ルネサンスホテル
カルパナの運転するジプシーでルネサンスホテルへ到着すると、アバヤ医師が手を振って挨拶してきた。
「やあ、ゴパル君。観光シーズンは忙しくて困る。おかげで運動不足でまた太ってしまったよ」
そう言って見事な太鼓腹をポンポン叩いた。ゴパルの隣でジト目になるカルパナである。
「もう、アバヤ先生ったら。ティハール大祭やチャッテ祭も近いんですよ。節制しないと体を壊してしまいます」
一本眉をひそめてジト目になるアバヤ医師だ。
「ぐぬぬ……明日からダイエットを再開するよ。しかし今日は、試食で鳩を食らうがなっ」
ヤマは来ていなかった。アバヤ医師がダイエットの話題から話を逸らすために、現在の状況をゴパルに語り始める。
「ヤマ氏は急用ができて不参加だよ。マナンでサト君が現地の人とケンカをしてケガを負ったそうでね、彼を迎えるために車で向かっている所だ」
えええ……と呻きながらジト目になるゴパルである。そんな彼の反応を楽しみながら、アバヤ医師が話を続けた。
「今は観光シーズンだから飛行機やバスは満席でね。救急ヘリを飛ばす申請をサト君がしたそうなんだけど、軽傷だから却下されたんだ。で、仕方なくヤマ氏がお出迎えって訳だね」
救急ヘリの利用は重傷者に限定されている。
以前はお金さえあれば簡単に利用できたのだが、旅行会社とヘリ会社、それに病院が結託して保険金目当てのために救急ヘリを数多く飛ばした。
そのせいで保険会社が激怒。保険会社がネパール政府に圧力をかけて、軽傷者は救急ヘリを利用できない状況になっている。
同情するゴパルだ。
「うわあ……悲惨ですね。マナンへは陸路で行った事はないのですが、飛行機から見下ろす限りでは大変な山道のような印象でしたよ。またハンドル操作を誤って道から落ちなければ良いのですが」
カルパナも不安そうな表情になり、スラリと伸びた細い眉を寄せている。
「そうですね……ヤマさんって、あまり運転が得意そうではありませんし。ゆっくり走ってマナンまで二日という所でしょうか」
そんな心配をしているゴパルとカルパナに、アバヤ医師がニヤニヤしながら告げた。
「という訳で、客は三人だけだ。せいぜい頑張って、ワシが君達の食事デートを邪魔するとしよう」
アバヤ医師に言われて初めて、状況に気がついたゴパルとカルパナであった。カルパナが耳の先を赤くしながらゴパルから飛び退いて、ホテルの外へ歩き始める。
「ええと……私は種苗店の手伝いがありますので、これで失礼しますねっ」
ジト目になるアバヤ医師である。
「おいおい……試食とはいえ、既に料理は完成しているぞ。ワシとゴパル君の二人だけで全部食えるとは思えないのだがね」
さらにジト目になっていく。
「料理がもったいないだろう。食材の生産者なのだろう? カルパナ君のその態度はどうかと思うぞ」
カルパナの足が止まった。
アバヤ医師がニヤニヤ笑いながら、アワアワうろたえているゴパルの姿も見て楽しむ。
「否定してみな?」
ぐぬぬ……と耳を真っ赤にしたカルパナが振り返る。レカのような挙動不審な動きを続けているゴパルを見てから、困ったような笑顔を浮かべた。ついでに肯定的に首を振る。
「正論はずるいですよ、アバヤ先生。分かりました、試食会に参加しますね」
ほっとするゴパルであった。アバヤ医師と二人だけで試食というのは気が引ける。素直にカルパナに礼を述べた。
「忙しいのに、ありがとうございます」
試食はいつもの会議室で行う事になった。テーブルの準備は給仕がしていて、給仕長が指示を出している。その様子を見ながら、コックコート姿のサビーナが満足そうな笑みで出迎えた。
「ヤブ医者も急用で不参加だったら、完全にデートになったのにね。残念でしたわね、ゴパル君」
アバヤ医師が満面の笑顔で答えた。
「こんな面白い事に参加しないのは、人生の損失だよ。全力で人の恋路を邪魔するとしよう」
恋路といっても、まだ告白も何もしていないのだが。ため息をつくゴパルとカルパナであった。
手を洗ってテーブルにつくと、前菜のサラダが早速出てきた。今回もカルパナが車の運転をしているので、全員が水だけを飲んでいる。
アバヤ医師が軽く頭をかいて弁解した。
「タクシーがつかまらなくてね、自転車で来たんだよ。酔っぱらって帰ると途中で事故を起こしてしまいそうだから、今回は水で我慢するさ」
正確には電動モーター付きの自転車だ。しかしアンバル運送が改造していて、ペダルを回さずにモーター駆動だけで上り坂を走る事ができたりする。
(それって、電動バイクっていうんじゃ……)
間違いなく、ポカラ工業大学のスルヤ教授一派が関わっているんだろうな……と想像するゴパルである。
一方のカルパナはニコニコ笑顔をアバヤ医師に向けている。
「良い心がけですね。私も試食会の後で種苗店の手伝いをするつもりですから、お酒は遠慮しますね」
こうなっては水を飲むしかないゴパルだ。
「そ、そうですね。私も報告書や経費報告を書いて提出しないといけませんので、水にしますです、はい」
カルパナがゴパルにそっと教えてくれた。
「電動自転車ですが、レカちゃん用にディーパク先生が組み立てたそうなんです。ですが、レカちゃんって出不精でしょ。結局使っていないみたいですよ」
ゴパルが納得してうなずいた。
「あー……レカさんらしいですね」
クスクス笑いを堪えながら、給仕が前菜を運んできた。彼もすっかり仕事に慣れてきた様子である。
「まずはリヨン風サラダです」




