バルシヤ養鶏
さすがに車なので、ポカラ盆地の東の端へすぐに到着した。小さな集落を過ぎて、河岸段丘の坂を上りバルシヤ養鶏の門をくぐる。門番の人がホースを使って消毒液で車を洗ってくれた。
礼を述べたカルパナが、門を入ってすぐの駐車場に車を停める。病気の持ち込みを防止するための処置だ。
駐車場に隣接する、中古コンテナを改造した部屋に入る。その中でツナギの白い作業服に着替えて外へ出ると、バルシヤ社長が同じ服装で出迎えてくれた。
「ようこそカルパナさん、ゴパル先生。歓迎しますよ」
最初にブロイラーと産卵鶏の鶏舎を見て回る。ゴパルが感心した。
「本格的に悪臭とハエが気にならなくなっていますね。驚きました」
バルシヤ社長が照れながら軽く肩をすくめる。
「完全には抑えられませんけれどね。産卵数も変わりませんし。ですが、おかげで鶏糞肥料の評判が高くなりましたよ。ブロイラーについては、後で精肉所へ行ってみましょう」
ネパールで鶏糞肥料を買う場合、大量のノミやダニが潜んでいる事がある。バルシヤ養鶏では飼育環境が良好なのだろう、そのクレームは生じていないという話だった。
鶏糞も乾燥するのが早まったらしく、肥料として売る手間が少なくなったらしい。これについては小首をかしげているゴパルだ。
「乾燥が早いって事は熱が出ているんですよね。熱を発生させるのは腐敗菌が多いんですよ。KLや光合成細菌の他に別の菌が働いているようですね。カビかな?」
カビは多くの種類で水分を大量に消費する傾向がある。カツオ節が乾燥して固くなるのはその作用のせいだ。
とりあえず、鶏糞肥料を少量だけ首都の微生物学研究室へ送って菌を調べる事になった。後は博士課程の連中に丸投げする気のようである。
他には、カルパナの提案も採用していると話してくれた。これは周辺に生えている毒のない雑草を刈り取って、新鮮なうちにKL培養液の千倍希釈液に浸してから鶏に与えるというものだ。
鶏がその生雑草をついばんでいる姿を見てから、カルパナが遠慮しながらもバルシヤ社長に聞いた。
「農家で飼っている鶏が雑草好きですので、提案してみたのですが……どうですか?」
バルシヤ社長が穏やかに笑った。
「産卵数には変化が出ていませんね。卵の成分分析でも同様です。ですが、鶏が元気になっている気がします。KLと光合成細菌を使っていますので、殺菌剤やワクチンは使う時期をずらしたり減らしているのですが、病気にかかる鶏が減ってきています。生雑草の効果が出ているのかも知れませんね」
一番効果が出たのは鶏糞らしい。こういった養鶏企業では濃厚飼料といって、穀物や動物由来の餌だけを与えるのが一般的だ。生雑草のような低栄養価の粗飼料は使われない。
ゴパルが納得した表情になった。
「あ。それかも。雑草に着いているカビやバチルスが鶏の腸内で働いているのかも知れません」
バチルスは細菌のグループで、よく知られているのは納豆菌だ。しかし中には病原菌も多数含まれるので、安易な使い方は避けた方が良いだろう。特に枯草や茶色くなった干草では危険性が跳ね上がる。
(KL培養液で水洗いする際に、病原菌が洗い流されるのかも知れないなあ。弱酸性だから殺菌効果は期待できないけど)
他に考えられるのは、生雑草の表面に付いている酵母菌だろうか。
パン工房では様々な野菜や果物を使って独自培養して、それをパンやピザ生地の発酵補助に使っている。酵母菌も多種多様で、焼きあがったパンやピザも特有の香りや食感を持つ。その中には、整腸作用のある酵母菌が混じっているのかも知れない。
そのような事をあれこれ考えていると、ブロイラーの精肉所に到着した。
これは地元集落へ鶏肉を出荷するために設けられているので、ごく小規模だ。一度に解体できる羽数も数羽程度である。
カルパナは鶏肉には慣れているようで、普通に精肉所へ入っていく。ゴパルも後に続いたのだが、すぐに驚きの表情になった。
「へ? 精肉所に特有の悪臭が感じられませんよ」
ドヤ顔で微笑むバルシヤ社長だ。カルパナもゴパルと同じように驚いているので、さらに得意気になっている。
「頻繁にKL培養液の原液を流しているんですよ。そのままですと糖蜜臭くなりますので、すぐに水洗いしますけれどね」
床にも油膜が張っておらず、歩いて滑る心配はなさそうだ。再びゴパルが小首をかしげた。
「KL原液のペーハー値は四以下です。酸で油脂を分解するのは非効率なんですけれどね……これまた別の菌が働いているのかな」
まあ、普通は石鹸や合成洗剤を使って油脂を洗浄するのが一般的だ。石鹸はアルカリ性で、それを使って油脂を水に溶かしている。合成洗剤は基本的にはペーハー値による作用ではない別の化学的な反応で、油脂を可溶化させている。
どちらも油脂を水に溶けた状態に変えて、水洗いで洗い流して掃除するという原理だ。酸ではなかなか難しい。
カルパナがクスクス笑っている。
「未知との遭遇ですね、ゴパル先生」
ブロイラーは食肉専用の鶏なのだが、解体作業は朝と夕方に行っているそうだった。今は日中なので客の姿は見られない。
バルシヤ社長がニコニコしながら、一羽のブロイラーの足をつかんでいる作業員に手を振った。作業員が持っているブロイラーは、羽を背中でひねって交差させて羽ばたけなくさせているので暴れていない。
「社員食堂で料理する鶏です。では、早速解体してくれ」
「ハワス」
作業員が実に手馴れた動きで解体を始めた。ククリ刀で首をトンとはねてから熱湯の中へ投げ込む。
一分間ほどしてザルで湯から上げて、水をかけて冷やしてから羽をむしっていく。品種改良が進んでいるようで、羽が簡単に取れて白っぽい鳥肌が現れていく。頭も熱湯に入れてから羽毛をむしり取った。
クチバシとケヅメをククリ刀で叩き斬って、腹を割いて内臓をごっそり取り出す。腸と胆のう以外は料理に使うようで、洗って取り分けた。砂のうを二つに切って、中の砂と未消化物を水洗いして流す。
ここでバルシヤ社長が作業を中断させた。内臓を取られて腹腔をキレイに水洗いされたブロイラーを手に取る。
「見てください、ゴパル先生。お尻部分の脂肪が少ないですよね。内臓も血の色がキレイに出ています。解体した際に出る特有の悪臭も少ないんですよ」
カルパナとゴパルが興味津々の様子で顔を近づけた。ゴパルが脂肪部分を触って感心している。
「へええ……カブレの農家で飼っている放し飼いの鶏と似たような感じですね。フォワグラづくりで心配になるのも分かります」
カルパナも鶏の解体にはよく立ち会っている様子で、ゴパルと同じような反応をしていた。
「普通のブロイラーと違いますね。肉量も多いような」
バルシヤ社長が朗らかに笑った。
「元気に鶏舎の中を走り回っていますからね。相手の鶏の羽をついばんで取ってしまうので、クチバシの先を切り落としています」
作業員もニコニコ笑っている。
「最近のうちの鶏の香辛料煮込みは美味しいって評判なんですぜ、旦那がた。道沿いの食堂でも出してるよ。トラックの運ちゃんが口コミで集まってきて、繁盛しているんでさ」
そんな食堂あったっけ? と思い起こすゴパルだ。かなり小さな食堂なのだろう。
バルシヤ社長が鶏を作業員に返した。
「フォワグラとキャナールについては、まだ試行錯誤中です。KLと光合成細菌の使い方をちょいと工夫する必要がありますね。ですが、今の所はよい手ごたえを感じていますよ」
作業員が鶏をククリ刀で叩き斬り始めた。日本のように骨と肉を分ける必要がない調理方法なので、こうして骨を叩き割るような解体方法になる。
特に香辛料煮込みのような料理にすると、こうした方が骨の旨味を出しやすい。もちろん、食べる際には手づかみで、骨の破片にも注意するが。




