。そうだ。二十四時間営業の中華料理屋なんだがね、客席スタッフの口臭が気になったぞ。酒の飲み過ぎじゃないか?」
給仕長が会議室のドアのそばに立って話を聞いていたのだが、すぐに反応した。
「それはいけませんね。早速、責任者に警告を出しておきます」
そう言ってから、少し申し訳ない表情になった。
「次の試食なのですが、ロールポークです。レカナート養豚団地の産ですので、どうしますかアバヤ先生。無理して食べなくても構いませんよ」
少し考えてから、気楽な表情で答えるアバヤ医師だ。
「ベーコンが良くなっていたから、食べてみよう。ただ、量は少なめで頼むよ」




