鳩タワー
その後は、前回行きそびれた鳩小屋に向かった。ツナギ服をいったん着替えて新しくしている。
ゴパルがバルシヤ社長に案内されながら、周囲を見回した。
「ん? 敷地の外れにあるんですね。意外です」
バルシヤ社長が少し困ったような笑顔を向けた。
「はい。鳩は鶏と違って飛び回りますからね。鶏舎のような施設は使えないんですよ。その分、鳥インフルエンザとかに感染する確率が高くなります。そのため、こうして隔離の状態にしているんですよ」
事前に鳩にワクチン接種しておけば特に問題は起きないのだが、心配なのだろう。
ゴパルが両目を閉じて頭をかいた。
「……出来の悪いワクチンとか、今でもありますからね。有効期限が切れたワクチンを使ってしまう事例もまだまだありますし、ワクチンとウイルスの型が違う場合もあります。用心するのは私も賛成です」
ゴパルも彼なりに色々と勉強しているようだ。
少し歩くと白く塗った土壁の塔が見えてきた。ソフトクリームのコーンを逆さまに置いたような形で、壁には多数の穴が開いている。
穴からは竹材が突き出ている場所もあり、鳩がとまってクルッポと鳴いていた。塔の入り口も解放されているのだが、中には特に何も見当たらない。
ゴパルがスマホで塔の外観を撮影し始めたのを見て、バルシヤ社長が簡単に説明を始めた。
「これが鳩タワーです。見ての通り木の柱を竹材で補強して、ゴザを巻いてから土を塗って壁にしています。私達のようなチベット系には馴染みが薄い作り方ですね。ここの住民のバフンやチェトリ階級の農家から色々聞いて作っています」
確かにポカラの伝統的なバフンやチェトリ階級の農家には、土壁の二階建てが多い。チベット系やグルン族は石積みの家だ。ネワール族は赤や黄土色のレンガを使う事が多い。
カルパナも少し照れながらゴパルに打ち明けた。
「私も色々聞かれまして……さすがに竹材は使いませんので、その使い方ではブトワルのタル族から聞いています」
グルン族も竹製の小屋を作っているが、これは物置小屋として使うので平屋建てだ。高いタワーに耐える強度ではない。
また、東のテライ地域には鳩を巣箱で飼っている地域があるのだが、十羽程度が巣作りできる程度の大きさなので、参考にできなかったらしい。
バルシヤ社長が言うには、鳩タワーのデザインで他に参考にしたのはエジプトだったと話してくれた。とは言っても、ゴパルもカルパナもエジプトの田舎には行ったことが無いのでキョトンとしているが。
土壁は白く塗られているのだが、これはペンキではなくて白い泥を使っている。夜になると暗くなるので、白く塗ったほうが何かと都合が良い。
ちなみに、鳩タワーへの道にも白くて平たい石板が敷いてあり、星明り程度でも難なく歩くことができる。
「鶏舎と違って開放的な構造ですからね。ヘビやネズミの被害を受けやすいんですよ。一応はネズミ返しやヘビ返しを設けていますけど、それでも時々被害が出ますね」
鶏舎でも鳩を飼う事はできるのだが、鳩は自由に空を飛ぶものだとサビーナやラビン協会長が主張したので、この形式になったらしい。
鳩タワーの中に入って見上げると、多数の横木や竹材がタワー内部に渡されているのが分かった。その横木や竹材の上に、これまたたくさんの鳩の巣が乗っている。地面は鳩糞と羽毛が散乱しているので、入り口付近に留まって撮影するゴパルだ。
「うーん……暗いから鮮明には映りませんね。仕方がないかな。あ。でも何とか撮れそう。巣の中に雛鳥がいますね」
バルシヤ社長が少しドヤ顔になって答えた。
「子鳩ですね。アンナプルナ小鳩というブランド名で展開中ですよ。巣立つ直前で出荷します。親鳩も計画的に出荷しています。鳩はすぐ増えますから、そうしないとすぐに鳩タワーが満員になってしまうんですよ」
欧州では食用の鳩を飼育しているそうなのだが、ネパールでは土着の鳩を飼育していると話すバルシヤ社長だ。自由に空を飛ばす飼育方法なので、外来種の持ち込みは無理になる。
「土着の鳩といっても、農家にとっては穀物や豆を食べる害鳥なんですよね。餌場を設けたのも、周囲の農家への配慮です。ですが、農家の人が野生の鳩を捕まえて持ち込んでくるようになりましたので、多少は鳩の食害が抑えられた印象ですね」
ちなみにネパールには森の中に棲む森鳩や山鳩も居る。これらは政府によって保護されているので、持ち込まれても受け取れないと苦笑しているバルシヤ社長だ。
そのような話を聞きながらゴパルが撮影を続けた。
バルシヤ社長が言っていたネズミ返しやヘビ返しの仕掛けは、横木や竹材の両端にあった。とは言っても古くなった雨傘を突き刺しているだけだが。時々被害が出るのは、この雨傘の膜を食い破られてしまうせいだろう。
鶏舎と違い、鳩タワー内部には餌場や水場はなかった。外に台を設けていて、そこを使っていると説明をするバルシヤ社長だ。タワー内部に餌場を設けると作業員の出入りが多くなり、それに乗じてカラスが侵入してしまうらしい。
この外付けの餌台にも金網が張り巡らされていて、鳩よりも体が大きいカラスは餌を食べに入れないように工夫されていた。スズメには効果ないが。他にはネズミ返しが付いていて、雨除けの簡易なトタン屋根が台の上に乗っている。
ゴパルが感心しながら台を撮影した。
「見るからに試行錯誤を続けているという印象ですね。KLは使用しているんですか?」
バルシヤ社長が肯定的に首を振った。
「使っていますよ。鳩専用の配合飼料が入手できませんので、産卵鶏用の配合飼料を使っています。KLや光合成細菌の使い方ですが、今の所は鶏と同じですね」
確かに糞が鳩タワーの床に散乱しているのだが、それほど悪臭は感じられなかった。ハエの数も気にならない。どちらもゴパル基準での話だが、カルパナも同意見の様子だ。
「雛を育てる場所ですから、悪臭は少ないほうが良いでしょうね」
鳩の成長具合には、特に変化は生じていないと話すバルシヤ社長だ。
「子鳩についてですが、餌は親鳥からのミルクだけですからね。KLが直接体内で効いている構図ではありません」
鳩は雛への餌として、体内で作りだしたミルク状の液体を与えて育てる。ピジョンミルクと呼ばれているモノだが、哺乳類の母乳ではない。栄養豊富なゲロといったところだろうか。
興味深い表情で撮影を終えてメモをとったゴパルが、申し訳なさそうに頭をかいて謝った。
「バルシヤ社長さんから話を聞くばかりで、私の方から何も情報を提供できなくてすいません。鳩の飼育って、KLを開発している際には全く想定していなかったんですよ。上手くいく事を祈っていますね」
バルシヤ社長が朗らかに笑った。
「祈っていてください。鳩飼育用の微生物資材なんてモノもありませんしね。当面は試行錯誤を続けるしかないでしょう」
そう言ってから、いたずらっぽい表情になった。
「サビーナさんとリテパニ酪農のクリシュナ社長が、ブトワルで何か企んでいるという噂ですよ。ダチョウ飼育でもKLや光合成細菌を使ってみるとか何とか。そのうちに声がかかるかも知れませんね、ゴパル先生」
露骨に困惑の表情を浮かべるゴパルであった。
「マジですか……そういえば、ダチョウ肉を先日食べたっけ。ダチョウ飼育なんて、全然分かりませんよ」
バルシヤ社長がカルパナと視線を交わしてから、細長い眉を上下させて大笑いした。
「はっはっは。そりゃそうでしょうね。私も飼育方法は知りません。図体が大きい鳥ですからたくさん餌を食べるだろうな、という程度ですね。それと野外飼育でしょうから病気対策が大変そうだな、という印象くらいかな」
ですよねー……とうなだれるゴパルである。そんなゴパルの丸まった背中をポンポン叩いて元気づけるバルシヤ社長だ。
「とりあえず今は、試食会で出る鳩料理を楽しんでくださいな。鴨ネギではなくて鳩ネギ料理だと聞いています」




